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【人体実験】ナチスドイツが行った優れた人種を作るレーベンスボルン計画とは!?

はいおはようございます。
どうも、ユウキです。
突然ですけど、皆さんって親ガチャといわれる話を聞いたことはありますか?

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親ガチャとは、子どもの立場から「親は自分では選べない」「どういう境遇に生まれるかは全くの運任せ」と述べる表現。であり
基本的に、子供は親の頭のよさや外見を遺伝子として受け継いだり、親が持っている資産を受け継ぐので、当たり前ですけど、いい親に生まれたいという人がほとんどで、貧乏な家や外見や能力などのステータスの低い親に子供は生まれたくないという人がほとんどだと思います。

実際、親の年収が高いほうが子供の勉強の正解率が高いという研究もあるため、基本的には、親のステータスが高いほうが人生よくなることが様々なところで多いかなと思います。

じゃあ、もし、外見や頭のいい子供を人工的に作れたとしたら、
皆さんは、どう思いますか?

実に、世の中にはそういった人工的に、狙った外見を持った子供を作る実験が行われたりもしていて
今回は、実際に、人工的に遺伝子を選別して、狙った外見の子供を作るといった実験とその子供たちがどうなったのかについて紹介したいと思います。

それではいってみましょう。

1914年、第一次世界大戦。
サラエボ事件をきっかけに始まったこの戦争では、様々な国が他国との領地や権力そして、労働力を得るために、銃や戦車、そして毒ガスなど様々な兵器による争いによって、戦死者が約1000万人の大規模な人が死にました。

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第一次世界大戦は、最終的に、フランス側の連合国が勝利し
中央同盟国であるナチスドイツが敗北するといった結果で幕を引き、終わりを告げました。
そして当時、ナチスドイツは第一次世界大戦で、多くのドイツ人が戦死させたため、国の人口も減り、極めつけに、戦争で負けたことで国の財力も弱まり、子供を作っても経済的に育てられないなどの原因で、子供の出生率が著しく悪くなり、国としての労働力が著しく低下してしまうなどの問題に直面していました。

そこで、ナチスドイツの政策として、子供の出生率を上げるために
戦争によって夫を亡くし、子供が育てられない母親や
親が分からない孤児に援助を行う母子援助制度を導入することで、国としての人口を増やす計画を立てていたてました。

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こうして、ナチスドイツの人口がより増えて、国としての労働力を国で賄えると思われていたのですが
これが、思いもよらない恐ろしい人体実験のような政策へと変貌を遂げていったのです。

1935年。
当時、ドイツ警察長官であった、ハインリヒ・ヒムラーはこの母子援助制度を導入するために、支援団体として、レーベンスボルン、別名、生命の泉と呼ばれる女性福祉施設を作りました。

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この施設は、夫が戦争で死んでしまった未亡人が産んだ子供を引き取り、
その子供を国の運営によってエリート教育をして、立派な警察官にするといった設備で産んだ子供が育てられる財力がなくても、この施設に預ければ、子供は立派に成長することができることから、当時、この施設を利用する人も何も抵抗はなく子供をあずけられたようです。

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まあ、ここまで聞くとちょっといい話にも聞こえますが、実はここからが
悪魔の所業のようなことが行われます

しかし、1940年から、この施設の目的である子供を支援するという目的から大きく変化していきました。
なんと、当時、ナチスドイツの大統領であった、ヒトラーはドイツ人は「金髪で碧い目で高身長」である人間であり優秀な遺伝子を持っているアーリア人という人種であるという考えを持っていました。

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そこで、このヒムラーは、もし施設をアーリア人の特徴を持った子供が産まれるようにすれば政府から特別な財力が得られるのではないかと考え、
ドイツ中の「金髪で碧い目で高身長」である女性を国中から集め
レーベンスボルンでその母親に子供を産ませことでアーリア人の特徴を持った子供を強制的に産ませるといったことを行おうとしました。

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さらに、このアーリア人の特徴を持った遺伝子を選別する計画はかなり精密に行われていて、集められた女性の外見はもちろん、遺伝子的に異常がないのかも医学研究所で父親や母親の代から調べられ
完全に遺伝子コントロールされた子供を作るかなり精密に行われた計画だったらしいです。

