私信:完成度と売ることについて

完成品じゃないとお金をもらっちゃいけないというのは完全に思い込みだし、消費者としての甘えの裏返し(売られているものはたとえ少額でも完成度が高いものでなくてはいけないと思っているし、売り手にも勝手にそうあるべきと思い込みを押し付けている)でしかありません。

経営者としては「いかに完成度が低いものを高く売るか」が腕の見せ所。
作り手=売り手(経営者)になる作家さんは、そこが混乱しがち。
(もうちょっときれいな言葉で言うなら、今の商品をそれ以上に素晴らしく見せたり伝えたりする方法を考えるという事に近い)

作り手は完成度を高める事が至上命題。
売り手は、コストをかけずに利益を上げる事が目的。完成度を高める事は比例してコストが上がることがおおい(そうでないものもある)

作り手としての不満、売り手としての不満、どっちが重いのかはその人次第。ただし、売れるという事は売り手の力に頼ったほうがいい場合のほうが多い。

やらなきゃいけないことは、未完成でも売り出す事。(その代り、売りながらクオリティーを上げ続ける事)

未完成でも売れるものでなければ、結局完成品が売れる可能性は極めて低いという事です。ちなみにご祝儀買い(知り合いが買ってくれる)のは売上数にカウントしませんが、お金はありがたく頂き、全部クオリティーを上げるためにつぎ込みます。

モノを売った事がない人がモノを売る(サービスを売る)という時にはものすごく思い込みが強すぎて、正直経験のない人たちがあたま突き合わせて話していても無駄だと思います。素人のブレストなんか無駄の極みです(その無駄に何かを生み出す可能性があるというものなので)。

売った事のある人に話を聞かないと意味がないです。

または実際に本気で売って、ものすごく人に傷つけられて消費者の暴力を知り、自分がどれほど恥知らずで暴力的な泥棒だったのかを思い知ることも重要だと思います。

メルカリでうかせた数百円は、それを作っている人やメーカーの数万円をえぐり取ることになります。メルカリの是非はともかくそういう事実は裏にあるという事です。
買い物をする人は、他人の痛みなんかどうでもいいんです。いい買い物ができたと喜んでいるでしょう。
そういうのが、自分も常にやっていることだと思い知った上で、自分もモノを作って売る場に出ていく訳です。「メルカリで安かった」と喜んでいる普通の人たち相手にモノを売っていくんです。
モノを売る、サービスを売るという根本的なことは、そういう事です。

完成度にこだわることは、売り手として未熟と言わざるを得ません。
作り手としては重要なことですが。
(ただモノを売った事がない人は当然そういう段階だと思います。恥ずかしい事ではありません)

消費者は暴力的で冷酷で「安売りじゃないと買わない」と平気でにこやかにいいます。常に売り手からモノを奪おうとしています。自分が毎日そうしているように。(そういう消費者を包括的に誘導する大きな会社もたくさんあります。それもひとつの売り方ですが、個人でそれができる人はあまりいないでしょう)

そういう人たちは、こちらの考える完成度の事について、どんなふうに思っていると思いますか?
まったく考えていないケースの方が多いと思いませんか?
自分のいつもの買い物を思い出してください。これを作った人は、どういう工場にこれを発注したのかな、原料はどうやって作られたのかな、パッケージはどう考えたのかな、保管はどうしていたのかな。
お店に卸す時の最初の商談はどういう経緯だったのかな、手数料や卸値(下代)はいくらで、お店がどれだけ持っていくのかな、そして私の払ったお金の何パーセントが作った人に届くのかな。
そんなこと、考えた事がない人のほうが多いし、それが悪いわけでもありませんが、単純に愚かなことです。(愚かだからと言って罪にはなりませんが)
そういう人たちに、あなたの考える完成度って、どれほどの意味を持つと思いますか?

大抵、発信したものや事は、平気で踏みにじられ崖から捨てられ、見向きもされないのです。

だからといって、相手を馬鹿にした商品を作って売ればいいということでもありません。

意図してうっすらとした詐欺をするというのもありではありますが、それがやりたいならそうしたらいいと思いますし、やってる人も多いです。
が、そうじゃない場合は、もう少し考えるべきだと思います。

自分がやりたいこと。
それは自分にとってどういうことなのか。どういう状態なのか。
それをどの手段で実行するのか。

他人に踏みつけられるのは納得がいかないのに、自分は結構平気で他人を踏みつけているものです。
それを、受け入れる事。それがなければ、モノは売れません。

踏みつける事が悪いわけでも、他人に踏みつけられても黙っていろという事でもありません。そこは勘違いしてはいけないと思います。
事実と感情を切り離して。切り離すことはどちらかを押しつぶす事ではありません。苦しいなあと思いながら事実を見るという事です。(やり過ぎると自殺しますのでほどほどに)

悪い事ばかり書きましたが、当然すごくいい事も多いです。
お金を出して買ってくれた人というのは、しがらみや感情、作り手の性格とかどうでもよくて、その「もの」がいいと思ったという事です。こんな圧倒的な肯定のサインはありません。
私は個人を評価されるとかかなりどうでもいい事なので、モノが売れた時の喜びは筆舌に尽くしがたく、そのために生きていると思います。ビジネスがあるから私は生きています。

自分が考える完成度にこだわるのはほとんど意味がないというのは、こういう背景があるからです。これは背景のひとつにしかすぎません。ほかにもたくさんの理由はあります。

完成度にこだわることは、自己満足に過ぎない。
客から見ての完成度に焦点を合わせる事のほうが重要です。
しかし、客という存在は非常に冷酷で暴力的です。そこに殴り殺されないようにしながら、相手の欲しいものを探して自分の持てる技術を提供するのです。
そのつり合いが取れるとモノは売れるし、そのつり合いが取れる重心はいくつもあります。ひとつではないのです。
ここも勘違いのもとで、完成度とはたった一つの点に集約される=答えはひとつしかないと思いがちですが、そんな事ありません。結果が出せるだけの答えは複数あるのが普通です。

○自分の考える完成度には意味がない
○他人は自分の都合のいいものをいつも探している
○他人の欲しいものに対して自分がやりたいことや持てる技術でサービスを提供する
○売れるポイントはひとつじゃないので絞り込んではいけない

たとえライターになって稼ぎたい!という夢があったとしても、目的はお金を稼ぐことなのか、文章にファンがつくことなのか、有名になってちやほやされたいのか、いろんな側面があると思います。
他人の期待に応えるとか、カッコイイ生き方とか、外からの圧力でそれを達成しようという気持ちになっている事もあるでしょう(与えられた夢なんてそういうほうが多い)。
それを全部取っ払ってゼロから考えるのはむずかしいと思います。
なので、非常に単純に「お金」という切り口から考えるのは、とってもわかりやすいものです。

単純に売るという事は、自分のような非情で暴力的でバカで上っ面しかみない愚かな相手と向き合う事でもあります。
そこで、自分も相手も尊厳を失わずに自己主張しながら利益も得ていくというのは、並大抵の事ではありません。
だから普通の場合はみんな撤退していきます。消費者でいる方が楽です。
でも、本気でそこに打って出るとか、そうじゃなくても滑り込んで何かやれないかとか、道はいくらでもあると思います。

いくらでもある道を探そうとしない事が、唯一道を閉ざしてしまう事なんだと思います。

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