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若き日のbarの思い出


#エッセイ部門


 成人して以来今日に至るまで、私の休日は酒を飲んでばかりである。
 はじめはやはり居酒屋が多かった。友人らと飲む時にはほとんど迷わず手頃な居酒屋へと入り、飯やつまみを肴に安酒を飲みまくったものである。
 だが一方で、私は未成年のころからbarというものへの強い憧れを抱いていた。それは高級な洋酒を静かに大人っぽく飲むということへの憧憬であり、またそこでは上品な女性との優雅な逢瀬へと繋がるかもしれない、というややふしだらなイメージもあったからかもしれない。
そんな私が初めてbarに入ったのは、大学の休みで地元に帰省した時であった。大学の周りでは友人らとばかり飲んでいたが、実家に帰ってみると思いの外退屈であったため、ふとbarに行ってみようと考えたのである。
私は無駄に気合いをいれ、当時仕立てたばかりだった英国式の背広をわざわざ着て、駅前の格式高い雰囲気の店に赴いた。
果たしてそこは実に面白からぬbarであった。
既にカウンターの半分を埋めていた常連らは盛り上がってはいたものの、マスターを含めて一見の私には実にそっけなく、接客らしき声すらもかけられなかった。
私はbarとは若者に優しくない場所だと思いながら、メニューを行ったり来たりして見つけた、どこか聞いたことのある人名を冠したカクテル、チャーリー・チャップリンやレッドバトラーなんぞを注文し、飲み終えるとすぐに退散した。
飲んでいる間、常連たちは私に見向きもせぬことで私に威圧感を与えた様にさえ感じられたものだが、その実は私が初めてのbarに酷く緊張していたために他ならなかった。
帰り道、もうbarに入ることはしばらくないだろうと思った。

それから二年ほどして、私は大学の夏休みに一人旅で静岡に赴いた。そして二、三泊した最後の晩、ふとまたbarに入ってみようと思ったのだった。
 旅館に一番近かったジャズバーとやらに狙いをつけ(やや格式を下げたところに私の前回の経験からくる恐怖が感ぜられる)入ってみると、そこは酷く狭い店で、席は五つだけしかなかった。そのうちの2つに一組の男女が座っていた。
一人は五十ほどの男性で、もう一人は二十代後半ほどの若い女性だった。
私は男性の隣の椅子を一つあけてすわり、ウイスキーを頼んで飲んだ。洋楽も響いていて、私はやはりどこか緊張していた。

私の横にいた男性はマスターと談笑していたが、やがて一人寂しく飲む私に話しかけてくれた。
「お兄さん、ご旅行ですか?」
 私は自分からはいけないけれども、こうした知らぬ人と話すことが結構好きなのであった。私はなるべく快活に答えた。
「ええ、一人で旅行していましてね。そちらもお二人で旅行ですか」
「そうなんですよ。今日は温泉など行きました。昼間、街にいたこのマスターと知り合ってね、今晩店に来ないかと誘ってくれたのです。どうですか、このピーナッツなど」
進められた豆を有り難くつまみつつ、私と男性は大いに喋った。
彼は私が大学生だと知ると大学名をしつこく聞いてきたので、防大だと答えると大いに気に入ってくれたらしかった。


以降彼は胸襟を開いて自身のことを話しだした。聞けば彼は社長で大変なブルジョアなのであった。
「フェラーリを買おうとしたら、知り合いが先に買ってしまって、やむを得ずランボルギーニにしたんですよ」

そういって見事な車の写真を見せてくれたほどだった。そしてたまに会話に入ってくる連れの若い女性、彼女もまた自分の会社を持つ立派な社長だという。自分には知らぬ世界が日本にもまだまだあると思った。
やがて私がウイスキーのグラスを空にすると、別に帰るつもりもなく、また頼もうと思ったのだが、彼は私が帰ってしまうと決め込んだ。

