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賢さなどはいらない場所に生まれた

私は子供のころから、妙に頭の回転の速いタイプの子供で、ちょっとしたことはすぐに理解して教科書は最初に全部読んでしまって、みたいなタイプだった。
そして、田舎暮らしで、親はテレビを見る事を一切禁止して甘いものを食べさせないという、そういうタイプの人間だった。

理由は「バカになるから」

その割に、私には面白い事をさせなかった。
あとになって、それが決定的に人間の生きる力=賢さをそぎ、つまりバカになる最短のルートであると思ったわけだけども。

私が生まれたのが、もう少し都会だったら何かが違っていたのかもしれない。という事を、この記事を読んで思った。というか思い出した。
同時に過去の幼い自分があまりに不憫で泣いた。

大人になってから、よい家庭に育っていい大学に行ってそこそこいい会社である程度の給料をもらって幸せに不満を口にしながら生きている人たちを見て「私があなただったらもっと遠くまで行っていた」とはっきりと思った。

わたしがあなただったら、こんなところで文句を言いながらほどほどのよい給料を得てぬるま湯につかって暮らしている事はなかっただろう。


田舎において、賢さなどはあまり意味がないのだ。
それに、美しさというものも、たいして意味がない。
世の中においてそれは価値があると言われている情報がたくさんあるのに、私の生まれ育った場所ではそういうものにあまり価値がなかったのだ。ないのにつまらない勉強させられ、クソつまらない成績をつけられる。

本当に、つまらなかった。
我慢して生きていた。

「好奇心は猫をも殺す」

違和感のある日本語だけど、私はこの言い回しが好きだ。イギリスのことわざで、かの国では猫は9つの魂を持っていてそうそう死なないのだが好奇心を持つと命がいくつあっても足りないという意味の言葉らしい。

そのことわざの意味とはちょっと違うけれども、私は、好奇心に殺された猫みたいなものだ。
面白い事、楽しい事を望む力(賢さ)がありながら、それを全部封じられて、つまらなくてつまらなくて、死にそうだった。飢えていた。
正直そのつまらなさの後遺症で、今でも自殺したくて仕方がない。
死んでもいいから面白い事をしたかった。
猫を殺したのは、好奇心によってもたらされた危険ではなく、好奇心を持つことを許さない環境だ。むしろそれこそが、最大の危険なのだ。

自由に生きるのは、今からでも遅くはない?

そうかもしれないけど、失った10代、20代の経験とは、黄金にも勝るのだ。
その間、どうして私はあんな苦労をして、意味のない事に(両親の作った借金や家庭内暴力やそれに付随する強迫神経症や幻聴や視野狭窄やPTSDや)人生の多くのリソースを注ぎ込んで、やっとのことで、東京に出てきて生き延びて借金を返すためにゼロからビジネスを立ち上げてそれを取られて、何もかも捨てて一人で再出発する羽目になったのか。

それは、生まれた場所が悪かったから?
親が、理解がなかったから?
努力がたりなかったから?

それとも、そういう事を問題にしない程度の頭の弱さでいればよかったのか?
バカでも幸せに適当な相手と結婚して子供を産んで育てていればよかったのか?

半端に賢かったことで、苦しむ羽目になったのだろうか?

賢くても、人間は未熟だし、正しい知識に触れられなければ賢さはあまり意味をなさない。私は導いてくれる人も、そういう情報もほとんど持っていなかった。古ぼけた図書館の本しかなかった。

幸せならいいのか?
冒頭の記事ではこう指摘している。

「田舎は田舎で楽しくやってる」というのはまったくそのとおりだが、その事実と、都会と田舎のあいだには「格差」が存在するという問題は位相が異なる。田舎の幸福は格差を容認する理由にはならないのだ。

「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由 

この指摘を、このように当たり前に見る事ができるようになるには、この問題を受け止めて違う視点を持ってみる事ができるようになってからの話だ。
感情論に基づいて話をしていたのではらちが明かないし、知らない事を知らない者同士が話し合ったところでまったく意味がない。
田舎の人も、都会の人も、知らないのだ。

私も、いまだに大学がどこにあるのか、わからない。
地理的なことではなくて、概念的な意味で。

たった一度の正攻法で地元から離れるチャンス、大学進学。
それがない事で、私は死ぬほど苦しんだ。
いや、あったんだけど、あまりにサポートが薄すぎた。金もなかったが情報もなさ過ぎた。詳しくは思い出すと内臓がえぐられる苦しみを味わうのでもう黙っている。
大学にはいかずに地元でアルバイトをして暴れる親と喧嘩して、配膳の仕事で腹筋が割れるほど働いても得られるお金はわずか。帰ってきて包丁を振り回す父と大喧嘩。その繰り返しだ。

半端な賢さは、田舎の女にとって命とりだ。
圧倒的に勉強ができて超優秀な一握りの生徒にのみ道が用意され、そうじゃないほどほどに優秀な人間はゴミのように切り捨てられるのだ。
私はそのゴミの方だった。

賢さなど必要のない場所に産まれたら、好奇心は命を落とす理由になりうる。

幸せなんていらないのだ、面白い事があれば。
不幸でも面白い方がいい。圧倒的に。
幸せでクソつまらない人生を歩まされるくらいなら自殺する。親を殺す。故郷を捨てる。

不幸せでも面白く生きていたいのだ。
この記事を読んでから、朝からずっと泣いている。
あんな飢えた場所、のんびりとして幸せで自然豊かな場所なんか、懲罰房とほとんど同じだ。

帰れと言われたら、自殺すると思う。

好奇心は猫をも殺す。

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つよく生きていきたい。