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「編集者」とは『アンパンマン』だったお話@コルクラボ編集専科

「どうやって書こうかな・・・」

今回でコルクラボ編集専科への参加は4回目となる。その度に、レポートを書いてきた僕は「少しは慣れてきたかな」と思ったのは束の間、まったく手が進まない。深夜に辿り着いた答えは「レポート」ではなく、今日あの場所で流れた空気を「物語」として綴れたらと思う。いつもレポートを見てくれた人にとって、それが良い選択ではないとは分かってはいるものの、あの場所で抱いた感情をちゃんと残すにはそれが一番だと結論づいた。そんな僕のエゴにお付き合いいただけるのなら読み進めていただきたい。

「あいみょんって知ってます?」

参加者の集まりが少し悪く、開始時間は5分ほど遅れていた。今回の講師である編集者の小沢一郎さんは、この5分を埋めるように雑談を始めた。今振り返ると、この雑談にこそすべてが詰まっていたことが分かる。大袈裟に表現しているのではなく、本当に詰まっていたのだ。

「あいみょんって知ってます?」という質問から始まった雑談。昨年に定年退職されている小沢さんだったので、最初はいわゆるおじさんの「私、最近知ったんですよ」的な話だと思った。最近あいみょんを知ったというのは間違いなかった。昨年の9月に佐渡島さんから教えてもらったらしい。そこから話の展開は意外な方向に向かった。小沢さんがあいみょんについて熱弁し始めたんです。「マリーゴールドは本当に良いよね」「君はロックを聴かないも良い」「カラオケで歌うの大変なんだよね」その言葉から、本当に好きなんだなって感じとることが出来た。ハマってること自体も意外だったが、この話の続きに唖然とする。

「マリーゴールドのミュージックビデオを何度も観たらね。そこに通るバスに“上海××公司”と書いてあるのに気付いて、クリスマスに上海に行ったんだよ。」

異常だ。なんだこの人。これは行動力という類ではない圧倒的な「何か」の差を感じざるを得なかった。きっとそれはあの場にいた人たち全員が感じたものに違いない。その「何か」の正体は、講義を通してカタチが見えて来ることになる。

小さきものたちへの応援歌を歌いたい

講義は、小沢さんが手掛けてきた仕事を紹介しながら進んでいく。その中でも「五体不満足」の話を聞けたことが感慨深かった。これは、僕が小学6年生の時に母親から勧められた本だ。早熟だった僕はカラダと共に思春期を迎えようとしている中、アトピーで悩んでいた。自分のことを鏡で見たくないと思うことがどれだけ自分の自信を失わせるものかを言葉通り肌で感じていた。大袈裟だが「なんで自分はアトピーなんだ」と落ち込んでいた。そんな僕に何かを伝えたかったのだと思うし、僕はその母親の愛情を含めてこの本に救われた。勇気をもらった。あえて強く言及すると、決して「同情」や「下を見る」という感情によって勇気をもらったわけではない、シンプルにカッコイイなって思えたことで、自分もそう在りたいと思えた本だった。

「障害者の苦闘物語ではなく、若者の成長物語を提示したかった。」

小沢さんがこの本に込めたメッセージは、しっかりと僕に届いていた。「編集者ってすごいな」という感銘と「作ってくださってありがとうございます」という感謝で胸がいっぱいになった。小沢さんが編集者として大切にされている「ポジティブなメッセージを届けたい。小さきものたちへの応援歌を歌いたい」という信念は手掛けた作品のすべての紹介からひしひしと伝わってきた。それは「なぜ伝わってくるのか」と聞かれるとシンプルな回答が見つかる。小沢さん自身が誰よりも応援しているからだ。心のそこから応援しているからこそ、そこから溢れ落ちた想いが本に詰め込まれていた。小沢さんから学ぶべき「何か」の輪郭が少しずつ見えてきた。

点と点は繋がっていく

小沢さんから今回受け取った言葉で一番印象に残ったものであり、小沢さん自身が今日一番伝えたかったことだとおっしゃったのが次の言葉だ。

「人生のどこかで触れたことが、ある日とつぜん仕事に結びつく。それまでの人生で触れたことしか、仕事には結びつかない。」

似たような言葉や意味を持った言葉は、これまでに幾度となく耳にしてきたはずなのに、心への響き方が全く違った。それは、当たり前だ。小沢さん自身が僕たちのために紡いでくれた言葉だからだ。この講義自体が「僕たちのための応援歌」なんだ。それに気付けたのは、こうやって言葉に書いているこの瞬間だ。僕たちに少しでも「頑張ってほしい」「楽しんで欲しい」「幸せになって欲しい」そういう気持ちが詰まった2時間だった。こんな愛情を持って人と接する方だからこそ、たくさんのヒット作を著者と生み出してきたんだと思う。いや、小沢さんの言葉からは、本を生み出す上で関わる全ての方々に対する愛と感謝で作り出してきたことが伝わってきた。点と点を繋げることが出来る人は、ひとつひとつの点に対する姿勢が違うんだと思った。

