笑いの裏打ちは闇かもしれない―落語の話

最近落語をYouTubeで探しては見ている。
なにも知らないので、とりあえずという感じで。

一番最初にちゃんと落語を聞いたのは、笑点の司会が春風亭昇太さんになった!という大ニュースが記憶に新しい頃で、たまたまTSUTAYAの無料レンタル券があったので昇太さんのCDを借りてきた。

その後、古今亭志ん朝等王道と言われるものを観たり。

芝浜なら芝浜をずーーーっと。
井戸の茶碗なら井戸の茶碗をずーーーっと観る。井戸の茶碗マラソン。
崇徳院マラソン、抜けスズメマラソン。

あんまり一門とか派閥とかはわかっていないんだけど、名字が?同じ?なのが一門なのね??
西と東(しがし)があるのね?
古典と新作??

で、ずーーーっと見ていると、笑いの裏にある闇がちらちらと見えてくる。

枕が面白すぎるという柳家喬太郎師匠なんかは、ほんとにおもしろいしブラックなネタを絶妙にはさんでくるし、客席の反応を見てはびしっと刺してくる。
これはその奥に確固としてある「不安」を如実に浮き彫りにする。

アダルトチルドレンという言葉が一時期一般的に言われるようになったけど、今は「アスぺ」なんて言いかえられててあんまり聞かなくなってきた。
(個人的にアスぺなんて言い方は精神科の専門的な勉強をかじった私としてはなんでこんな形で一般化したのかと驚くんだけど)
そのアダルトチルドレンは子供時代に親が主にアルコール依存症などで機能不全に陥った過程で育って、子供なのに大人のような役割(主に精神的な)を果たさないといけない状態で非常に過緊張の中で過ごしたため大人になっても人間関係にどうしてもその緊張状態を持ち込んでしまって、問題の原因となってしまうタイプの人たちの事だ。
これは世界の精神医療の最先端を突っ走るアメリカがアルコール依存症患者の家庭の背景を調べていく中で見つけられた、子供への悪影響のひとつ。(もしかしたらもうこの名称は使わないのかもしれない。精神科の流れはものすごく早いので私が勉強していた頃とすでにずいぶん変わってきていると思う)
このアダルトチルドレンにはいくつかの型があり、ひたすら真面目な優等生になることで家庭を落ち着かせようとするタイプや、なんでもお世話して小さな母親のようにふるまうケアテイカ―タイプ、暴れて問題を起こすことで親のアルコール依存症という問題から視点をそらせようと必死な不良少年タイプなどがあるんだけど、その中に「ピエロ」という型がある。
ピエロのように笑いを取ってその場の緊張を見えなくすることで問題から逃げようとする対応を反射的に取ってしまう子供の事だ。

プロのコメディアンにはピエロ型がすごく多い。

コメディアンがギャンブルやアルコールに依存したり破滅的な行動に陥るのは、この背景があるからだと嗜癖(しへき。アディクション)の授業で何回か触れられた。

嗜癖というのは、なにか問題があった時にそこから逃げるために何かに依存することで、それが特に社会的身体的に大きな問題になるようなことを指す。
アルコール依存症や薬物依存などの物質依存、仕事や買い物、ギャンブル、セックスなどの行為=なにかすることに依存する行為依存、ヒモになったり彼氏がいないと生きていけない恋愛依存や子供と離れられない親子関係(母子が圧倒的に多い)という関係依存という3つに分けられる。
最も問題なのは物質依存、次いで経済的にあっという間にアウトになるギャンブル依存あたりが問題視されているけれど、万引きや盗撮にハマる嗜癖もある。これは逮捕拘留起訴されたとしても、理解ある医療につながらなければ改心や更生は厳しい。

これらの根っこは全部ひとつのところにいきつくことが多い(絶対とは言わない)。
子供の時の親子関係や、家庭環境。機能不全家庭で長い事ツラい状態を強いられた子供時代を過ごしたという事。
本当はもっと複雑で問題が見えないようになっているのが問題なんだけれども、非常に端的にいうなら、虐待や育児放棄。

このピエロという型は、笑いでその場の空気を支配しようと必死なのだ。
アホなことをして親が笑っていたり、その場が和むなら死んでもいいという、命がけで反射的に笑いをつかむように厳しい訓練を重ねてきたわけだから、コメディアンになる素質は圧倒的に高い。

喬太郎師匠の動画を見ていると、とにかく客席の反応を見ているし、反応を心配している(これはすべてのコメディアン、それ以外の人前に出る人はそうだろうけれども)。突然大きな声を出したり、突拍子もない事を言って驚かせて、人の意識をつかもうとするのがまるで脊髄反射の鮮やかさ。
根っこにあるのが、不安なのだと伝わってくる妙な緊張感。それをそう見せない声の良さや落ち着き払った態度。
だからこその人を小バカにした切り口やブラックなネタが、最高にぴたりと決まる。
話芸というか話術というのか、日々の鍛錬もあいまって、包丁はこのようにいれるべしみたいな圧倒的な切り口を見せてくれて、惚れ惚れする。自分の不安を話芸にしてしまっている(ちょくちょく「怒ってませんか」とはさんでくるタイミングがうまい)。感情のメタ認知からの反射的な行動に落とせる視界の広さと重心取りの巧さ。
チケット取りたいので今探しているところです。

