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例え助けられる範囲が狭くても私は助けるつもりでいる

大雨の被害が、なんだか東日本大震災の時みたいになっている様子で、いろいろ落ち着かない。

折り鶴ダメ、素人のボランティア被災地入りNG、支援物資もやめておけ、などなど、安全だった地域も何かせねばと焦っている。

大きな災害が起きるたびに、日本に住んでる人たちは災害慣れしていく気がしてならない。いいんだか悪いんだか。
揺れが来ても「下から突き上げる感じで怖かった」「長い横揺れが続いた」「震源地はたぶん浅いよね」などソムリエである。世界一スイングする国土を保有する国、ジャパン。

こういう時、私はソーシャルワーカーの対人援助技術を勉強しててよかったなと思う。

人を助ける仕事、人の悩みに寄り添い、支える仕事。
ソーシャルワークって耳慣れないと思うけど、単純に言うとそういう「問題が起きている所に行って状況整理して、助けを手配する」みたいな役割を果たします。
私がやってたのはそれの精神科バージョンなので、統合失調症や痴呆、精神遅滞、嗜癖、発達障害や人格障害まで、とりあえず幅広く精神系の疾患を押さえて、それにアプローチする方法などを学んでたのです。

ぶっちゃけ、勉強してたからってセンスがあるわけでもなければ、技術が高い訳でもない。経験もものを言うし、本人の資質もすごく問われる。
身一つが仕事道具。

だけど、逆にどうやれば人を精神的に支えられるかという技術について、広く学んでいる。
そう、これは技術なのです。センスじゃなくてテクニック。
それもむずかしい事でもない。

災害が起きた時、私は消防や自衛隊の人たちみたいな物理で助ける事はほぼ無理だと思う。でも、それ以外なら、絶対に役に立つ。

それは、被災していない場所の人たちのケアだ。
被災地以外にも災害によって精神的なダメージを受けている人たちが結構いる。それが目に見えないので、大変な問題につながっていく。
もともとなにか精神疾患など脆弱性を抱えている人がショックを受けて鬱になるとかは普通の人でも想像できると思うけど、そうじゃない健康で明るい人で、被災していない地域にいて、誰も知り合いが被害にあっていないのにショックを受けてダメージを負う人たちがすごくいる。

私は、絶対にそっちを受け持とうと心に決めている。

やっぱりね、現場が大事なですよ。
この場合の現場って、私自身が被災していない地域にいたら、被災していない地域が私の現場です。

被災地に行くだけが、支援ではない。
私は確固としてそう思っています。

実際にソーシャルワーカーとして働くことはできなかったし、今は違う仕事をしている。でもそれが問題になる事はひとつもありません。
どのような立場であっても、友達少なくても、現場で人を助ける事はできると、ゆるぎなく思っている。

それが救急隊員のような処置とか、巨額の募金とか、わかりやすいものじゃないのだけど、どんな人であれみんな絶対その場で役に立つことができるのね。
そして、自分は役に立てるとわかること、これが援助の一歩目だと思う。

まずは、今の安定した生活を守る事も援助になるという意識がすごく大事。
なにかをしなければいけない、評価されない、などというかつて学校で習った意識を一度忘れてほしい。
今の状況を保つのは、それが役割だ。
誰かが逃げてこられるための日常を守るのだ。
何もしないのではない、現状維持をする!
そして、来るべき時に備えておくのです。

それがわかっていないと、千羽鶴とか被災地入りとか、「せっかく送った人の厚意をいらないとかふざけんな」とか怒っちゃったりする。

これは、もちろん知識がないとか想像力がないというのもありますけど、それ以上に「あなたの役割はもっと違うことにある」って事を誰かがはっきりと教えてあげる事がすごく大事なのです。
だって彼らはそれが役割だと思っているから。
与えられた立派な役割をやっていて、褒められこそすれ無下に拒否されるなんてありえないと思っていますから。
役割を見いだせないのは、まず経験不足、知識不足です。
だから、むしろ課題を与え、経験をさせるというのも支援のひとつです。
その課題として最も有効なのが「今の現状を自分の地域で守る=いつも通りに暮らす」という事なんです。

