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自信と宝石とジュエリーと

宝石もジュエリーも、安くはない。
安くない事が身上というのが、宝石やジュエリーの役割なのです。

だから、普通の商品とは違って、何とも言えない不思議な「心理戦」のようなものが勝手に発動する。

よく知らない人たちは「私のほうが高いものを持っているっていう見栄の張り合いをするんでしょー??www」っていうかもしれない。
でも、現実は、そういう事じゃないもののほうが多い。

多くの人は、いざジュエリーを目の前にすると「怖い」というのだ。
そして、直視することさえできない。
触るなんてもってのほかだ。

高級な店構えの店舗のドアをくぐるなんて、想像するだけで「めめめめめっそうも!ご・ざ・い・ま・せんッ!!!」ってなる。

そういう人のほうが、見栄の張り合いで高いものや派手なものを買おうとする人たちよりもずーっと多い。

本当に、本当に多い。

怖くて怖くて、不安で、でも興味がある。
ステキなものが見たいし、触りたいし、でも買うのはちょっと怖い。
デパートでサッと見てくるのはタダなのに、怖くて怖くて、でも見たいから突然問屋街に行ったり、専門家向けの展示会に行ったりする!!

「スーパーで買い物ができない人が、どうして築地のセリに参加しようと思ってしまうのか……」
とジュエリー職人さんは言うけれど、わたし的には彼らの気持ちは少しわかる。

自分に自信がないから、正しいルートで宝石やジュエリーなど購入する資格がないと思っているのだ。

価値のあるモノは、裏技やズルをしないと手に入れることができないとどこかで思っている。
だから銀座のカルティエやブルガリでうやうやしくドアを開けてもらって選ぶとか無理。絶対無理。

自分にそんな価値はないから。

ジュエリーは人間力を試される。
人間としての力がない人は、ジュエリーを怖がる。
そういう面がある。
逆に、値段とか価値とかを全然わかっていないけどスッと好きなものを選べる人は、人間としての力、生命力のようなもの、言葉にしにくい確固としたものがある。

死にそうな人はジュエリーなんて欲しがらないので、ジュエリーや宝石がきれいだなーと思う大抵の人は人間としての力を持っているのだけど、その力をスッと出せるかどうかは、人によって全然違う。

怖がったり、とにかくどんな手を使ってでも割引で買おうとしたり、逆に「ジュエリーを持っているなんて私の価値観にあわない」と試したこともない無知な状態で言い切ったりする。

それが悪いとは思わないけど、実際にゆるふわ宝石商&ジュエリーブランドを動かし始めて、本当に本当にそういう心の動きを目の当たりにする。
なんなら怖さゆえに、知らない人に攻撃されたり怒られたりもする!
勝手に相手がへこんで悲しんだりもするのです。
私なにもしてないぞ!?!?

ああ、これが宝石やジュエリーの力か、と。
つくづく思いました。

モノ、じゃないのだ。あれは。
そこに何が映し出されるかは人それぞれだけど、価値観で哲学で、ある種の倫理と社会性と、欲望と美意識と、それから、どうしようもなく愚かな愛のようなもの。
今の社会で最も大切だといわれている賢さや知識などは、どっちかというとどうでもいい。

憎しみや思い出や、つながりやその断絶も。

それが、ただ美しいというだけの、何の役にも立たないモノに集約されている。
そして、それを「読み取れる人」にしか、本当の価値はないし、どう読むかでそれぞれ違う価値がある。

私の前にいるのは、自信がなくて怖くてそれでも精一杯勇気を出してやってきた人がほとんどなので、そういう人たちは確実に「勇気」をつかんでいくし、オーダーなどをすることで自分の感じていた感性が価値あるもので形を得るのでものすごく自信を持つ。
自信を持つというよりも、自信があったことを触れるもの=ジュエリーに変換することで、それをもっとはっきりと思い知ることになるのではないかと思う。

自信がない人には、こういうふうに伝えている。

「1万円以上で、いくらなら出せるかをよく考えてください。1万円でも、1.2万円でも、3万円なら出せる、でもいいです。5万円以上ポンと出せるというならちょっと違うやり方があるので、5万円以上はだせないわという人向けのアドバイスです」

「そしたら、勇気を出すならその2倍の額を用意してください。もっと強い覚悟を持つのなら、3倍を貯金して作りましょう。」

「ただし、時間は区切ります。2倍の額なら3カ月以内に、3倍の額なら半年以内で準備しましょう」

「用意したお金を何に使うかは、その時また考えてもいいです。別にジュエリーをオーダーするのじゃなくて高級な靴を買うとかでもありだと思います。でもまず、覚悟を決めてお金を用意しましょう」

お金は、弱々しい勇気を支えてくれる。
だから、勇気がないならお金を準備するのはすごく大事。
たくさんありすぎなくてもいい、でも、今考えているあなたの勇気では絶対に足りないのです。だから、せめてお金は2倍か3倍用意しましょう。
どう使うかは、また別の話です。

5万円も8万円でも、すごく素敵なものが作れます。
3万円でも自分のサイズにぴったりのものだったら、すごくいいです。

何も考えず好きなものをスッとオーダーできるほどの手練れはそうそういません。それが普通だと思います。
自信がないというのも、別に普通です。恥ずかしいことではないです。
ただ、あまりに自信のなさに苦しんでおびえている人が多すぎると思う。

宝石やジュエリーそのものの価値というのは、「それを読み取れる人」にしかない。
それだと商業的に存在させるのが難しいから、相場が整備されている。
でもひとつひとつには、個別の価値があるし、その価値はその人にしか存在しえない。

その人にしか存在しない価値を、ないものとしてバッサリ切ってしまう人は、個人としてすごく存在が儚い。誰かにとって価値のあるモノにしか価値がないと切ってしまうのは、効率的であるけれど、「外の状況」が変わった瞬間にそれは壊れていく。
逆に、誰も他人が認めないものにでさえ確固として価値を見出してそれを大切にする人は、外の状況が少々変わろうとどうという事はない。

そして、個人でしか認められない価値を大切にしつつも、社会の中で誰かとうまくやっていくとか、仲の良い友達がいるとか、家族を支えたり支えられたりするとか、そういうことは可能なのです。

ゆるふわ宝石商だけど、宝石とかジュエリーとかじゃなくて、そういう「価値観」の中にいるんだなあって。
すごく思います。

「価値を読み取れる人」にしか価値は生じない。
言葉で書かれていないミステリー小説みたい。
それが、宝石やジュエリーです。
そこには美とか、希少性とか、いろいろあるのだけど、とりあえず私は「自信」「魂の自由」のようなものに向けての導きを潜ませて、買ってくれた人に手渡していきたいと思う。
(ゆるふわだから、そんなに受注してないですけど…)


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