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良心を満たすという麻酔

ドクターマーチンのサイトを見ていて、ヴィーガンというサインのついたブーツがあるのに気が付いた。
動物性の素材を使っていないという意味だろうか。
色のいいものだったので、その時は特に気に留めていなかったのだけど。

私は全然ヴィーガンじゃない。
毛皮なども、全然抵抗ない。先日は革ジャン買ったし。

ヴィーガン向けといって、化学素材でつくったものは、もしかしたら普通に革や動物素材を使うよりも環境負荷が大きいものがけっこうあるんじゃないのかなと、ふと思う。

最近はプラスチックごみを減らすためにといって、今まで洗剤を使わないエコなお掃除のためのメラミンスポンジが一気にやり玉に挙がってしまうし、アクリルたわしも似たような対応をされていた。

何が正解かが、全然わからない時代だ。
正解が2年ごとに変わっていく、みたいなことも起きる。

そうなると、全方位になんとなくフォローして配慮している気配を出しておかないと、変なやり玉につき上げられたりする。
とはいえ、全方位に配慮って、なんだろうか。
革のブーツのドクターマーチンがヴィーガン素材のブーツを出す。
ワコールがひらひらとレースをふんだんにつけた女性っぽさのあるデザインのメンズラインをだす。
それぞれの方向性を模索している感じ。

こういうのを見ていて、もちろん意味があって必然的にやっているケースと、単なる「時代への接続」「世の中の道徳的な良心のフォロー」みたいなものの為にやっているせいで、なんだか不自然になっている感じはたまにあって。
ヴィーガン素材ですー、化学繊維たっぷりなので環境破壊は一段と進みますー、みたいな感じの事も、まあ起きちゃいます。

ここで未来を見据えて戦ってもがいているというのと、何となく全員の良心を満たすという妥協としてやっているのと、違いはあるんだろうか。
みたいなことを考える。

やってることは同じだ。
同じくもがいて試行錯誤している事は確かかもしれない。
でも、「全員のなんとなくの良心を満たす」ためのいびつなプロダクトを作ることという、言い訳を必死にしないといけないのか?

なんとなくの良心は、確かに攻撃とかされないだろうし、いい印象を持ってもらえるかもしれない。誰かに。

誰かに。

それは、誰なんだ?
ふわっとした誰かの、なんとなくの良心を満たす言い訳をたくさんすることが、今を生き残る戦い方なのか?

まあ、そうかもねって思うのと、バカにすんなよという思いが両方ある。

誰かの良心を満たしていれば、とりあえずはしのげるというのは、麻酔みたいなもんだと思う。

かといって、これだという方法がなければこの方法でいくしかない。

麻酔はすぐに効かなくなるし、社会はどんどん変わっていく。
今まで固定でやってきた昭和スタイル、インターネット以前の仕組みやルールは本当に大変な状況になっていると思う。下世話雑誌SPA!が世界中から怒られるとかすごいと思う。
で、たぶんなんで怒られているのか、本質的には何にもわかっていない。なんなら「僕は女性には優しいのに!」とか思っているセクハラおじさんみたいな状態が、ずっと続いている。
なんとか怒られないように、よくわからないみんなの良心を満たすような道徳的な、平等な、そういう対応をしなければしなければしなければ・・・・・

こんなに世の中に正解がなく、答えがない時代を生きるハメになるとはおもいもしなかった。
そんな中でビジネスをやり続ける事になるとは思いもしなかった。

良心を満たすという麻酔だけでは、なにも解決はしないと、本心では分かっている。でもとりあえずは、それをやらなくてはいけない、と焦ってもいる。社会の一部が。

そのことについて、ずっと考えている。
でも答えは、なかなか出ないよ。

とてもむずかしい。

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