たまに寄付をする

たまに寄付をしている。1000円とか、古本を送るシステムに参加するとか、そんな程度に。

特に東日本大震災から日本でも寄付や募金が本当に一般的になったと思う。
私も自分で寄付をすることを考えるようになったのは、あれからだ。

寄付をする先は、単純に自分ルールで決めている。

・国内の問題を解決するためのもの
・自分が直接かかわることがむずかしい事
・あまり社会から大切にされない部分

野生動物対策の研究をしている人とか、イノシシ罠を買うからお金くださいっていうクラウドファンディングなどの、鳥獣被害に対する部分にはちょこちょこ参加している。
日本の自然の最前線だと思うから。

それから、自分がホームレスになるんじゃないかという体験をしたことから、ホームレス支援をしている団体にもたまに、ほそぼそと、送ることがある。
細々過ぎて、募金したよ!というのも微妙かもしれないけど…

ほそぼそと募金していると、たまに活動内容の報告がペーパーなどでくる。
(そこにまた振込用紙とかついているんだけど)

決して私自身の生活にお金が有り余っているわけではない。
でも、なんとなく、ほんの少しの募金を、まあ半年に一回くらいはどこかにしているようになって、やっぱり少しずつでも続けているとなんとなく見え方が変わっていくものだなと思うようになった。

そのお金が絶対に正しい事に使われているのかを監視する事までして意味があるというような、ゴリゴリした考えもわかるんだけど(一応福祉の勉強をしていたので)、少しでも意志をもって応援したいところにお金を送ったという自分の判断と行動は自分にとっては重要なことだったんだなと感じる様になった。
それがどう使われているかを問うほど多くのお金を送ってはいないので、逆に申し訳ないのだけど、お金とは金額の大小が問題ではないのでそこで弱気になる必要は全然ない(強気に出る事もできないが)。
私はホームレスのおっさんにそのままお金を渡す事はできないけど、彼らを助けようとしている人たちにお金を渡してどうにか役立てて下さいと願う。極めて非力な存在なのだと、実感する。

お金をちゃんと仕組みに変えてくれる人がいる。

これが何より重要なことだと思う。
お金そのものにさほど意味はない。それをどう使うかだ。
その時にやっとお金の大小が問われる。

募金をすると、自分の無力さをものすごく感じる。

金額の小ささも、お金しか出せない弱さも。
なにもかもが、無力さの証明のようにしか思えない。
でも、お金はお金で、それを必要としている人は絶対にいる。

社会の底辺を何とかしようとしているところに、なるべくお金を送ろうと思っている。
人によっては、外国に送るとか、子供の支援とか、ペットの殺処分反対とか、いろいろな切り口があるだろうけれど、私はとにかく身近な問題で「かわいさ」を売りにできない分野で、本人たちが声をあげにくい場所を支えるサポートにお金を送りたいと思っている。
ホームレスサポートをしている団体が、どんなふうにそれを生かすのか全部は把握していないけれど、私にはできない事をやってくれていて、こっそりと心の中でお礼を言う。

お金を使ってくれて、ありがとうございます。
そんな事を言うようになるなんて、まさか思いもしなかった。

お金を送ることでこちらが偉そうな立場になれるんじゃないかという想像をはるかに裏切って、ただ無力さを感じながら、ちょっとだけお金を送る。

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つよく生きていきたい。