大体先走って迷惑をかけるタイプは、役割を与えるとおとなしくなります。とても落ち着くのです。で、忘れます。いいんだか悪いんだかですけど、現地に行って問題を拡大させることはやめさせなくてはいけません。
そういう人たちは、焦っています。それだけショックを受けて、ダメージを食らっているという事です。
まずは、被災地以外でショックを受けている人たちを落ち着かせる事。
それには「あなたには今自分が住んでいる地域をいつも通りに守る役割がある」と自覚してもらう事です。
役割がありそれが簡単にできるという事は、自分は無力ではないと感じるために非常に重要です。
いつも通りに暮らすだけなので、全然むずかしくありません。普通にしているだけで、ちゃんとできたという自信が出てきます。
これがとても大事。

本当に支援に行く人たちは、訓練しています。
訓練しないと助けに行く事はできないからです。人を助けるという事は、甘くない。

そこに、ただショックを受けたからというだけの、自分のショックを癒したい無力な人が危険な場所にいったら、問題は悪化するだけです。
人間はショックを受けると、その原因を探りたくなります。原因がわかるとショックが消えるケースがよくあります。
その仕組みで、どうしても無自覚なまま被災地にいったり関わりを持とうとしてしまうのです。千羽鶴送ったり、ボロボロの古着を送ったりする人たちは、見栄や売名ではなく、自分のショックを癒すのが一番大きな目的なこと、けっこうあります。

それが悪いわけではないです。自己治療の一環なので。
でもそれは自覚されてません。
だから、そこを指摘しても「別に傷ついてないし」とか「助けてあげようとしたのがそんなに悪いのか!」と論点をすり替えて大激怒ですから、その点でコミュニケーションを取るのはコストが高過ぎます。

現場の人たちはその100倍傷ついているので、他人の治療の手助けなんかしてられません。ばっさり拒絶すべきです。
拒絶したことを気に病む必要も、1ミクロンもありません。「ふざけんな」と思う方が健康なあり方だと思います。

だからこそ、私は被災していない地域の被害者を落ち着かせる事が私の最大の支援になると思っています。


「あなたは今ショックを受けているかもしれない、それは恥ずかしい事ではない。今までにもたくさんの酷い事があった、ショックを受けていて当然だ。男だから、大人だから、親だから自分がしっかりしなければと気を張っていてもそれを超えるダメージを背負ってしまう事もあるし、それはあなたが弱いせいではないのは明白だ」
「まず今の場所をいつも通り守ってほしい」
「誰かが逃げてきたら、あなたの守ってきた場所で助けてあげてほしい」
「それがあなたの役割になる」
「交通事故や、体調にも気を付けて。自分が安全でいる事が、被害にあって苦しんでいる人を助けるための重要な資源になるから、絶対に無駄にしないように」


お金もたいして持ってないので寄付をするにしてもわずかです。
だけどそれに加えて、自分のできる事をする。
千羽鶴やめろじゃなくて、他の役割を与える。

パニックを起こしている人たちを穏やかにするメッセージをたくさん出していく隠れスキルを持っているので、私はそれを発揮していこうと思います。それを発揮したところで、助けられる人は本当に本当にわずかです。
それでも、やるのです。

自分はプロじゃないから、未熟だからといって、人を助けられない事はないんです。完璧に助ける事は不可能でも、わずかな支えになる可能性は大きい。

そこだけを信じてる。

で、結局人を助ける事は、自分を最終的に助ける事になっていく。
それを目的にしてはいけないんだけど、人間の仕組みとして、誰かを助ける事は自分が助かるという精神構造になっているらしい。
だから「折り鶴NGだよ!」といいまくる人たちも誰かを助けようとして自分も助かろうとしている。
それでいいのだ。
だけど、それには少々の知識と技術がいる。人間への観察力とセンスもいる。なかなかに成功しない難易度の高さ。
でも基本は「無力さに打ち勝つ事」「自分には役割があると自信を持つ事」のふたつ。その役割を傍若無人に振り回すのではなく、役に立つようにすり合わせていくのは、次のステップになる。

被災地以外で無力さを感じ、傷ついていたら、だからこそできる事があると心を強く持ち直してほしい。そうしていつも通りの生活を守ってほしい。自分が役に立つチャンスをまとう。
もうすぐ、その役割はくるが、まずは募金だ。この場合の金は万能だ。そして、募金した側の気持ちもわずかだけど救ってくれる。

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つよく生きていきたい。