品川エキュート1

承認欲求のための結婚ってはなし

たまたま、他人の結婚観に触れる話を聞いた。

結婚自体、年若い人と、ある程度の年齢とではそもそも向かい合い方が違っている。
今回聞いたのは、ある程度の年齢の話のほう。

「結局、今回のお話はナシって事になったんですけどね」
第三者的な立場でそれを見ていた人が言うには、結果はそうだったんだけれど、そのお断りに至るまでの短い時間の事を見聞きしただけで、いろんなことを考えたそうな。
私もその話を聞いて、いろんなことを考えた。

まず結婚って、それぞれの家族観が相当重要な重さを持っているという事。
これは年若い頃には気づかなかった。結婚観ではなくて、家族観。
が、今ならわかる。
私は、家族というものにかなり押し付けられて生きてきた感覚が強くて、守られたとか幸せとか、まあこういっちゃなんですけど、相当そういう感覚がない。
むしろ「家族はリスク」と言い切るだけの出来事があり、「二度と連絡してくんな!」であり「死んだら無縁仏にしてもらう」ルートだと思っている(まだ30代だけれど)。

「一緒にいてこの人と家族でよかったなって思える相手と結婚したい、んだそうですよ」

はぁ……んん?

それがわかるのって、結果としてじゃないんだろうか?
これからこの相手とそういう関係になる、なんて保証はどんなに良さそうな人であってもないぞ。
と、私は思うのだが。

「お相手の男性は、バリバリのビジネスマンで、忙しくて、経済的には成功されているので不自由はないと思うけど、一緒にいる時間が短いって事は最初からわかっている事らしいんですけど、それも納得いかないみたいで」

ここは仕方ない、条件的な部分です。
わかる。

でも、それなら専業主婦になって、夫が仕事で会えない時は、なんなら近くのホテルに泊まってスキを見てあう愛人スタイルとかやればいいのに。
むしろそのほうが楽しくない?
夕飯だけ一緒に食べて、夫はまた仕事に戻るみたいな。
正妻だけど愛人スタイル。楽しそう。
一緒の時間は少なくても結婚を望んでいる人なんだから、夫婦の関係を大事にしたいという気持ちは当然あるはずで、きっと道はあるんじゃないかと思う。
四六時中一緒にいたいっていうなら、まあ、無理かもしれないけど。

「でも、それよりも『どうしてもあなたでないと』みたいな、選ばれて望まれて結婚するみたいな在り方のほうが凄く大事みたいなんですよね、彼女にとっては」

おっと、最後にわかった結婚に望む最大の効果…
自己承認欲求を人生最大レベルの完成度で強く満たしてくれるということ!

そう、結婚に憧れる女子たちの中には、多分これがある。
特に昭和的なスタイルの結婚、結婚こそが女の仕事であり、価値である、という時代の教育を引きずっている感覚の持ち主たちの、最も理想を高めてしまっている最大の理由。

これは個々人の在り方というよりも、社会がそれを若い娘に押し付けた時代があり、それがやっぱり若い娘にも社会全体にも都合がいい時代があり、そうすべきであるというプレッシャーになっていった時代の空気みたいなものじゃないかと思う。
親がいい嫁になるように心を砕いて教育してきたとか、祖母からの圧力があったとか、結婚しないと村八分とか、実際にあった。
それに従うのはよい事で、社会人として当たり前の責務である、くらいの感覚で、だからこそそこに個人の思いは差し挟む余地がなかった。

しかし個人の思いがないはずがない。
一生(建て前ではだけど)、生活を共にして、なんならその相手の子供を作っちゃったりするのだ。個人の思いが差し挟まらないはずがない。

となると、結婚で失敗したくないという思いが渦巻くし、同時にその結婚ですべてをチャラにするとか、ワンステージあげてやろうという山っ気がでるのは当然だ。

その着地点として「結婚するという事は自己承認欲求を最大限の完成度で満たすもの」というところに落ち着くのは、至極当然なのだ。

ただ、最大の問題は、それがあまりにも無意識で無自覚で、まったく別の理由のせいだと思い込んでいる(あるいは思わされている)という部分じゃないだろうか。

当たり前だけど、結婚が自己承認欲求を満たすためにある訳ではない。
結果としてそうなることは多いと思うけれど、それこそあくまで結果の話だ。それに最初はとても良くても、15年後にいきなり暴力の吹き荒れる関係になったりする。本当にそういう事があるんだよ。

「条件に合う方なら誰でもOKでーすみたいな結婚は、多分彼女の中では絶対に許される事はないんだと思いますよ」

……気持ちはわかる。わかるけれど、20代じゃあるまいし。夢見る乙女であってもすでに現実を生き抜いてきた確固たる自我と経験の持ち主が、それでいいのだろうか。

「いいご家庭の子女で、一流企業に新卒から長くお勤めしている、育ちはいい方なんですよね。その育ちの良さが災いした…」

安穏が人を弱くしてしまう、育ちの良さにスポイルされてしまう、という一面を、まさか他人様の結婚観から見出す事になろうとは。

大変興味深いお話を伺いました……。
結婚とは、家庭観であり、それはすべての人がかなり違ったものを持っているという事を知らない人が多すぎる。
そして、安全な場所にいる人は、その安全さゆえに生きる力や判断力を失っていくのだ。

きいた話なので、とにかく絶対この人はないわ!という生理的にアウトな話だったのかもしれないから、その判断の正誤についてはとやかく言う必要はないんだけど、非常に多くの事を考える話題でございました。

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