お金に魂を売らないのは難しいけれど

わたしはお金のまわりの人間の心の動きを感じ取るのが、とても好きだ。
それは大金を溜め込むとか、カブで大儲けとかではなくて、「お財布を開いて買い物をする瞬間に起きていること」を注視したり、感じ取ったりするのがとても好きなのだ。

ものの売り買いは、コミュニケーションでもある。
言葉のコミュニケーションとは違い、社会的ステータスの一部の交換みたいなコミュニケーションというか。ステータスというのはこの場合は地位とかではなく、持てるポジションとでもいうべきだろうか。

この文章はとてもいいなあと思いました。とても、丁寧で優しくて、厳しさもあって、ズルさのない誠実さを感じる文章です。

でもね、わたしは違うなって思ったの。
かかれている事は、本当に真実だと思う。好きなことをお金にし始めた途端、なにかが狂いだすのは、実際に体験したことがある人も多いだろう。
でも、それだって、結局お金に魂をしばられているから、好きだからとか、お金をつくるためにとか、なにかがズレて壊れていくんじゃないかと思う。

だって、好きなことをしていた→お金になった→お金のために好きなことをし続けなくてはいけない→それが苦痛になるという流れは、途中で好きなことをやめてお金のために動いてしまっている。

「交渉は降りられる立場の人間が一番強い」という。
選択肢にノーディールが入っている人が勝つ。というか、負けない。
絶対に交渉を成立させたい人は、成立のために大損をする可能性だってある。試合に勝って勝負に負ける的な、あれです。

それと同じことが、たぶんお金にも言えると思う。

多くの人は、お金という存在と真っ向から交渉したことがあまりないのかもしれない。
家計のやりくり的な交渉はあるけれど、のるかそるか、わからないけど全資産の60%突っ込むみたいな事を、冷静にやった体験があるかどうか。そしてそれを確実に拾って生かしてこれたかどうか。
そう思うのは、わたしがそういう体験から、お金というものを感じ取るようになったからであって、もっとほかの体験からお金と相対してずっと会話してきた人もいると思う。これが唯一の方法じゃない。
だけど、現時点でわたしが考える事は、お金が入ってこなくてもいい(今は←これが重要)という考えで、お金を後回しにできる覚悟があるかどうか、みたいなところだ。

みんな、お金が欲しい。
お金があれば、生きていける。生活していける。
みじめな思いも、苦しい思いも回避できる。
だから、お金に心を、魂を売り払ってしまう。

好きなことをしてお金をもらう事が、苦しくなっていく。
お金のために好きなことを差し出してしまう。
お金という名前の他者の言いなりになっていく。

どうして、みんなそう簡単にお金に魂を売るんだろう。
魂を売るべき場所は、そこじゃない。
そのお金の向こうにいる人にこそ、魂は売られるべきだ。断じてお金に売る訳ではない。

お金に魂を売って、借金苦に陥って、毎晩父は包丁を振り回すようになって、いつか自殺をほのめかすようになり家族も振り回され憔悴していった。わたしは父に自殺されるくらいなら、自分で殺そうと思い立った。自殺されるのが嫌なのだ。だったら、殺してしまえばいい自殺できなくなるように。
これが一番最初のイノベーティブな発想だった。
破壊的イノベーション。

様々な状況を勘案した結果、殺害はやめて、家を出る事にした。

お金は、簡単に人を殺すし、簡単に人殺しを決意させる。
たった数百万円を苦に自殺する人だってたくさんいる。
この日本でもね。紛争地帯の話じゃない。

お金は人を平気で殺すって、知った。自分の殺意として、知った。
だって1年間きっちりどう殺してどう死体を処理するか考え続けた。殺すとしたら冬、雪のある時にと思っていた。一時的に隠す場所がたくさんあるから。夏場はあっという間に腐ってしまう。

でも、お金に殺されるなんて馬鹿みたいだとも思った。
片や数億円、数十億円をぽいっと使う人がいる。こっちは目先の数十万円がなくて、家族間惨殺が起きる。
おかしいじゃないか。

それ以降、ずっとわたしはお金を見てきた。
最初はおびえて物陰から。途中からはビジネスをするという形で(ただお金は全く触れなかった)。そして今は、確実に自分のビジネスと自分のお金というものを実感しながら動かしている。無借金です。というか、貯金さえなかった。