好きのおすそ分けの正体

講義の後半は、小沢さんが影響を受けた本の紹介が続いた。正直、あまりにも古い時代の本であることと共感できる情報の少なさに一見しただけでは、僕の琴線に触れることはなかった。ただ、小沢さんの想いの強さによって紹介されるとそのひとつひとつの作品に対して「知りたい」「読みたい」という気持ちが自然と溢れてくる 。

「・・・これだ!」

そう、始めの雑談からずっと感じていた「何か」にようやく気付けた瞬間だった。小沢さんは誰よりも好きなんだ。作品のことや著者のことを愛しているんだ。愛しているからこそ、誰よりも深く知ろうとする。愛しているからこそ、誰よりも知ってもらおうとする。それこそが「編集者」のど真ん中だと感じた。今さらながら、佐渡島さんが1回目の講義の際に1番最初に表現されていた「好きのおすそ分け」を理解出来たように思う。

「おすそ分け」・・・他人から貰った品物や利益の一部などを、さらに友人や知人などに分け与えること。(Wikipediaより抜粋)

そう。おすそ分けとは「他人からもらったもの」を「さらに分ける」行為だ。つまり、作品からちゃんと多くのことを受け取った人だけが出来る行為なんだ。僕らは、好きと表現している大部分のことも、ちゃんと好きになれていないのかもしれない。実際、好きな漫画の話を聞かれて割と重要なキャラの名前が出てこなかったりする。それに比べて小沢さんはあいみょんのことをちゃんと好きになっている。あいみょんが好きで上海にまで足を運ぶほどに。

ちゃんと好きになること。好きと向き合うこと。溢れんばかりの好きがあってこそおすそ分けが可能になる。ふとアンパンマンが頭に浮かぶ。小沢さんは、好きで溢れた大きなまん丸のアンパンを持っているから、関わる人たちに分け与えることができるんだ。僕らはきっと自分すらお腹を満たさない量のパンを配っていたのかもしれない。

「編集」はビジネス流行語大賞なんかじゃない。

編集という言葉は、いつのまにか流行のように使われ始めた。それは、世の中の情報量の多さが生んだ必然ではある。ただ、その仕事の本質は、まったくもって流行り廃りがあるようなものではない。「他者への愛情」と「自身の理解」という、むしろ人としてすごく大事な部分に集約されている。僕はなんて素敵な仕事を学べているんだ。あらためてこの場に感謝の気持ちが溢れている。

そろそろ僕が綴る物語も終盤となってきたが、最後にあえて言葉にしたいことがある。それは「積み重ねた先には、きっと〝嬉しい”や“楽しい”が待っている」ということ。僕なんかが表現できる言葉じゃないけれど、他者の言葉だけを借りるのも違うと思ったので、自分でも言葉にしたかった。実際、僕自身コルクラボのレポートを毎回書くことだけでも、多くの人に自分の言葉に触れてもらうことが出来たし、いつのまにか会社で文章を書く仕事もするようになった。自分の目の前にあることにひたむきに向き合い続ければきっといつか「嬉しい」や「楽しい」がやってくる。僕なんかの言葉だが、誰かにとっての応援歌になればと思っている。それが、文章を書く意味だと分かったからこそ、この文章にもその気持ちを詰め込んでみた。

最後に・・・

隣のデスクで面白そうなことをやっていたら、ちゃんと「おもしろそうだね」って感想を言うのも大事。

小沢さんがふと発したこのメッセージ。関わる人たちに対する愛情は、自分が生み出す作品だけじゃない。関わる仲間の作品に対しても関心を持つこと。この言葉だけでも、どれだけ小沢さんが人を愛してきたかが伝わってくる。僕もこんな風に生きたい。自然と溢れた感情だ。僕もアンパンマンになると決めたそんな夜だった。


なんのために生まれて
なにをして生きるのか
こたえられないなんて
そんなのはいやだ!

今を生きることで
熱いこころ燃える
だから君はいくんだ
ほほえんで

そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
ああ アンパンマン
やさしい 君は
いけ!みんなの夢まもるため

(アンパンマンのマーチ/やなせたかし)


以上、長文駄文にお付き合いくださりありがとうございました。

戸田良輝

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