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「偏愛」なしには成し得ない



コピーライターのNobelと申します。


「Twitterで何をツイートしたらいいか分からない。」

「ブログに何を書いたらいいか分からない。」

「書くネタがない。」

という相談をよく受けます。


ライターとして
アウトプットを生業とする者の
宿命とも言える悩み。


僕もよく

「何かネタはないかな」

とネタ探しをしてはいます。


ただ

「書くことがない」

となることはほぼなくて

「書きたいことがありすぎて
時間が足りない」

ということの方が多いです。


僕が思うに
書くネタがないというのは
そもそもの「設計」から
間違っている気がします。


「なんとなくウケが良さそうだから。」

「このテーマはお金になるらしい。」


こんな風に発信の方向性を
ふわっと決めてしまっていないでしょうか?


自分の中に確固たる軸がないうちは
いろんな経験をしながら
合うもの、合わないものを
見つけていくしかないと思います。


だから

「なんとなくこれは良さそう」

くらいのふわっと具合で
発信のテーマを決めてしまって
とりあえず書き始めてみるのは
良いアプローチでしょう。


それが読者さんにとっての
価値を生み出しているなら
必要ともされるでしょう。


ですが、それでは
おそらくうまくきません。


なぜなら、そこに

「偏愛」

がないから。



僕はライターとして
身を立てていくためには

誰になんと言われようとも
動かずにはいられない熱量
読者さんへの想像力
思いやりを常に持ち合わせ
自分のエゴを消せるだけの人間力
365日、1日も休むことなく
インプット、アウトプット
脳内作戦会議をすることが
苦にならない継続性
文章を読んで頂くに値する
耳を傾けて頂くに値する
価値を創出できるだけの専門性

が必要不可欠だと考えています。


書きたいことだけを書くのでは不十分。


求められることを書くだけでも不十分。


どちらも満たしている必要がある。


これってふわっと決めたテーマじゃ
まずできないことだと思うんです。


その分野のオタク
マニアだからできること。


「偏愛」なんですよね。


文章の肝というのは
読者さんの役に立つこと
力になれること、癒しになれること
楽しんでもらえること。


これらのうち、どれか一つは
満たしていることが最低条件です。


それが僕たちの偏愛と重なった時
ライターとして強い状態が生まれます。


こだわらずにはいられない
深めずにはいられないような
オタク的、マニア的な領域だから
常にアップデートしていける。


好きで好きで仕方がない
なんだかんだで思わずやっちゃう。


こういったテーマであれば
熱量こめて発信できますし
無理なく継続できますし
より専門的な話もできます。


細かいところまで
意識が向けられるので
かゆいところにも手が届く。


しかも、それが
読者さんにもプラスになる。


どんどん読者さんが増えて
影響力も増していくことができ
実績も積むことができます。


こうして好循環は生まれていきます。


僕が発信を続けられているのも
ライティングのことが好きで

いつもライティングに活かせないかと
あらゆるものを観察して
取り込んでいるからです。


ライティングは僕の趣味なんです。


ライティングについてなら
朝まで語り明かせます。


読者さんのことを
知るためのリサーチも
めちゃくちゃ楽しいです。


コンテンツを生み出して
価値を感じてもらえて
読者さんのきっかけになれたら
最高に幸せだなと思います。


だから、僕の頭の中には
いつも何かしら浮かんでいて

「書くことがない」

だとか

「ツイートが思い浮かばない」

という状態にはほとんど陥りません。


もし、あなたが
上記の状態に陥いることが多いのなら
そのテーマにおける「偏愛」が
不足しているのかもしれません。


心の声に耳を傾けて
自身がこだわり、愛せるものを
見つけていくことも
ライターの仕事なんでしょうね。

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