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両替は割り切れず、少しずつ目減りする、人生みたいだね

いろいろ迷いながら、とりあえず異国の現金を手に入れた。

スイスのアートバーゼルに行くので、スイスフランをいくらかと、前回書いたように宿泊先が二駅先のドイツなのでユーロを少々。


しかし新宿駅はいつまでもダンジョンである。
無駄にへんな道のりで両替所にいった。
途中わからなすぎて、ビルの警備員さんに「お尋ねしてもよろしいでしょうか?」という一場面までありました。キャナイアスクサムシング?ウェアイズエクスチェンジカウンター!?
警備員のおじさんは「よくある質問」の中でも特によくある質問として対応してくれた。

別の場所に寄る予定もあったので地上に出てしまい、また地下に戻るという新宿ダンジョン
JRの駅から行ったのだから、素直に地下からいけばよかった

すぐそこなのに!
なぜわからぬ!
おお、それがダンジョン・ステージシンジュクステーション!

とにかくですね、ユーロとアメリカドル以外は現地で換金した方がいいとか、クレジットカードの少額キャッシングもできるのでそれほど持つ必要はないとか、お役立ちティップスがあちこちで書き散らかされているのは知っている。

とはいえ!鵜呑みにできないし、どのくらい必要なのかわかるような場所やイベントに行くわけではない。
わからない、わからなすぎてわからない。
いくら持っていけばいいのか。
なんとかたどり着いたカウンターでもまた難問を提示される。

「スイスフランを100と…ユーロを50お願いします」
「スイスフランは100フラン札にします?20と50と100があります」

なんでそう割り切れない提案なの!?
いつもいつもそうよ、あなたはいつだって割り切れないことばかりよ!
そうやって、少しずつ大事なものが減っていく。

フランス映画にありそうなセリフを叫びたい。

50と20と20では90だ。
別にそれでもいい気がする。
100じゃないといけない理由はないから。

あー、あー……「20を5」

細かいほうが何かといいから、という割り切りをした。
1万円札より1000円札のほうが結局便利というあれだ。

「ではユーロは?」
「あ、あ、あの、20を2、10を1」

なんで、次から次へと決められないことを決めることになるのか。
決めねばならぬのか。


「理想の未来」を誰もが勝手に想像してそれに向かっていろいろ努力したりするというフレームワークを、多くの人が本気で信じている。
それが間違っているわけではないと私も思うけれど、実際は誰も「理想の未来」なんて描けないのだ。
だって、知らないしわからないんだから!
もし今の自分で想像した未来であれば、それは無知でバカで未熟な人間の考える理想像だ。
誰があんな津波を伴った大地震がくると想像していただろうか。
ロードマップの途中に「ここで大地震でライフラインが数か月停止」とか、入れているだろうか。世界的パンデミックが起きて、多くの人が自宅待機を余儀なくされるとか、入れていただろうか。
ない。
よしんばそういう予測などをすることができたとして(政府単位やグローバル企業などはやっているのだろうけれど)、その予測と自分のやりたいことは同じ机の上に載せられるものかどうか、想像できているだろうか。

現金がいくら必要かもわからないのに、両替する。
ちょっとくらい余ってもいいじゃない、という余裕があれば何も考えずに「200スイスフランくらい用意しておく?」と気軽に言えるだろうし、そもそも外貨持ってるよね、たぶんね。
自分の範囲外に行くのだから、そもそも金から用意しなくてはいけない。日本円が使えないし、日本語なんか無意味。
そして、世界史の教科書でかすった程度の記憶で覚えているだけの場所へ行くのだ。
(ありがたいことに、今回は日本語をしゃべる水先案内人パイロットがいるので日本人向け観光ルートから外れているやり方になっている)

アートの事も、ヨーロッパの事も、スイスの事も、ドイツ語も英語すらわからない。私の英語の感覚は雰囲気と1単語に50秒くらいかけてなんて書いてあるか理解するくらいのゆっくりさなので、いろいろダメです。

わからない世界に、突っ込んでいく。
大気圏に突入するようにあらゆるものが、あらゆる価値観が燃え尽きながら。金も、自信も、今までの何かキャリアのようなもの、私が後天的に身に着けたと思うもののすべてが燃え尽きて使えなくなっていくような気持ちだ。

いくら金を持っていたらいいかもわからない。

友達たちが、私がアートバーゼルに行くことをとても楽しみにしている。
「人生変わるよ」と、何人かが気軽に言う。パニック発作で通ってる主治医まで言う。勝手なことを言ってくれるなよ、他人のシンデレラストーリーや成り上がり物語、ジャイアントキリング、そして転落物語まで、みんな自分と自分の関係者じゃないから無責任に楽しめるんだよ。

でも、無関係だろうが友達だろうが、つまらない人間は本当につまらないので、幸せや安心よりも面白さを選んだ私の選択の正しさの証明のような気もしないでもない。
でもでも、他人にとっての楽しさ面白さではなく、私にとっての面白さであるべきでしょう!?

自信も金も言葉も失って、飛行機や移動でダメージを食らっていく世界。
美しいものが見れるのかもしれない。
見れないかもしれない。
これが人生で最後かもしれないし、ここから何かが始まるのかもしれないし。無事に戻ってこれたらそれでいいのかもしれない。


私が葬式に流してほしいと思う曲はいくつかあるんだけど、ザ・ハイロウズ「Too Late To Die」なんかすごくいいなと思ってる。
特に出だしの「そうだ俺はブリキのコインだ」「レートのないブリキのコインだ」というところが心臓をギュッとつかむ。
円安とかユーロとかフランとか言わない。両替できない。レートがない。
それが、価値のないものという意味にも、唯一無二の取り換えの効かない価値のあるものとも読むことができる、とてもシンプルなフレーズが大好きだ。

外貨両替所の前で、この曲を流したい。葬式でも流したい。たぶん葬式しないと思うけど。
死ぬには遅すぎたし、コインなのにレートがない。

死ぬには遅すぎた


100スイスフランと、50ユーロを持って、飛行機に乗る。

「あ、日本円でも何万円か持っていった方がいいですよ」
旅行に金を持っていけというアドバイスは、前に働いていた時に「北海道に行くならお金をいっぱい持っていって。おいしいものたくさん食べないと」というアドバイスから二度目です。
北海道には、まだいったことがありません。

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つよく生きていきたい。