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大人数イベントが苦手な自分を分析してみた

突然ですが、大人数の飲み会やイベント、みなさん得意ですか?

私はめちゃくちゃ苦手です。

昔からとにかく大人数の場が苦手で、苦手なら避ければいいし、周りにも同じような人はたくさんいるし、と、自分はそういう人間だからと放置していたのですが、先日とあるイベントに参加して、やっぱり苦手だなと実感する一方で、なんで苦手なのかをちょっと考えてみたくなったので考えてみます。

Xのプロフィールに書いちゃうくらい苦手

そもそも苦手ってどういう状態?


まずは苦手、ってどういう状態かを考えてみます。
苦手苦手っていうけど何をもって苦手とするのかは考えたことがなかったので、その定義を自分なりに見つけてみます。
まずは定番、辞書から。

扱いにくく、いやな相手。なかなか勝てなくて、いやな相手。また、そのようなさま。「あいつはどうも—だ」
得意でないこと。また、そのさま。不得手。「数学の—な人」
不思議な力をもつ手。その手で押さえると、腹の痛みはおさまり、蛇は動けなくなって捕らえられるなどという。

goo国語辞書/デジタル大辞泉

3つの意味があるうち、わたしのいう”苦手”は2の「 得意でないこと。また、そのさま。不得手。」であります。
いやまて、得意でないことって。。。というわけで得意も調べます。

自分の思いどおりになって満足していること。「—の絶頂」⇔失意
誇らしげなこと。また、そのさま。「—な顔」「—になる」
最も手なれていて自信があり、じょうずであること。また、そのさま。得手 (えて) 。「—な競技種目」「—中の—」
いつも商品を買ってもらったり取引したりする相手顧客 (こかく) 。お得意。
親しい友。

goo国語辞書/デジタル大辞泉

ほうほう、だいぶ掴めてきました。
今回のテーマで言うと「 最も手なれていて自信があり、じょうずであること。また、そのさま。得手 」の、逆ですね。
上記から引用すると、これまではただ「じょうずであること」の逆、つまり「じょうずでないこと」を苦手と認識していましたが、その前段「最も手慣れていて自信があり」って、なんだかめちゃくちゃただの捉え方じゃん、という気がしてきました。
つまり苦手とは、「手慣れていないゆえに自信がなく、うまくできないこと」という理解でなんだかしっくりきました。
よし、定義おしまい。

前提条件の整理

定義ができてちょっと安心したところで、まずはイベント時の状況の整理をしていきます。

イベントについて

・同職種(人事)の集まるお悩み共有ワイワイ会
・参加者数は20名ほど
・参加者に知り合いはいない
・所属する会社の規模や業界は様々
・イベントの目的は「人事同士の悩みをシェアする」こと
概要だけだと、まあイベントってそんなもんだよね、というよくある状況ですが、目的が「悩みのシェア」であるところはちょっと珍しいかなと思います。

自己認識について

次に、私が人事としての自分についてどう考えているかも大事なので、整理します。
・歴は長くなってきたけど人事として何かを成し遂げたわけではない
・将来人事としてこうなりたいというような希望はない
・でも人事はなんだか向いている気がするから続けたい
と捉えています。うん・・・こんなこと文字にするのも憚られるくらい、意思も自信もない感じになってしまいましたが、まあこんな感じです。(会社のみなさんごめんなさい)
ちゃんと自信がないですね。これ、大人数の場云々の前に人事としての自信みたいな話もありそうです。今回はちょっと考えるスコープから外しますが、困った困った。笑

なぜイベントに参加したのか

そんな苦手意識がある上に自信もないのに、なぜ参加したの?というところについてですが、実は、人事として視野を広げるために「2024年は他社人事の話を聞く」という目標をこっそり設けており、そんな折にたまたま主催者にお声がけいただいたのでちょっと頑張ってみようと思い参加したのでした。
私が人事という職種にきちんと出会ったのは今の会社に入ったタイミングと言っても過言ではないくらい、これまでの社会人人生においては直接的な関わりがなく、つまり人事の認識歴=自分の人事歴、という状態で自社以外ほぼ何も分からないという状態に危機感を覚え、他社の話も聞いてみたい、と思ったのがきっかけでした。
自分の現在地を確かめたいという思いもあったかもしれません。

