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“大人として”自分の選択に責任を持ちたい

基本的に、今私に起こっている現象はすべて自分自身が選択したことだという考え方を持っている。


私は小さい頃から自分の選択を貫いてきたし、(頑固な私を許してくれた親には感謝)

大学生になってから、成人してから、
今まで以上に自分の選択は自分で行うようになった。と言うより、「自分で選択せざるを得なくなった」と言う方が正しいのかもしれない。


高校もそうだが、義務教育ではないのだから行く・行かないすらも自由だ。

大学へ行くという選択をし、履修する講義を選択し、その日その講義に出席をする選択をしている。
すべて自分自身が決めたことであることが大前提だと思ってる🤔



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この大前提がまったく抜け落ちて語られることが多くある。

時々人は外部の何かにその選択の責任を押し付けたり、または自分が選択したにもかかわらず何かに強制されたように振る舞うことがあるのではと思う。


それを選択するのは自分以外の何者でもないのに、その選択に自分が責任を持とうと思うと急に怖くなってしまう。


だから自分以外の何かにつけて言い訳ができるようにする心理が働くのではないか。

生活は選択の連続だ。
例えばコーヒーを買う時、「期間限定だから」「クーポンをもらったから」「店員さんがオススメしたから」などのいろんな選択の理由を見つけられる。
もしそのコーヒーがクッソまずかったら、その責任は自分の選択ではなく、外部のそれらに押し付けることができる。自分を責めなくて済むのだ。



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人はきっとそうやって大きなストレスを回避して生きているのだと思うけど、これが癖に,当たり前になりすぎて意識すらもしなくなるとマズイと思う。


人生で一度も自分の意思で選択をしたことがない、なんて人はよ〜くいるものだ。

そもそも進学するかどうか、どこの高校や大学に行くか、習い事はどうするか、自分は何が好きで何をやりたいか。
すべて親が決めてくれ、それにきちんと従ってきた人は本当に偉い。(なぜ私は幼い頃から屁理屈&頑固だったのかは謎)



でも、みんなもう自分自身で選択しなければならない大人だ。
にもかかわらず、未だ自分で選択しない(できない?)大人も、選択に責任を持たない大人もたくさんいる気がする。


大学に行きたくないのなら辞めればいいし、
行きたくない飲み会は行かなければいい。
就活したくないならしなければいいし、
そんなに働きたくないのなら働かなければいいのでは。

大切なのは、何にも誰にも強制されていない(←これをなぜか勘違いしがち?)のだから、どうするかは自分で決めろということだ。


自分の選択は自分自身で責任を持ちたいし、それを棚に上げて何かのせいにしたり八つ当たりするのは大いに違うと思うのだ。



「大人は時に自分がしたくない選択をしなければならないし、自分の気持ちのみを考えて行動しないのが大人なのだ」

みたいな話が聞こえてきそうなことをつらつらと書き綴ったが、今、私が思う大人とはこういうものだと思っている。10年後読み返すのが楽しみ。

#大人 #大学生 #コラム #生き方 #キャリア

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