お金を得るうつわ

「お金を得るには器が必要なんでしょうか」
という話があった。

わたくし、所得で言ったら低所得層なので、正直大金を持つっていうのは実感がないのだけど、売上額はずっと右肩上がりで商売を作ってきている。

そこからの実感では、まだあんまりこれというものはないんじゃないかと思うけど、ひとつ思うのは「お金を得る事に器はいらないかもしれない。運の良し悪しで給料は決まる(いい家庭に生まれたり、いい学校に入って恵まれた人間関係や技術を得る環境にあったりとかも運だし、それらによって就職はかなり左右されている)。だから、お金を得る事には器はあんまり関係ないかもしれない。ただしお金を使う事にはものすごい器を必要とする」という事だ。

お金は使う時に我々を試すんだよ。
ほんとに。

100円でも、500円でも試されているけれど、10万円とかになるともうちょっと試される。300万円だと数年間との引き換え的に悩む。
1000万円以上だと、けっこう人生を考える。

お金って時間と連動しているんですよね。現代社会の生活では。

このお金を失ったら、自分の人生という時間にどんな打撃があるだろうか。
働きづめなくてはいけなくなるのか。
贅沢はできなくなるのか。
貧乏な服を着てイライラして過ごさなくてはいけないのか。
そんな事を考えるわけです。

どう生きたいかを、めっちゃ問われる。

その時に、そういう事に振り回されずにスパッと的確なお金の使い方ができるかとか、ビビらずにいられるかとか。
人間としての器が試されるのは、まさにそこ。

マンション販売の現場にいた時、1000万円くらいの小さなファミリーマンションを買おうとしたご夫婦の旦那さんが、家を買うとなったらものすごいビビっちゃって眠れないしご飯も喉を通らなくなってしまったので、申し込みを取り下げると奥さんが伝えてきたことがあった。
営業さんたちは全員「何その小心者!」と半ば驚いていたけれど、けっこう悪辣で有名な企業だったので担当営業のおばさんが食い下がって「でもね、もし旦那様に何かあった時にはローンは払わなくてよくなるんです。もしも、もしもですよ、そういう時に奥様にご自宅を残してあげられるんですから。住むところさえあればなんとかなります。でしょう?」みたいに、お前が死んでも問題ない的な詰め方をしていて、結局その小心者の旦那さんはローンを組んだ。

このエピソードをそばで見ていて、いろんなことを考える。

貯金をすることでは、人間の器を試されるような場面は多くない。工夫や効率を考える場面は多いし、たまに意志の強さを試されるような事はあるけれど。
でも使う時には、本当に試される。
試されるから、逆に目をつむって何も考えないようにしてエイヤッと振り込んだり、あるいはながーーい分割にして痛みを分散させようとしたり、まあいろいろ。

つよく生きていきたい。