美人だって言われたいけどなんのために

小さい時は、可愛い子供だった。目がクリッとして。

小学校から10代の頃は、多分ブスだった。
可愛くないというか、スクールカーストでは下位。顔だけの問題ではなくて、いろいろ軋轢があったので、とにかく学校生活がつらかった。
田舎なので、生まれた時から20歳くらいまで全員同じメンバーで動く。
同じ学校、同じクラス、同じ町。
そこでは、親からのオシャレ禁止条例によって、髪はずたずたに母が切ってしまうし、服もよくわからないもらいものだったし、可愛いものを買うとか許されない生活で、どんどんブスになっていった。

妹が高校生の時、彼氏を家に連れてきた。
彼は私を一目見ると妹に「お前の姉ちゃん、ビューティーコロシアムに出たらぜってー変わるって!」と力説していたらしい。

説教されて性根を叩き直してきれいな服を着せてもらえる番組だ。

東京に出てきて、わたしはある程度美人なのかもしれないと思う体験もあった。それが本当なのか確かめたかった。受付嬢の会社に入って、そこではさらにたくさんの美女たちと一緒の職場で、上には上がいる事を実感する。
いや、美人が存在するっていう事を体感できたのは、とてもよかった。
彼女たちはフィクションじゃなくて、ほんとに美人だった。
角度によっては美人でもなかったけど、「美人になる術」を知っていた。

間近でうっとりした表情をする男たちもいた。
「本当に君はきれいな子だね」と恋人に言われて舞い上がっていた。
小学校や中学校では男子にいじめられていたので、優しくしてくれる男という存在が信じられなかった。それもあって、高校ではもう何もかもどうでもよくなって、時々授業をサボっては使われていない美術室の教壇のなかで漫画を読んでいた。

東京に出てくるまで、男友達というのはいなかった。全員幼馴染というだけ。

東京では、恋人じゃないけど、まあ悪く思っていないだろうなという男友達もいたけれど、面白い事に彼らは私が化粧をしていない顔を見ると少ししょんぼりしていて、ちゃんとメイクしてきれいにしていくと見るからに嬉しそうにした。

あ、なんだ、きれいな顔や、細い身体が好きなのか、と思った。

髪を切ろうかなというと「切っちゃうの?長い方が良いのに」とか「ショートボブいいよね」とか、つまり自分の好きなものをみたいのだ。

それはお互いさまなんだけど。

でも、わたしは誰のために美人になりたいんだろうか。
美人というだけで確かになんらかの市場価値は上がるし、よい注目をもらえる。だけど、ビューティーコロシアムみたいに、それは何らかの代償であることを求められたり、もともとダメだったけど努力の末獲得したものでなくては持つことが許されないような印象がある。

美人は、得だ。
それは間違いない。
美人がにっこり笑うだけで、それはギフトになる。人に与える恵みとなる。
性格がどうのとかって関係ない、そこにどういう属性をつけるかは結局受け取り手の問題であって、美女をあえて貶める事で自尊心を高める構造を持った人であっても、美女はその美しさをもってその人の自尊心を満たす事さえしてくれる。

でも、その美しさは本人に何を与えるのだろうか。
うまいこと自分の欲望を、その自らの美貌を餌に引き寄せる事ができるならそれは最高の武器だけれども。
そうとは限らない。

そもそも美人という基準は、他者からの評価なので、評価基準は非常にあいまいだ。常に美人でいるには、相当幅広い基準の中で高得点を取る必要があるから、つまりは平均的になっていく。最高の美女というのは最も平均的な安定した顔つきの事を言うらしいけれど、大変納得のいく話だ。
国籍も男女の差もないような、ハーフで中性的な顔が美しいとされるのはそのせいだ。

美しい事は、それだけで価値がある。
でもそれは誰にとっての価値だろうか。

もうそんなしちめんどくさい事はほっておくとしても、それでも自分が美人に見える事は、それだけで本人をキャッチアップさせる。
それは人間がそもそも社会的な動物だからなんだろうなとも思う。
自分一人だけのアメーバだったら「今日ちょっと美人に見える!よし!」なんて思う事はないだろう。いや、思っているのかな?そもそもアメーバは何かを考えたり感情はあるのか。まあいいや。
誰かの価値に沿うかなんてわからないけど、誰かに高く評価されるというのは人間にとって欠くべからざる重要なやり取りなんだと思う。

ただ、その価値観にのみ振り回されてしまうと、きっとすべてがおかしなことになっていく。
幼い頃、それを知ることができなかった。
閉鎖された場所に押し込められて、親の価値観に沿って行かなくちゃいけないというのと、学校友達の価値観に沿う事は完全に相反していた。
家と学校はふたつの世界に別れていて、とても苦しかった。

美人であることを考えると、とにかくこの価値観の翻弄を自動的に思い出す。

そんな事を考えず、ただそれこそきれいな顔をして、何も知らないふりをしていることが「でしゃばらない行儀のいいわきまえた人」とされる伝統的価値観に沿って黙っていればいい。

そうやって生きていこうとしていたのに、結局邪魔が入るのだから、どうやって生きていったらいいか正直わからないです!
誰かのために生きても養ってもらえるわけじゃないしな!!
かつて女の美貌は財産だったけど、現在は美貌以外の才能や技能が財産としてカウントされる率のほうが高いので、美貌の資産価値は相対的に減ってしまっているし。

なので、何かしらの才能や技能を持った上での、おまけとしての美貌ほど付加資産的な価値が生まれて、ボーナスになる。

まあ、ボーナス付きの人になっていればいいかな。
ときどき「きれいな人ですね」と言われてへらへら喜んでいられるなら、それもいい人生かもしれない。
身近に夫や恋人がいれば、彼らのためにきれいでいたいという思いも当然だろうけれど、残念ながらそれがないので、美は空に浮く。

すごい美人じゃなくてもすごい不美人でもない、というなら十分です。
あとは基本的人権が尊重されているなら、いいです。
少々の高望みは許してください。

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美人だって言われたいけどなんのために

yuukee

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つよく生きていきたい。

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yuukee

どうでもいい 日々のはなし3

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コメント7件

しかし美貌だけで食っていける人がいるというのもこの世界の不思議でございます。
名文だし、小説として読んだとしても、アイデアが隅々までつまっていておもしろい!と思いました。
灰谷さんありがとうございます。灰谷さんの作品とても好きなので、嬉しいです!仕事で、小さな会報誌を作る予定なのですが、灰谷さんの小説を載せられたらいいなあと思っていたくらい。(結構本気なのだけど、相談してもいいですか?)これは単なる体験とその感想のようなものですが、小説として読むという視点もあるというのは面白いなあと思いました。
あらっ、ほめてもらえて嬉しいです(会報誌の件もとても光栄です。気が向いたらご連絡ください。4月半ばまではバタバタしてて身動き取れないかもですが)
yuukeeさんの文章は、大きな発想を各センテンスの細かなアイデアが支えているので、構造としては小説として読める思うんですよ。本を執筆中とのことなので期待してます!
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