見出し画像

その感情の持ち主は誰?

先日、友人の車で具合が悪くなったら怒られた。
「何で具合が悪くなるのか言ってくれないとどうにもできないし、隣でそんな顔をされると気分が悪い」

と言われても、こっちは自律神経がおかしいので、ほんの10分でも車に乗ると具合が悪くなって気絶しそうになるし、電車も数駅でさえ途中下車をする事がある。

非常に些細なことなので、それ以外は元気だし、なぜ急に具合が悪くなったのか理解されない。
が、「そんな顔をされると気分が悪い」と言われたのは初めてだ。

基本的にソロ活動なので、単独であっちこっち行っては具合が悪くなって倒れている感じです。
なので「なにこれちょっと新鮮!」とか思ったのですが、相手のご機嫌の為に具合の悪いのを押し隠す事はできなかった。

ずっと前なら、嫌われたくなくて具合悪くなっても元気なふりをしていただろうなと思う。
だけど、別に利害関係のない友人にそんな事を言われてまでホスピタリティーを発揮する気持ちもエネルギーもなかった。
おもてなしは心の余裕がモノを言う。

気分を害したことは悪かったけど、横でグロッキーになっているだけなんだから大した迷惑ではないだろう。吐いて車内を荒らしたとかならあれだけど。

友人は、自分の運転のせいでわたしが具合悪くなったのではないかという不安等があって、結局「気分が悪い」発言になったのだろうと思うけど、こっちは具合が悪くなったことを責められ、何なら車から降りろくらいなことを言われて、なにを言うんだかと思った(実際降りてしまったほうが身体は楽になったかもしれないし、移動範囲も1キロくらいなのでグーグルマップ見ながら歩いて戻る事もできた)。
説明不足は申し訳ないけど、グロッキーで説明もできなかったし、もう相手は聞く気もなさそうで、結局黙っている事になった。

以前のわたしなら、友人の機嫌を損ねてしまったことでひどく傷ついたと思う。
でも今は、それは彼の感情であって、私の感情ではないという事の区別がつくようになった。彼の感情の責任は、彼自身にあるのだ。
もちろん、相手に不快な思いをさせてもいいという事ではないけれど、相手の感情は相手の責任だ。

ちょっと前に、テレビでお笑い芸人が「自分の機嫌は自分で取る」といった旨の発言が非常に立派だと取り上げられていたけれど(Twitter界隈で)、それがどういうことか、わかっていない人の方がすごく多い。

私も、わからなかった。

ただ、ある時すごくたくさんの人と一度に関わることがあって、その時に泣いたり怒ったり喜んだりがあちこちで起きていた。
それを見て、自分の感情と他人の感情は完全に別のものなのだと、やっと気づいたのだ。

私は他人の感情をくみ取りやすいタイプの子供だった。
相手の感じていることが、自分の事のように感じてしまう体験をたくさんしていた。
先生が怒っている、あの子が嫌がっている、あっちの子は調子に乗っている、そういう事が自分の事のように感じていた。
だからとてもツラかったし、自分の感情がどれなのかもちょっとわからなくなっていた。
そのまま転機を迎えずにいたら、他人の感情と自分の感情がよくわからないまま、それこそ隣でグロッキーな顔でいる人がいるだけで気分が悪いと文句を言うようになっていただろうし、文句を言われたら自分がそうさせたのだと非常に焦って卑屈なまでに謝ったり許してもらおうと必死で機嫌を取ろうとしたりしただろう。

なので、まあ、奴の言いたい事も分かるといえばわかる。

分かるけど、その感情の責任を取るほどの事、気分を回復させてあげるホスピタリティーなりエンターテインなりを提供する必要はない、という事もわかっている。

機嫌が悪い、お前のせいだ、どうにかしろ、と言われても、そんな程度で私の自律神経の狂いは治らない。それで治るなら、君は名医だな。病院建てるといいよ。通うわ。

自分の機嫌は自分で取る、自分の気分は自分で整える。
それは「簡単にできる」と知らないといけない。

他人に機嫌を直してもらう事がコミュニケーションなのだと勘違いしている人たちが山ほどいるけど、それはコミュニケーションではない。
それに自分で簡単に機嫌を直してもいいのだ。
他人に直してもらわないと、機嫌を悪くした意味がない、と思っている人もすごく多いけど、自分で治しちゃっていいのです。で、その上で、不愉快だった点を今後どう改善していくか話し合いを持てるかどうかがコミュニケーションなので。

他人に機嫌を直してもらわないといけないっていう思い込み、他人の機嫌は取らないといけないっていう思い込み。

他人の機嫌を取るのがコミュニケーションだという間違った認識。

感情の責任は自分にある、他人の感情の責任は自分にはない、という所有の位置。

そういう、自分と他人の区別をきちんとつけておかないと、非常に苦しい事が多い。

感情は伝染する。
好きなように伝染させてしまうのは、非常に問題なのだ。
「一体感があっていいじゃないか」という人もいるけど、それはそれだ。一体感があるという事は、一か所ダメになると全員で総崩れになるという事だ。
ちゃんと切り分ける事ができないと、一体感のせいで全員が死ぬのだ。

個は、不安である。
だから、感情のようなものであってもつながりたいと思う。
分かり合えたと思う時は、非常に幸せで楽しい気持ちになる。
が、そればかりを追い求めていくと、個である意味を失う。個の死になる。

感情を、自分と他人とで、切り分ける事。
それはもしかしたら、恋人同士や夫婦などの非常に近しい間柄ほど重要なことかもしれない。
一体化しがちな関係だからこそ、お互いがいる事で癒され力を分かち合い、苦しみは半分に喜びは二倍にするために、きちんと切り分け、お互いが個であることを把握しながらコミュニケーションを取っていかないといけない。

残念ながら、私はそういった親密な関係を長期間にわたって維持するという経験はないのだけれど、自分の感情と相手の感情がちゃんと切り分けられた上で、ともに喜んだり楽しんだり、価値観や感覚の違いをおもしろがれたりできたら、きっと人生はとても豊かで楽しいものなんだろうなと想像している。

たまに失敗があっても、そんな関係を持てる環境にいる人たちは、きっととても幸せなことだろう。

ここから先は

0字

¥ 180

つよく生きていきたい。