私の音楽歴——いかにして即興ピアニストになったか(33)

朗読の活動をNPO法人にしようという話が持ち上がったのは、2005年のことだった。

NPO法人すなわち特定非営利活動法人にしようとしたのには理由がある。
ひとつには、スタート当初、参加者はほとんどがプロの声優、アナウンサー、ナレーター、またはそれを目指す人たちだったのが、独自の研究でノウハウを重ねていった結果、そういう人たちが徐々に減っていき、気がついたら表現に関心があるノンプロの人たちが増えてきた、というのがある。
つまり、職業的なスキルを獲得する場ではなく、表現者や、日常的に表現をしてみたい人たちがあれこれ試したり、自分の可能性をさぐる開かれた場となりつつあった。

もうひとつには、そういったノンプロの人たちの活動の場が、放送局やステージではなく、学校や図書館の読み聞かせの場だったり、介護施設だったり、ちいさなカフェやライブハウスだったりしたので、社会活動としての朗読に私自身可能性をさぐり、もっと広げてみたかったというのがある。

何人と協力して書類の準備をし、都に許認可申請をおこない、正式にNPO法人として許認可がおりたのが2006年3月だった。
こうして特定非営利活動法人・現代朗読協会が誕生した。

法人化して活動がしやすくなった面はたしかにある。
たとえば世田谷区の文化協議会のグループのひとつ、世田谷文学館と組めたのも、法人格を得ていたことが大きかったのではないかと思う。

世田谷文学館は世田谷区内の小中学校を順次巡回して、文学パネルの展示をおこなっていた。
たとえば、宮沢賢治の作品を紹介する展示パネルを各学校に設置する巡回企画をおこなっていた。
展示により関心を持ってもらうために、文学館の職員による朗読をふくむ文学トークも同時におこなっていた。
ただ、それだと職員の負担が大きいのと、朗読という表現のクオリティを確保したいというので、現代朗読協会に協力依頼を求めてきた。

よろこんで協力することになり、最初は宮沢賢治の作品をコラージュした独自の群読作品を作り、生徒たちの前で上演することになった。
「KENJJI」というシナリオを私が書き、現代朗読協会員に協力してもらって、いくつかの小中学校で公演をおこなった。
「KENJI」だけでなく「HOLMS」というコナン・ドイルの「赤毛同盟」をベースにした群読作品も作り、上演した。

「KENJI」はのちに、名古屋でもワークショップ形式で一般市民から群読参加者を募り、名古屋市芸術創造センターでの大きめの公演を実現することになる。
さらには「GINGA」という群読公演も、愛知県芸術文化センターでおこなうことに発展していった。
この課程、私自身は執筆、脚本、演出、そして音楽製作と演奏という一連のながれが、自分の表現スタイルとして確立していき、また演奏においては即興性とコミュニケーション性の重要性の確信をさらに深めることになった。

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