やすきよ漫才で一世を風靡した横山やすしがアルコール依存症で他界したのも、桂枝雀が鬱で自死してしまったのも、何ら驚くことではない。そういうギリギリの破滅の境界線にいる人たちで、なおかつ才能があり、よい師や舞台に恵まれた運の良さをあわせもった特別な立場にあった人たちだったからこそ、あれだけの事ができていたというふうに見ることだってできる。

根本にある人に対する不安や恐怖心。
これが笑いという芸能の裏に強烈にのしかかっているのが、今なら見える。

おそらく人前に出る時は、足がすくむ体験をしたこともあるだろう。
多くの人に「あいつはなっちゃいねえな」と半可なクソレビューをつけられる事は避けられない。
観るのとやるのは天と地の違いだ。
その圧倒的な不安の場数をすでに踏んでいるピエロは、だからと言ってその不安が消えるわけではないが、傷になれているというだけでさらに傷を負いに戦場に出ていく。

そういうものが、笑いという芸能にはつきまとっている。
YouTubeで適当に見ているだけでも、それがほのかに立ちのぼる。


ああ、でも個人的に妙に引っかかるのは、実は古今亭志ん朝。
圧倒的にファンの多い名人と言われる人で、お手本のような落語をするという。
私はちょっとそのお手本っぽさがよくわからないんだけど、なんというのか、とにかく神様のように憧れているファンが多いなあという印象がある。
確かに上手というか、引っかかりもなく、趣きもあって、ファンの皆様の言いたいことはわかるんだけれども、個人的にはこの人から発せられるのは「昭和の男尊女卑スタイルのホモソーシャルの上のクラス」っていう感じなんだろうなあと。

あんな先輩がいたらどれほどいいだろうという、ホモソーシャルな男たちのアイドルって感じがする。
ホモソーシャルは、同性同士の友情というか上下関係をうまく組み合わせた信頼関係みたいなものを表す言葉で、すごく仲のいい部活仲間とか、サークルとかに出現する。

「女なんてわけがわからない物どうでもいいじゃないですか、女郎買いに行きましょうよ、兄貴!」みたいな。
それを粋になだめて取りまとめて、挙句に大酒飲んで女を買いに行く。
それに憧れて、もうほぼ恋!みたいな感じの男たちが…すごくたくさんいる感じがする……。

これもなー、けっこうな闇だよねぇ……。中にいる人間はすごく気持ちいい(いい仲間に恵まれてる!って実感や日々の愉しさ)と思う。

それ自体はどうってことないんだろうけど、そこに盲目的に夢中になっているという自覚がほぼない。そんなに兄貴の事、好きなんだね……大好きなんだね、みたいな。
元彼にいました、とにかく大好きな男友達を何より優先してしまうタイプが。
(ちなみにその男友達というのが結構有名な作家で、一度ちょっとした事件を起こしてニュースになった時、もう別れてずいぶん経っていたけどかつての恋敵に土をつけてやったような気分になったね…)
あ、男子高出身って言ってたっけ。

あのホモソーシャルの中で、大変心地よく競ったり認められて喜んだり、お山の大将に祭り上げられたりしている様子は、とっても平和である。
ままごとのように、平和である。

そこから外れてしまった時、彼らに道はひとつも残されていないくらいに、心酔している。
洗脳状態といってもいいくらいの。

それが、うすらさぶい。

平和なままでいられたらいいけれど、そうでなくなったら。
気が付いたら井戸の蛙どころか茹でガエルになっていたら。

そして、その時なんとかしようとすることさえ、男はそんな事しちゃいけないとか、女にそんな事をさせるのは男として沽券がとかいい始めたら、地獄を見るのはこっちだよ。っていう実体験があるのでね。

なので、志ん朝はファンのスタイルも含めて楽しく観るのだけれど、最後にうすら寒い気配を黙って感じている。


柳家小三治師匠もYouTubeでちらちらと見ていたのだけど、この方は陰気で緻密。なのに笑える。
なんででしょうねえ、落語っていう完成された世界ってことなのか。
当然、うまいっていうのはあるけど、陰気なのを隠そうともしない、ピエロタイプとはまた違うスタイルの必死さがあって。


噺家をテーマにした漫画や、それのアニメなど人気があるみたいで、実はまだ私は観ていないんだけど。
でもYouTubeをちらちら見ているだけで、これだけのぞっとするものが見えてくる。笑いながら。
そりゃあ物語のひとつやふたつ、簡単に生まれるくらいの、そういうものはあるだろうと思う。


ということで、チケットを取ろうと思う。
ちょっと怖いけど。

追記:
落語を観るのは面白いやつから見ていかないとちょっと理解できない時があることがわかってきたので、YouTube自主学習のリストを考えてみました。

ここから先は

0字

¥ 180

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

つよく生きていきたい。