見出し画像

小説・ポイント

人類は、ポイント制を導入した。

多くの人がどこかからポイントを交付される。
交付されるルールなどは、おおまかには設定されているけれど、その交付する機関によってまちまちになっている。
基本的には、何かとの引き換えになっている。何かの作業をするとかが一般的だ。

ポイントは、交換する事で意味が生じる。
ポイントがたくさんあれば、できる事が増える。
ポイントを持っていなければ、食料を手に入れることも、寝床を得る事もむずかしくなるが、逆に言えばポイントがある程度あれば衣食住を整える事は比較的簡単になる。
野菜をイチから育てたり、イノシシを追いかけて仕留めて捌くということもしなくていい。野菜もキレイに調理されたサラダになったものや、きれいに処理してカットされた肉をポイントで交換することができる。
ポイントを持っていても、しかるべき交換所に行かないと、欲しいものは手に入らない事もある。

ポイントは意外に簡単に手に入る。
そりゃあたくさん欲しいと思ったら、それなりに大変になる。でも少しのポイントなら、ポイントと引き換えに働いてほしいという機関があちこちにあるので、そこにいって働けばいいのだ。

ポイントは、ポイントだけでは何の意味もない。
ポイントがあったからといって、ポイントを食べる事もできないし、ポイントを着る事もできない。
ただ、ポイントを持っているというだけだ。

あるいは付与されたというだけで、ポイント自体は持つこともできない。ポイントを数字で表した手帳のようなものや、画面で確認する。あるいは、ポイントを印刷した紙や刻印した金属片などを持ち歩くことで、交換のタイミングでとりだして手渡す。

ポイントは、ゼロから作り出すことは、基本的に禁止されていることが多い。大抵、国家単位で管理されている。そうじゃない事も、たまにあるけど、国家単位で管理されているポイントが一番交換範囲が広いので、みんなそのポイントを愛用している。

どんな作業をしたらどのくらいのポイントをもらえるかは、とても曖昧だ。
ある程度の基準は決められているけれど、まあそういうことにしましょうよ、程度の話で、実際には意外に適当だ。
だから同じ仕事をしても他の機関にいったらすごくたくさんポイントをもらえるなんて事はよくあるし、同じことをしても急にポイントがもらえなくなるということもある。

同じものも、急に引き換えに必要なポイントの量が変わったりする。


そんな生活になって、人々はポイント数に執着するようになった。
ポイントを持っていることがより重要になったのだ。
ポイントを使って何をするか、ではない。どれだけポイントを持っているのかを大切に考えるようになった。

大人は子供に「なるべくポイントを使ってはいけない」と教える。
夫婦は、相手がポイントを使って減らすことにぴりぴりし、相手がポイントを多く持ってこないことを深く悩む。
主に夫のほうがたくさんポイントを持ってくることが良しとされていて、妻はそれほどポイントを持ってくることはあまり好まれない事も多い。ただのポイントなのに、なぜかそういう事になっていった。

ポイントを持っていても、ポイントの使い方がわからない人も多くなり、突然使えもしない高ポイント商品に交換したりしてしまう。
と思えば、ポイントを出し惜しみする機関にずっと所属して、もはや受け取るポイント以上に消耗していくなんて事も起きる。それでもポイントが欲しいから、そこから動くことができない。

全てはポイントでしかないのに、人類はポイントの為に動くようになった。


現在、この国で一番人気のあるポイントは、日本銀行券である。

ここから先は

0字

¥ 180

つよく生きていきたい。