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西瓜糖の日々

おそらくちぎれたような言葉が好きなのだ、わたしは。
短編小説や、翻訳小説が好きだ。座右の書があるとしたら「人間の土地」サン=テグジュペリのロマンチックな、だけど非情な遭難の記録。

それで、たまたま本屋で見かけたけど買う機会を逃してしまっていた「西瓜糖の日々」をやっと買った。

すごく細かな章立てというか、ぶつ切れのつたない日記のような文体がつづられている。

なんとなくファンタジックな世界観なのだけれど(すべてのものが西瓜糖からできているとか)、ものすごい血なまぐさい結末になって、挙句にそれを回収しようとしない。でもフィナーレを迎える。

iDeath(アイデス)という場所、あるいは共同体を中心に、その周辺にいる人々の話?
そうかもしれないし、そうとも言えないような気もする。
とにかく全体はそんな感じで進んでいく。

感情的な、情緒的な話なのかと思いきや、実のところそういうのは全くなかった。
悲しみは存在するけれど、悲しむだけなのだ。
目の前で両親が食べられても、たとえば進撃の巨人みたいなシーンであっても、恐怖心とか絶望感とか、そういうものはない。
「八×八は?」
両親を食べる虎に、幼い日の主人公は数学の宿題を聞く。虎は答える。

アイデスというカタカナ表記だと、本当のiDeathが見えなくなる。
「ここが本当はどういう場所か教えてやろう」
といった酔っ払いたちのやった事は、おそらくアイデスとして小説を読んでいた私にはピンと来ていなかった。iDeathなら、もしかしたら、もっと彼らの所業と、それをモップで怒りながら拭くポーリーンのことも、もう少しビビッドに感じたのかもしれない。

どんな本なのかと説明を求められると、ファンタジックなスタイルを取った穏やかなデストピア、という事になるのだろうか?
でも誰も苦しんでいない。
まったく私の考える観念と違う世界観になっている。同じような行動をしているのに、まったく分かり合えないだろう。
なんで彼女の自殺を止めずに見ていたのだろうか?
その責任の一端は明らかに自分にあるであろう状況なのに。
悲しんでも、それが我々の考える悲しみとは全く違う。ものすごい怒りとか、恐怖とかもあるのに、いつもそれが遠い。

離人症になるとこうなるだろうか。

悲しみも苦しみも、血なまぐさい事件もどんどん起きていくのに、誰もそれほど困っていないのだ。

現実の世界ではみんなこれほど悲しんで苦しんで困っているのに、西瓜糖の日々では似たような事が起きているにもかかわらず誰も困っていない。

両親が食い殺されても、弟が酒浸りになって集団自殺しても、別れた恋人が首を吊っても。
「人参ばっかり食べるのに飽きた」くらいの事しか言わない。

これは60年代のアメリカ文学でヒッピー層に熱烈なファンを得たというリチャード・ブローティガンの作品。
その時代のヒッピームーブメントが彼を求めた理由を、そこはかとなく感じ取る。

一度読んでも理解できなかったし、おそらく理解というものを求めていない作品であり、それなのに世界観がちゃんと確立していて、そこに振り回されるという読書のエンターテイメント性もはっきりとあるが、誰もかれもが好む本ではないだろう。

世界が壊れていく感じを、読んでいると感じ取っていく。

これと、実は同時並行で読んでいた「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」が、まさか似たようなテーマだった。
西瓜糖の日々の前半を読んで、表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬を読み終えて、それから西瓜糖の日々の後半を読んで、読み終わった後に、じわじわと東京とキューバとニューヨークと、どこでもない世界の事が、やっぱりひとつのテーマだったような気がした。

東京に負けて、ニューヨークに押しつぶされて、キューバに答えがあるかといえば実際のところそうでもない。
この「金を稼いで金を使ってハッピーに暮らそう」という圧力の世界から、西瓜糖のそもそもハッピーでも不幸でもない日々の話を見ていると、iDeathってつまりはニューヨークや東京や、いつかそうなるキューバなのか?というイメージも浮かんでくる。
最初は<失われた世界>こそがニューヨークや東京やいつかそうなるキューバの事だと思っていたのだけれど。

「人生を豊かにする必要などないのだよ」

どこにもそんな事は書いていないけど、そういうメロディーが聞こえた。

豊かに暮らそうというベクトルについては、「表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬」を読むと2017年現在の日本として考える糸口が見えるが、じゃあそうじゃない生き方とかあり方って何なのかを考える時の、うすぼんやりとしたイメージ図としては、この「西瓜糖の日々」は、とても美しく的確なような、そうでもないような、妙な気分にさせられる。

読んでも何の役にも立たないタイプの本であり、自己啓発にもエンターテイメント性にも乏しく、共通の話題とするにも難しい、読むことで何かの利に乏しい本ではあるが、それが文化的な態度だと鼻にかける事はできるかもしれない。

マッシュポテトが食べたくなった。


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