「まて、今日は俺が奢るからまだ帰らないでくれ。今日は本当に楽しい」

そういって引き留めようとするのである。
私が、
「まだ帰りませんよ。それにそんな奢ってもらっては悪いです」

というと、

「その若者らしい体育会のノリが懐かしく嬉しい。今夜は是非奢らせておくれ」
と、何をいっても喜ぶのだった。
 それから少しして、一人の三十ほどの男性がbarに入って来た。眼鏡をかけた長身痩躯のその男性は、マスターとの会話から、近くに住む常連の客らしかった。
マスターは社長連の後に私のことも彼に紹介した。

「彼は○○大学の学生さんなんですって」
「エリートじゃない。それは恐れおおいなあ」
「いやあ、全然そんなことないんですから」
私はこの晩大人たちからさんざんに誉められて正直誇らしく、酔いもあって楽しくてしかたなかった。

それから少しして、男性社長とマスター、それから常連の三人での音楽関連の話しが盛りあがり、私と女性社長は必然的に二人で話していた。
既に酔っていた女性社長は、私の睫毛が長い、などと誉め続け、しまいには決して高くない私の鼻を指して、高くて羨ましいとさえいいだした。
私が困りながら彼女をお世辞で誉め返すとこれも喜んだ。
やがて男性社長は会話の輪を抜け出して来て女性社長に向かい、
「こういっては失礼かもだけれど、マスターは特別経済的に裕福というわけでもない。
しかし人生を本当に楽しんでいる。本当に素晴らしいよねえ。
本当に大事なのはやっぱりそこだよ」
と泥酔しながらいった。
女性社長は苦笑いしつつ、私に
「どう思う?」
とふった。
私は散々誉められていい気になっていたので、ちょっと調子にのっていたのもあり、
「論語にある顔回の境地ですね」
と彼女にいった。

「顔回?」
女性社長は聞き返した。

「孔子の一番弟子です。
生活が貧しくても楽しんで暮らしていて、これは孔子も敵わぬといっていたほどなんです。マスターのそれは本当に素晴らしい美徳ですよ」
と、今思えば自分でも何ともいけすかぬ、つまらぬことをのたまったものだが、この時は幸いにも大いにうけた。マスターも私に感心したし、
「あなたはお若いのに私より本当に色々なことを知っていて偉いわ」
と、女性社長は喜んでそれから私のことをずっと誉め続けた。

私は謙遜しつつ喜んでいたが、次第に連れの男性社長がジェラシーから苛立ち始め、話に乱暴に割り込んでくることも多くなり、私は閉口したものだった。
やがて夜も遅くなり、
「旅行に門限がありまして、そろそろ帰らねばなりません」
と彼らにいった。
実際旅館からは時間に厳しく云われていたため、私がそういって帰ろうとすると、女性社長は残念がった。

「残念ねえ。あなた、お酒飲みすぎてふらふらしてるじゃない。旅館までついていきましょうか?」
この積極的な申し出には私もドキりとしたものだが、奥で男性社長が怖い顔をしているため、丁重に遠慮しておいた。
しかし社長は約束どおり奢ってくれたから、丁寧にお礼をいって店を出た。やはり云われた通りふらふらしながら帰ったものである。
思えば、このbarでのことは、その旅行で最も愉快なイベントに他ならなかった。
私はそれから、旅行のたびに現地のbarに入り、現地の人や旅行者と会話することを楽しんだ。やがて大学の近くでもいくようになった。
ついにはそこで知り合った女性と刺激的な触れ合いをしたこともある。

そしてこの晩のように愉快な日はたくさんあったが、やはり印象深いのはじめて私にこうした楽しみを教えてくれたこのbarであろう。
若者には、是非いろなbarに入って色々なひとと話してもらいたい。そして年長者は是非彼らに話しかけてほしいとおもう。

もう若からぬ年となった私は、今は彼ら青年に声をかける側にまわっているのである。

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