第四章 冬のぬくもり 8


   8

 私の背後に回った真衣が、シャワーの栓《せん》を開《あ》け、温度の調節をする。
「お湯、かけます」
 私はうなずく。立てた膝に両肘《りょうひじ》をあずけ、うつむいた格好で頭にシャワーを受ける。
「熱くないですか?」
 私は首を横に振り、顔に伝わってくるお湯に邪魔されながらぶくぶくとこたえる。
「だいじょうぶ。ちょうどいい」
「シャンプーはこれですか?」
 片目をあけると、真衣がプラスチックのボトルを私の顔の前にかざしている。
「いや、ちがう。シャンプーは使ってないのだよ」
「え、じゃあどうやって髪を……?」
「石鹸《せっけん》で洗ってる。ごしごしと」
「そうなんですか」
「それはリンスだよ。クエン酸リンスね。環境に負荷をかけない方法をと、寛子《ひろこ》さんが教えてくれたんだ」
「あ、西田先生の奥さまですね」
「そう。それでとくに不都合《ふつごう》はないよ」
「わかりました」
 真衣が石鹸を私の頭髪全体にこすりつけ、それから洗いはじめる。
 怪我《けが》をしてから長いあいだ、入浴するのに介助を必要としていた。とくに髪を洗うのはごく最近まで人に手助けしてもらっていた。病院では看護師たちの世話になり、退院後も介護士に助けてもらっていた。男性の看護師や介護士も何人かいたが、ほとんどが女性だった。男性にくらべると手指の力は弱く、それでもだれもがしっかりと力強く頭皮を洗ってくれることに気の毒なような気がしていた。彼ら、彼女らの報酬は、けっして多くはないと聞いていたこともある。
 真衣の指もまた細く、力強いというわけではない。しかし、私の髪と頭皮のすみずみまで、あますことなく洗いあげようとしている彼女の意志を感じる。あわてず、丁寧に、慎重に洗ってくれている。
 彼女は私の背後にしゃがみこんでいるのだろう。バスチェアはひとつしかなく、私がそれにすわっている。彼女の手指が私の頭を洗っていると同時に、私は彼女のなにも身にまとっていない身体が私の背後に寄りそっていることを感じる。それはとても大胆なことのように思える。親子以上に歳がはなれているとはいえ、そして入浴介助のような行為とはいえ、異性の相手の前でなにひとつまとわない姿をさらすことにためらいはないのだろうか。あるいは彼女のような年齢の同世代の女性たちは、私が想像するような羞恥心は持たないということなのだろうか。
 そのようなことをあれこれかんがえること自体が、真衣にたいする尊重をそこなってしまうような気がして、私は浮かんできたかんがえを振りはらった。いまはただ、真衣が私にしてくれていることと、彼女の存在そのものを受けいれていたい。それだけでいい。

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