第四章 冬のぬくもり 9


   9

「どこかかゆいところはないですか?」
 と真衣がいう。そしてくすりと笑う。
「まねしてみたんです。美容院でシャンプーされるときにいつも訊かれるじゃないですか」
 そうなのだろうか。
 私は二か月に一回くらいのペースで美容師に家まで来てもらっている。寛子さんの知り合いの美容師で、自分の店を持たないフリーの美容師だ。だれかの家や施設まで出かけたり、契約している美容院の空《あ》いている椅子を借りて仕事するのだそうだ。そういう仕事の形態があることを私は知らなかった。
 彼女に髪をカットしてもらうときは自分で髪を洗うので、そのように訊かれたことはないが、いわれてみれば以前はそのように訊かれたような記憶がある。
「でも、かゆいところがあっても、ありますっていえないですよね。あったとしても、その場所を口で伝えるのはむずかしいです」
 そういえば、私もそのように思ったような気がする。結局「ないです」とこたえるしかないのだ。
 美容師はどういうつもりでそのような質問をするのだろうか。本当にかゆいところがあるかどうか訊いてくれているのかもしれないが、結局はこちらを気づかっていることをしめすためにそのように訊いているのかもしれない。そしていま、私はたしかに、真衣の気づかいを受けとってうれしい気持ちになっている。
 真衣は私の髪を二度洗いする。クエン酸のリンスをしてくれる。
 私は心からいう。
「ありがとう」
 自分で髪を洗えないことはないけれど、どこかもどかしい感じがある。いまはすみずみまで手が届いた感じがあって、さっぱりしている。
「おかげで気持ちよくすっきりしたよ。身体は自分で洗えるからだいじょうぶ」
「お背中を流します」
 私がスポンジで自分の身体を洗うあいだ、真衣は私の背中を石鹸をつけたタオルでこすってくれる。
「弱くないですか?」
「だいじょうぶ」
「もっと強くしろとか、いってください」
「ちょうどいいよ。気持ちいい」
「よかった」
 そうこたえる彼女の口調に、どこか物足りなさを感じている調子があるように思って、私はいぶかしむ。なにかいってほしいのだろうか。具体的な指示がほしいのだろうか。
 ふと思いついて、片手をうしろにまわし、腰のすこし上をしめして、いってみる。
「このあたり、なにか変わったことはないかな」
「はい?」
「横になっている時間が多いせいか、このあたりの皮膚が荒れやすいんだ。かゆくなったり、吹き出物ができることがある。いまはどうかな」
 真衣が顔を近づけながら、そのあたりの石鹸の泡を手でぬぐう。

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