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真珠はいつか牙をむく

真珠って、冠婚葬祭色が強くて、どこかドン臭いイメージがあった。
それは、あまりに高級品で、それなのにひとり1本は持ってないとダメみたいな押しが強すぎて庶民はみんなプラスチック製の模造品に走った結果、ドン臭いものになってしまったんじゃないかと思う。

だから、90年代半ばから、急に真珠は採れなくなってしまったという。

養殖している海域の汚染が進んでしまった事、母貝の感染、いくつかの要因が重なって、全世界から称賛された日本の真珠は、どんどんと小さく、小ぶりになっていった。

同時に、養殖の技術は海を渡って、各国で真珠が作られるようになった。
南洋真珠と呼ばれる白蝶貝や黒蝶貝(タヒチの黒真珠がとても有名)はとっても大きな珠に育つし、中国で作られる淡水真珠はバカみたいな量、真珠に埋まって死んじゃうんじゃないかという量が生産されている。

それでも、やっぱりアコヤのこの妙なギラリとした虹色はすごいと思うんだ。貝の中から取り出して、ダイヤモンドなどの宝石と同列にしてしまう気持ちはとってもよくわかる。

この真ん丸なアコヤ真珠は、13ミリくらいあるかもしれない。普通、9ミリ以上のアコヤ真珠はめったに取れない。だからこのサイズで質の良いもの(傷やへこみがなく、輝きが強くて均一で、真球に近いもの)は、平気で数十万円の値段が付く。一粒、数十万円。場合によっては、百万円なんてすぐだろう。
(ネックレスや指輪に加工されて私たちの目の前に現れる時には、気軽に100万円をこえてくる)

この真珠は、大きさこそ申し分ないけれど、傷や形で弾かれてしまったもの。

へこみや傷や、ダメなところがいっぱいあるのが素人目でもわかる。

それが、むしろ虹色の凄みを増しているような気がしているのだけれど、傷のない美しさが身上とされる基準では、ダメな子になってしまう。

これも、形がわるい。ウルトラセブンみたいなひれ(セブンはひれじゃない!)がついているせい。

でも、どこか絹のドレスの裾をひるがえしているような気配だったり、もちろんアコヤ特有の虹色が見えたり、大きさはガツンと10ミリくらいはある。

こんな、海の中でそれらは息づいていて、真珠貝の生命力の結果作られる。

それは歪んでいて当然なのだ。とても、とても凶暴な存在そのものだから。

高額だからというのもあって、私はなかなか真珠そのものに触れる機会がなった。あっても安い淡水パール。
それが悪いわけじゃないけど、アコヤ真珠のぬるぬるとした虹色、上質なものはまるで妖精が存在するならそんな雰囲気だと思う妙な透明感を湛えていて、どうしようもない吸引力を持っていた。
値段なんか忘れるほどの。

よい真珠は、ミキモトに行けば買えます。
数十万円、数百万円出せば、ちゃんと買えます。
だから、間違いなくそっちをお勧めします。
でも、わたしはそうじゃない傷や歪みの多いからこそ、真珠の美しさを愛するようになったと思う。

真珠はいつか牙をむく。
ただ丸く美しい光りを反射しているだけではない。
傷があり、へこみがあり、歪んで、時に不純物が混じっている。
同時に、きっぱりと虹色を宿して。

南洋真珠はもう少しマットな質感で、全体的にほがらかさがある。
でもアコヤ真珠は、ヤンデレ系。情念を腹の底に湛えているくせに、つつましい振りをしてネックレスに納まっている。
だから、一粒に戻してあげると、それは猛烈な個性を見せ始める。

あなたも、わたしのことみんなとおなじって、おもっていたんでしょう?

真珠はぽつぽつと恨み言を言いはじめる。
虹色はギラリと光り、人の浅はかさを哂(わら)う。

たった一粒の重量感と、情念、ひとの心をかき乱すような光り方がそこに宿ってる。それは一見とっても清楚なのだけれど、幼いわけではない。まっすぐな恨みは、あまりに透明なだけだ。

そんな訳で、気が付くとたった一粒の真珠にすっかり心を奪われてしまっている。小悪魔どころの話ではない。しゃべりも動きもしない小さな一粒に、ひとは平気で数百万円を支払ってでも手元に置こうとする。
多分、勝手に真珠に愛されてしまって、結局はその真珠を愛してしまうしかないのだ。ヤンデレ系はハンター。

愛されてしまったら、終わりです。
どうしたって、愛してしまう。

つよく生きていきたい。