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無意味な日記

スクワットダイエットの本を寝転がって読んでいる。
しばらくとても痩せていたのに、最近突然太った。
突然ということはないのだけど、突然太ったとしか受け止められないのです、愚かな認知です。

工事のため取り壊された敷地から、今まで見えなかった植木が見えるようになった場所があって、そのコンセプトのなさに思わず写真を撮ってしまった。

薔薇と、椰子の木っぽいやつと、なんかヒバみたいな?

コンセプトのなさが、白日に晒されてしまって、でもなかなかバラは見事だから、それなりに見えてるのでなんとなく不問にされる感じ。

隠れてるからってコンセプトなく欲望のまま動いてると、突然表に出なきゃいけない場面がきて、うろたえる。

わたしのお腹周り。
ああ……。
ハーゲンダッツがふたつあるのよ。

最近、noteを書いてるせいで仕事の能率が下がっているような気がしている。

noteを書かない、noteはあまり神経研ぎ澄ませて書かない(手抜き)、回数を減らす、あるいはnoteを書いてなおかつビューリホーに仕事をこなす。noteに書いてる事も資産といえば資産になるワケだから、いいものを書いて悪いことはない。

なんてことをぐるぐる考えている。

生き方にコンセプトを決めてしまうと、そりゃ効率的でいいだろうけど、所詮できてコンセプト止まりなのだ。
生き方というものにおいてはコンセプトをはみ出し、ぶち壊す勢いでいなければ、コンセプトは役に立たない。

本は全て捨て、それでも残ったものだけが、知識なのだから。

別に本を捨てろって意味ではない。
ただ、ビジネスごっこしてる人は、サッサとビジネス自己啓発本は読んで覚えて捨てるくらいがちょうどいいかもしれない。

わたしは、なにかものすごい暗闇から逃げるために必死でビジネスをしてる。
儲けるとか、生活とかは、本当のところであんまり関係ないというか、本当はそんなことどうでもいいのかもしれない。

どうでもいい。
大儲けとか、社会を変えるとか、上場するとか、そうじゃない。経営者になるとか、どうでもいいのです。

しかし、仕事はせねばならない。
やる事たくさんある。

死にたいほどある。

……気を紛らせるために、なにか食べているのかもしれない。

つよく生きていきたい。