私の読者と読者の私『ジョコンダ夫人の肖像』

NVC仲間の栗山のぞみから勧められて、E・L・カニグズバーグというアメリカの作家の『ジョコンダ夫人の肖像』を読みおえたところだ。
『クローディアの秘密』という本を書いた人で、その本のことは知っていたけれけど、読んだことはなかった。
女の子が読む本だと思っていたからだ。

でもそれは嘘だ。
というか、勝手に私がそう思いこんでいただけだけで、だれもその思いこみを正してくれなかったのがうらめしい。

しかし栗山のぞみがいた。
彼女はプロのライター(書き手)だけど、優秀な読み手でもある。
なにしろ私が書いたものも喜んで読んでくれる希少な読者だ。

最初に読んだ本のことで一致して盛り上がったのは、たしかアゴタ・クリストフの『泥棒日記』だと思う。
もちろん世界的にも評価されている作品だし、まちがいなく傑作なんだけど、感じいる部分が似ていて、共通の価値観を感じたのだった。

その後もいくつかの作家や小説について共通の話題があったり、お互いにおもしろ本を勧めあったりしてきた。

先日なにげなく、これまで読んだなかで一番すばらしいと思ったのは……という話になった。
栗山のぞみの口から、「彼方なる歌に耳を澄ませよ」という本のタイトルが出てきた。
あれ、どこかで聞いたことあるぞ。
それって、私が世界中で一番好きな作家アリステア・マクラウドの唯一の長編のタイトルじゃない。
まさかどんぴしゃり、その本の名前が出てくるとはびっくりした。

アリステア・マクラウドはカナダの寡作な作家で、ほかには『冬の犬』と『灰色の輝ける贈り物』の2冊の短編集が出ているきりで、どちらも文句なしにすばらしいのだ。
そんな彼女から勧められた本を読まないわけにはいかないじゃないか。

そして彼女が家から持ってきてくれた『ジョコンダ夫人の肖像』と『ぼくと(ジョージ)』を読みはじめたというわけ。
……(なんでジョージに()がついているんだろう?)

『ジョコンダ夫人』はレオナルド・ダ・ヴィンチの話で、ダ・ヴィンチの弟子だったサライの視点で描かれている。
ふたりが愛したベアトリチェという女性が重要な役割で登場する。
タイトルはリザ・ジョコンダ、つまりモナリザのモデルになった女性のことだが、彼女は最後の1ページでようやく登場する。
そしてなぜジョコンダ夫人が最後に登場するのか、そのわけは最初から読んでいくとわかるようになっている。

断じて子ども向けの読み物なんかじゃない。
もちろん子どもが読んでもいいんだけど、もし私が子どものころに読んでいたとしたら、それなりにおもしろく読んだと思うけれど、いま読んだこの感じや理解とはほど遠かったことだろう。
そして、きっと何年かたってまた読みかえしてみると、さらに違った読み方ができるんだろうな、という確信がある。
それほど人間を深く描いているし、人間のおもしろさをさまざまな側面から描いている。
私はとてもこんな風には人間を描けない、脱帽。

つぎは『ぼくと(ジョージ)』を読んで、そのあとはいま届いたばかりの『ティーパーティーの謎』を読もうと思っている。

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