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しかも中には子供が障害をもったり、アーリア人出ない外見を持った子供が生まれた場合、その子供は生きたまま、毒ガス室に運んで殺され、最終的には、なかったことにされたりして、完全にアーリア人の子供しかいない状態にするといったことがこのヒムラーの計画でした。

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そうして、最終的にヒムラーの計画は成功し、レーベンスボルンでアーリア人の特徴を持つ子供を作ることに成功して、政府から多額の援助金を手に入れることができたとされています。


まあ、こんな感じで非常にダークで凍えるほど寒い恐ろしいことが起きてたのですが、じゃあ、この子供たちはどうなってしまうのでしょうか?
ここから、話していきます。

もともと、ヒムラーの計画では1980年までには1億2千万人のアーリア人を作る予定でしたが、ドイツの人口だけではこの人数に及ばず、計画は難航していきました

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そこでヒムラーは、国内だけでなく国外にアーリア人の特徴を持った人種を探した結果、なんと、ノルウエー人が高身長で碧い目で金髪であることを発見しました
そして、ヒムラーはノルウエー人とドイツ人の子供を作れば必然的にアーリア人の特徴を持った子供を作れるのではないかと考え、ノルウエーにレーベンスボルンの施設を増設し、そこで、ドイツ兵士とアーリア人の特徴を持つノルウエー人との子供を作り、アーリア人の特徴を持つ子供を量産するといったことを行いました。

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しかし、それでも1億2千万人という人口には遠く及ばなかったため
ヒムラーは、ノルウエーだけでなく、1941年にルーマニアやフランスやポーランドそしてデンマークなどの占領した地区でアーリア人の特徴を持った子供を誘拐し、施設で育ているという悪逆非道なことまでやるようになりました。

この時、さらわれた子供たちは、はじめはルーマニアで25人ほどでしたが
その後、ポーランドで2歳から14歳までの少年少女が後々誘拐されるようになり、最終的に、20万人以上の子供が誘拐されたとされたと言われています。
しかし、1945年、ナチスドイツのヒトラーが自殺後
この計画の目論見である、ナチスドイツから補助金をもらうという計画は破綻してしまい、最終的にこのレーベンスボルン計画は、ナチスドイツが解体されると同時にこの計画は中止になってしまいました

そして、このレーベンスボルン計画によって、さらわれた子供やノルウェーなどの別の国のレーベンスボルンで育った子供はドイツが戦争で負けたことで、解放されるかと思われましたが周りからドイツ人であるとみなされ強制収容所に入れられたり、また、ノルウエーで生まれたのにもかかわらずノルウエーの国籍をはく奪されたりなど、非常に社会から拒絶される待遇を受けたとされています。

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こうして、ヒムラーの計画は、ナチスドイツ解体後
意味のない計画へとなり、生まれた子供たちはドイツで特別扱いされる予定だったのですが時の流れによって、むしろその特徴をデメリットになってしまい、誰も得せず、逆に社会から拒絶される悲しい結末で幕を引いたのです。

いかがだったでしょうか?
まあ~こんな感じで、実は親ガチャって、確かに存在するのですが
結局は時代によって変化するので、本当にどんなステータスが必要なのかは
分からないですね。

ここからは僕の個人的な感想ですが、このように、人工的に、外見の遺伝子を操作することで
誰かに気に入られるような外見するような遺伝子操作を国家規模で行ったのですが結局は、うまくいくかどうかは、時代の問題で
時代の都合が悪くなれば、いくら遺伝子操作で外見や
知能をよくしても、時代に求められなければ、結局は、意味がないのかもしれませんね。

ちなみに、皆さんは、はじめの話に戻るのですけど
親ガチャでどういったものが欲しかったとかありますか?

まあ、年齢によって多分変わってくると思うんですけど、
ちなみに僕は、強いメンタルが欲しかったですね。僕はメンタルはそんなに強くなかったので
高身長ですか?それとも頭の良さですか?
ぜひコメント欄にお書きください。

これからも、動画を頑張って作りたいと思いますので

ぜひよろしくお願いいたします。

では。



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