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ニッポンの伝統的なホテルライクはモダン家具と相性悪い

伊東温泉にある古い(が、大規模な)温泉旅館を見に行った。

ジブリの千と千尋そのままな感じのディテール。
千と千尋は大浴場や大広間ばかりが目立つけど、従業員たちの部屋の感じを思い出すとわかりやすいかもしれない。

欄干から川が見える。

なんでも、この建物は昭和初期に材木商が自分の財力を見せつけるが如く、当時の腕利き棟梁を3人も集めて競わせて作ったというものらしく、今でいえば有名建築家の夢のコラボレーションみたいな感じかもしれない(建築家は施工までしないけどノリとして)。
銘木だのなんだのと、今ではあんまりなじみもなくなった意匠と技術が細かく施されていて、確かにこれは更地にするのはもったいないだろうなと素人ながらに思った。

で、そんなジャパンスタイルの技術てんこ盛りの部屋の中に、一箇所だけモダンスタイルの椅子とテーブルが置いてある部屋があった。

モダン家具はモダン建築のためのものという叫びが聞こえる

すごい違和感!!

全然おしゃれじゃない、いやいやこのギャップがおしゃれだ、などなど見方は様々だろうけど、この違和感はすごかった。

シンプルでどんなインテリアにも馴染みます、と言われていそうなプレーンなこの椅子。なんの変哲もなくコメントもできないようなテーブル。
それがもう、なんかおもちゃみたいに見えてくる。

なぜか向かい合うもう片方の椅子はクラシックスタイル。

机と向かいの椅子に不満気なクラシカルチェア

こっちは違和感がない。
和室の広縁にテーブルセット(特にローテーブルではないやつ)があること自体が違和感と言われたらそうなんだけど、まだこの椅子の方がモダンスタイルの椅子より「ナチュラル」だった。

ナチュラルというのは、つまり違和感がない、という意味。

よく見回せば、銘木をふんだんに取り入れたドラマティックな装飾。
そして、屋内なのに庇やあがりで屋外のような演出がされている建物は、テーマパーク並みのデコラティブさ。

意匠を凝らした階段(昔は階段は贅沢さの象徴だったことを思い出す)
庇みたいなのが廊下にたくさんある

中庭をぐるりと囲む回廊。

すごくこの形が悲しみや疲弊を呼び起こす。私はこういうところで働く側だった。

昔の建物だから、行動様式が低く設定されているせいで、ぬるぬると独特な動きを中を行く人たちに取らせる。
内股ですり足、腰を低く、とにかく低く。
(床への圧倒的な信頼感。靴を履かないでも怪我をしないのだから)

ニッポンのホテルライクって、こっち???

内装のみで作るインテリア…

家具がない、そもそも布団だからベッドがない。

ホテルライクなインテリアって、とにかく寝室のことを指してる。スイートルームを再現したくてホテルライクって言ってる人はとても少ない。だから単純にベッド周り(狭くてベッドを置くだけでまあまあ部屋が埋まるくらいの部屋に住んでいるライフスタイル)のことになる。
旅館は、もちろん泊まる=寝場所だけど、どちらかというと宴会場なわけで、実際のところ現代のホテルもそういうことなので、パーティ会場か寝室かの極端な2択になっていると思う。

ただ、この旅館を体験して、パーティより小規模な「団欒」というのも大事だなって感じた。

家の中心は、団欒。すっかり忘れていた。
家の中心がベッドの人も、デスクの人も、キッチンの人もいるけれど、団欒がメインであるほうが主流だったはず。

家具、インテリアなどは、結局のところ「家の中の行為、動詞」みたいなものにかなり左右されるんだなというのがとてもよくわかった。

腰を落として低く歩く動作も、建築から求められる。
団欒という行為があるので、真ん中に机があって囲むように座布団がつく。

モダンでどんな場所にも似合うというシンプルな家具だって、古式ゆかしい建築の中では異物にしかならない。というのを、画像じゃなくて空間で体感できたのは小さな衝撃だった。ああ、私はやっぱり一面的なところしか見ていなかったんだなって、思い知らされたというか。

あと、古い建築物がなぜ不自由なのかも、インフラ面の弱さ(水回りとか防音や容赦ない隙間風)など追体験&再確認された。

とにかく、とてもよかったので、こちらの建物の見学はとっても楽しいです。200円で入館できます。喫茶室などもあって、土日は日帰り入浴もできるらしい。
私は隣の旅館をゲストハウスに直したところに宿泊したのだけど、ドミトリールームもあるけど贅沢にリバービューの個室にして、もうずっと川を眺めていた。散り際の桜がまだ残る、たまに大きな錦鯉がゆらゆらと通っていくのを3階の欄干から見ているのは本当に贅沢だった。

あと、間取り図を見ていたら、パントリーやリフト(お料理を上げ下げする)があって、かつて料亭やホテルで配膳の仕事をしていてそういう場所にいたのを思い出してしみじみしていた。
千と千尋の神隠しの、あの裏方で働くたくさんの人たちのように、私も帯紐でたすきがけをしてドタバタと走り回り、客入れの時は帯紐を戻してうやうやしく「いらっしゃいませ」と頭を下げてお通しした。
酒なんか飲んだことないのに、水割りを作れと言われてサッパリ意味が分からないまま酒と水をコップに入れたら、ずいぶん薄いなと言われたが、私は19歳くらいでホステスでもなく、なぜ笑われるのかわからなかった。
そんな日々。

私の人生の中に、こういう建物が記憶と経験として残っているし、その中での動きや仕草も、まあ残っている。そしてそれを生き抜いてきた、という事も。

ただ懐かしいというには少し重い、妙な暗がりがあの建物には残っている。
モダンな家具は似合わない。

つよく生きていきたい。