ずっと安穏と生活できて、お金の恐怖を知らない。
あるいは、お金が足りなくて悲惨な目にあう事が多くて、お金を持っている人を憎く思っている。
このどちらもお金と向き合ったことがない、ということになる。
お金に対する観念が、お金を手に入れるときの邪魔をすると、よく「お金を引き寄せる」系の本にはたくさん書いてある。が、それらは、今までの経験と親の教育によるものだ。そして、本当に怖いのは、お金じゃなくてお金に振り回される人間なんだ。
他人だけじゃない、自分自身が、お金に振り回されていく。おそらくそれが一番怖い。

好きで始めたことが、お金が絡んでくると、なにか違うものになっていく。それはお金に振り回された人間が本来の目的や目標を見失ってしまったせいだと思う。

でも、それはお金が台無しにしていくのではない。
お金に振り回される人間の器の小ささや力のなさが、すべてを台無しにしていく、というほうが正しいと思う。

お金じゃないんだよ。人間なんだ。

実家の借金を返すためにビジネスを立ち上げたところ、うまくいった。上手く行きはじめ人を雇うくらいになった時に、母が自分の思う事ができなくてイライラしながら私に言ったのは「みんなお金のために働いているんじゃないんだよ!」だった。
ふざけんな、こっちは全員が何とか生きていくだけのお金をつくるために必死であんたが喜んでやりそうな内容から売れそうなものを作って売れるように持ち上げてきたんじゃないか!それだけですごいありがたい事だと思ってほしいよね!わたしはなんとしてでも実家に金をつぎ込んで、わたしに借金の無心をしてこないようにしなくてはいけなかった。
結局は大借金をこさえた父も、それに反論できずに唯々諾々としたがって後で文句を垂れ流していた母も、お金に人生を振り回されていた。「お金のために働ていてるんじゃない!」といって、お金にいつも困って泣いていた。
おまけに、娘の人生も早々に棒に振ってくれた。

それで、わたしはずいぶん、お金のことを考える事ができた。

お金に対してとても苦しんでいること、恐怖心があること、怒りがあること。
それらとお金は無関係であることを学んでいった。
商売をすることで、今あるお金の額がどうかという事ではなくて、それをどう動かしたらどうなるのかという事を考えるようになった。
お金の額でいったら相変わらずカツカツだけど、実際に自分でビジネスを始めて数年でとても成長できたと思う。

お金じゃないんだよ、その向こうにあるものを見るんだ。

そして、単純に副業で儲けるとか、ダメです。お金が欲しくて始める行動は、「お金がない」という世界の中での動きになってしまう。だから稼げてもモノの数万円です。それで満足という人も多い。
それもお金に振り回されている。たったの数万円で心が落ち着くのです。

だけど、振り回されないのって、無理なのです。
お金があと少しでなくなりそうな時は平気だけど、目に見えてドンドン減っていく時ってほんとに怖くて気が狂いそうになります。昨年末から年明けぐらいまでそんな感じでしたよ。

でも振り回されているって実感できたのがとてもよかった。

大切なのは、ここで意識を捨てて苦しみに負けてしまわないようにする事だ!苦しんでもいい!苦しんで、のたうち回ってもいい!でも、心を、意識を捨てずにいられるかどうかが分かれ目だ!!

ここで心を失うというのが、金に魂を売り渡した瞬間なのだと思う。

この瞬間は、とてもたくさん日常に潜んでいる。

卑屈になってもいい、苦しくても恥ずかしくてもいい、それで心を失ってはいけないんだ。

実は我々は、苦しいとかツラいとか卑屈になる=そこから抜け出すためにもがくという事をしてしまいがちなんだけど、これがよくないのですよね。
抜け出そうとしてはいけないんです。苦しい!キツイ!と感じる事を逃げてはいけないというか。苦しさを感じると、それを感じないようにどうにかしたいとする事こそ、魂が売り渡される瞬間なのですからね。

わたしは誰かといると冷静に自分の苦しみと向き合えないし、苦しみながら次に進む手を打つのは一人でいた方が良いから、恐ろしいほど人に会わないでここまでやってきた。
必要な打ち合わせは対面でするけれど。

たった一人部屋に引きこもって、小さな商売を作っていた。
魂はとっくに売っている。商売の神様に売り払った。
お金になんか売ってやれないんです。みんなあっさり売り渡しているけれど、わたしは売れない。お金に魂を売れるほど余裕がない。わたしの魂の売り先はとっくに決まっているんです!

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つよく生きていきたい。