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ファットアイズ

うっかり真珠商みたいなことになってしまって、真珠のことばかり考えている。今までまともな真珠のネックレス一本持っていなかったくせに。

しかも普通の真珠ではない、桁違いのモンスター真珠。
ワーォ、意味がわからない。

で、とにかく、見たのです。実物を。
そして宝飾展示会にも行ってパールブース中心にひたすら見て回った。

大量に見る機会は、それだけでものの質感を得ることができる。
南洋真珠とアコヤと淡水の違いくらいは当てがつくようになりました。

無駄に目が肥えた。ファットアイズ。
(まだ値踏みはできない段階)

ところが、最も肥えたのは、真珠に対してじゃなくて、真珠の画像についてなんだという事が発覚したのです……

この真珠のバロック珠、乳白色に虹のような柔らかい光りが浮かんで美しいですね。とかつて目が肥えていない時は思っただろう。
今は違う。

「部屋が全部映り込んでる……!!!」

そうです、真珠ってめっちゃ映り込みするものらしいんですよ!
しかもいいものになればなるほど鏡面のように光るので、カメラもライトもまんま映る。

花珠真珠 パールネックレス

以前、こちらのサイトを見ていた時は「へー」としか思っていなかったけれど、今見ると「さすが花球はよくカメラが映るわ…天井も映ってるわ」という目で見るハメになった。

これをほかの人が見ても、カメラに詳しい人や画像に関わる人じゃなければ、別に何とも思わないようです。
自分自身もそうだった。
同じ画像を見ても、情報解析方法が変わってしまった。

目が肥えるというのは、ふたつのルートがあると思う。
まずは情報解析方法が変わったり、より精度が上がるという事。
もう一つは、情報をどこに生かすかという選択肢が広がる事。

情報解析方法が変わるというのは、先ほどのように見る場所が変わり、同じ画像でも読み取る内容が変わるという事だ。
真珠の色を見るのではなく、映り込んでいるものを見ようとする、というような事。

そして情報を生かす選択肢を広げるというのは、同じ真珠の写真を見て、キレイとおもうのか、映り込みが多すぎて下手な写真と思うのか、よく映り込んでるいい真珠と思うのかで、行きつく先が違うという事だ。
画像について何か思い自分の撮影になんらかの教訓とするのか、それとも画像を通してその真珠の質を推し量るのか。

目が肥えるというのは、そういうところなのか。

目が肥える事と値踏みができる事はまたちょっと違っていて、そこもまたまた難しい。今までは値踏みができる事が目が肥えていることかと思っていたけど、それはひとつの面でしかなかった。

値踏みは、ものの価値だけじゃなくて経済金融的な背景でぐにゃぐにゃと変わるので、簡単ではない。あと、人間の感覚はおそろしいほど適当だったりする。そこに誠意とか、良心とかは、実はぜんぜん関係なかったりして、まあ世知辛い。大抵の人はそこで打ちのめされてしまう。

私が最初に打ちのめされなかったのは、ここで引いたらホームレスか自殺のどっちかだと決まっていたからだ。命とのバーターならどうということはないし、実際のところ世界の多くの場所はそういう軽くて安い命で贖われているので、誠意や良心は贅沢なものだ。
ものの価値の高さだけではなく低さを知ることも、目が肥えるという事になる。

そして、目が肥えたからってどうにかなるものでもないのだ。
手元に真珠がないのに、真珠の目利きになったところで、無意味。そういうもんだろう。


ヘッダー写真の真珠は、13mmオーバーのアコヤ真珠のバロックで、ヘアゴムに仕立ててあります。シルバーで作ってあるけど、ちょっともったいなかったかもしれない。ゴールドやプラチナで作ったほうがよかった。
バロックで、傷がある真珠の中でも特別に大きいものは、もう傷そのものがぞっとする魅力になっている。この真珠を少しずつ、販売しています。

つよく生きていきたい。