やらない理由>やる理由

この公式は絶対だ。

「やろうやろうって思うんです、アイディアはあるし、うまくいくんじゃないかって見込みもないわけじゃない。でもやろうとしないんですよね」

という話を聞いた。

仰る通り。それが普通だと思うんだ。

その人から見ると、私はやろうとしたことをなんでもかんでも形にして言っているように見えるようだけれど、それはもうごく一部のところで、ただその一部がメインなのでミラクルが連発しているように見えなくもないと思う。

この世には公式がある。私もこの公式からは逃れられない。

やらない理由>やる理由

これは絶対だ。
やらない理由が、やる理由を乗り越える事は基本的にない。
公式と言っていいほど、これは覆らない。

なにかをやろうとした時、理由をさがすとやらない理由のほうが圧倒的に多いのだ。やる理由は、少ない。その上、理由というにはあまりに弱い。
弱いのだが、やらねばならないという確信に満ちている。
それがやる理由だ。

やりたい、と思う事に理由はほとんどない。

人間は、やりたいと思うことをそのままやる人生を裏切ることを義務付けられている。それは義務だ。社会でうまくやっていくための義務だ。
その義務を達成してこそ権利がうまれると思っている。

それは、ちょっと違う。
そんな義務もない。だけどやりたいことをやるという権利は最初からある。
ただし、その権利は「それは義務を達成した後でないといけない」と固く信じている人たちから猛烈に潰される。彼らはそれも義務であると思ってやっているから、彼らにとっては正義だ。

やらない理由を、やる理由は超える事ができない。

だから、理詰めで動かないといけないと思っている人は、なかなか動けない。
理詰めで全部計画できるだけのスタミナがあればできるけど、そういう場合もちょっと予定と違った場合は無理になる。

じゃあ、どうしてやれる人が出てくるのか?

というと、そこが見切り発車力みたいなものでしょうね。
ある程度の工程を見越して、見えているうちに発車しちゃう。
見切り発車して、あとで帳尻合わせに奔走する。
ここまでで、ワンセット。

大抵、私は絶対逃げられないイベントをいきなりぶちたてて、お金を払って場所を確保したりしてしまう。(今回のイベントとかもそうだ)
そして、「お金払っちゃったから」「みんな期待しているし」とさっさと広告を入れてしまう。
で、青い顔をして走り回る。

そうでもしないと、人間はなかなかやらない。

ま、結果として、やばいやばいって走り回って、周りも「そんなにやるとか聞いてない」「ムリキツイ」と言いながら、ギリギリ最後には全部そろえてくる。
じゃないとさー、人間やらないじゃん!
いつかはできるかもしれない。でも、それはいつだ?
嘘でもいい、ヘタでもクオリティ低くてもいいから、一回は作るんだ!
話はそれからだ。
その最低限の一回を、そのイベント的なものにそろえてくる。
そしてそのあと、やっと物事ははじまるんだ。
(ここで終わったといってストップしてしまうので、みんな始まらないんだよね。イベントはプレイベントとして準備するのがコツ)

ビジネス作りは見えないチェスだと思う、というのは、こういうイベントとかを盤の上に配置してコマをいかに積み上げて進めていくかを考えながらやっていくという事にあると思う。

全体の影響を考えながら、自分の手駒の強さや効果、数を考えながら、少しずつ積み上げ、たまに勝負をして勝ったり負けたりしながら、じわじわと前に進んでいく。

勝つためには、負けてはいけない。
それが公式であったとしても、やらない理由を乗り越える理由がなかったとしても、やってのけて、勝つのだ。

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