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営利目的という事をもう一度考えたい

営利目的でないビジネスはない。
だけど、今の世の中、というかネットのコミュニケーションの中では営利目的は非常に嫌がられている。

なぜなのか。

すごく、そこに違和感がある。
営利目的を表に出されると嫌な気分になるというのは、どうしてだろうかと。

気持ちはすごくわかるし、そりゃ1円でも安く買いたいという気持ち、すごくわかる。送料がかかるのが嫌、という気持ちもよくわかる。

そして、「相手が儲かるのが嫌」
この気持ちも、よくわかる。
それも自分が損をしないのにもかかわらず、誰かが儲かるのが嫌。

対自分とのそういう対話とともに、すでにビジネスを回している人間は「対お客さん」という軸もできている。
ここをもう一度考え直すと、そうとうのアイデンティティクライシスとなる。人格の崩壊の危機である。
ビジネスのアティチュード(姿勢)は、崩れると「ビジネスがうまくいけばいくほど自我の崩壊につながる」という恐ろしいことになる。それが怖くなって儲けることをすっかりやめてしまうなんてケースもすごくたくさんある。
ビジネスをするという事は、自分のアイデンティティをいけにえにしているようなものだからだ。
そして儲からないとビジネスは続かない。
生活も追い詰められ、生きることさえできなくなる。アイデンティティだけがクライシスではなくて人生がクライシス。

だから、ある意味「儲かることに対する恐怖心や嫌悪感」について向き合うという事は、命を失いかねない。

私がなぜそのクライシスを回避してビジネスを立ち上げられたかというと、それ以上のクライシスがあったからというしかない。
実家の借金を返す、それをしないと自分の人生も全部壊れるという事が目の前に来たからだ。だから、魂を悪魔にうっぱらってあっという間にビジネスを立ち上げることができた。あの頃の私は、やっと私の中にいた悪魔を表に出すことができてこの上ない安堵感があったのだ。

そして悪魔に取りつかれたようにビジネスを立ち上げ、適宜やってきて、もうちょっとちゃんとビジネスしないとなってなって、やってきたのがこの基礎基本アイデンティティクラッシャー「嫌儲感・嫌儲観」。


こういうことをすごく考えることになったのは、格差社会が広がれば広がるほど素晴らしものが生み出されるジュエリーの世界を少し触ることになったから、というきっかけも大きいような気がしている。

ジュエリーに「お買い得」とか、そういう概念はない。というか、むしろどれだけ高価格で買えたかが大事な尺度だったりする。
(アートの世界とすごく似ているというか、紙一重の場所だと思う)

という事で、今年は似合わないことをいろいろすることになりそうです。
まずは受験です。業界資格の。
向いていないことを一生懸命やるターンです。
すごく苦手です。
すでに心が折れそうですが(勉強とかではなくて、自分に向いていないことをやっていることが)、まあ人生はそういう持ち回りだろうなと思って、正月早々泣きながらいろんなことをやっています。

よき2020年になりますように。

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つよく生きていきたい。