苦手な要因は「目的のすり替わりと思い込み」

状況と認識の整理ができたところで本題です。
私がなぜ「大人数の場が苦手」と捉えているか、先日の状況をもとに考えてみましょう。

当日会場に到着すると、すでに参加者の方々は和気藹々と懇親されていて、後から話しかけることができない私はただ立ち尽くす、というこれまで何度経験したか分からない状況に陥り、ああやっぱりダメだ、と絶望感と孤独感に襲われていました。
このときの頭の中は
・やばい、何もできない、どうしよう、話しかけなきゃ、でも無理
・話しかけても何を話せばいいんだろう、怖い
・しんどい、帰りたい
もうこれらがぐるぐるぐるぐる巡るだけで、立ってるだけで精一杯でした。
結局その場では自発的に動くことはできず、やっぱりダメだったと悲しい気持ちで帰路につきました。

悲しい気持ちが落ち着いてから、なんでこんなことになるのだ?と改めて考えた時に浮かんだのが、たくさんの人がいる中で何がその場の正解が分からないから動けないのではないか、ということです。
これはいわゆる人見知りとは少しニュアンスが違います。私は少人数の場はけっこう得意で、その場で自分がどのポジションでどんなキャラクターでどんな役割をすればいいのかが割と掴めるので、今回陥ったような最悪な状態にはなりません。これは初対面だろうが面識があろうがあまり関係なくできるので、この辺りは動けない要因ではなさそうです。
その上で問題なのは、そもそもイベントの場において自身の立ち振る舞いの正解を求めていることなのかな、と考えました。
そしてこれはイベント参加においては大きな間違いで、イベントに参加する目的が「他社人事の話を聞く」から「自分が正しく(恥ずかしくないように)振る舞う」にすり替わっている、のがポイントです。
このイベントは悩みのシェアが目的なので、どう振る舞うかなんて考えずに悩みのシェアをすればいいだけ、むしろ何を話すかなんて悩みを聞けばいいだけなのに、「イベントだ、苦手だ」と思い込むことで自分で自分の首を絞め動けないようにしていたということです。普段たくさんいろんな人の話を聞かせてもらっているのに、少し場所を変えるだけでできなくなるなんて、我ながら、本当に驚きです。

しかも私の悪い癖で、人からの見られ方を気にして正しく振る舞おうとした結果、全く動けないという悪循環が起きています。
自分にドン引きです。何をやっているんでしょうか。
もうこれは育ってきた環境、性格によるものが大きいので変えるのはかなり難しいのですが、どうしても「恥ずかしくないように振る舞う」ことを自分に求めてしまう癖が悪さしています。全く本質的ではないので、どうにかしたいもんです。本当に。

今後どうしていく?

大人数の場で動けない理由がわかったところで、今後はどうしていくか?も考えていきます。
結論から言うと、今後もイベントに参加してみようと思っています。
表向きの目的としては人事としての視野を広げたいというのはもちろんありますが、裏目的として苦手と刷り込まれている呪いから自分を解放したいという気持ちが芽生ました。

視野については、よく社内で、自分の悩みはすでに人が経験しているから聞きに行け、という話がされるのですが、今は悩みがなくとも人の悩みを聞くことで見えることもあるだろうし、他者の状況を知ることで自社の理解も深まるだろうし、いざとなった時に相談できる関係性づくりはやはり必要だと思っています。
そして今は刷り込みの呪いにかかっているので、つい、自分が、とか、人からの評価が、とか気にしてしまうのですが、きちんとコトに向かうために必要なことをやる、という選択を取れるようにしていきたいです。

なかなか簡単に乗り越えられるものでもないとは思うのですが、まずは今回の反省を活かして、目的をブラさずに次の機会で活かしていきたいです。
ダメだったらまた方法を考えていこうと思います。

以上、土曜昼下がりの独り言でした。

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