第一章 夏のにおい 10


   10

「昨日《きのう》の話のつづきをしてもいいですか?」
「もちろん。でも、どんな話だったかな」
「わたし、絵を描くことで生きていけたらいいなと思ってます」
「ええ、昨日はそういってましたね」
「でも、先生はそのことについてちがう意見を持っていらっしゃるようでした。絵を描いて、それを売って、それで生活の糧《かて》を得る。そういうことがあまりすすめられないという感じをわたしは受けたんです」
 彼女の口調のなかにわずかにこちらをとがめるような感じがふくまれているように思う。が、それは私の思いこみかもしれない。彼女はただ、自分の疑問を私にたしかめようとしているだけかもしれない。
 彼女の疑問にこたえるためには、私は自分の話をしなければならない。それはこの数年、私がかんがえつづけていることで、だれにも話したことはない。それを娘のように——いや娘よりずっと若い真衣にたいして、無防備な気持ちで話すことはできるだろうか。
 結局、私は真衣の真剣なまなざしに動かされ、話しはじめる。
「たしかに私は、絵を描いて、それを売り、生活をしていました。私の絵はかなり高額で、そしてたくさん売れました。そのことで私の生活はうるおっていました。それが私には満足でした。妻もよろこんでくれていました」
「奥さま……がいらっしゃるんですか」
 真衣がとまどった顔をする。
「いません。いまは」
 しばしの沈黙。
 そのあと、ためらいがちに真衣がいう。
「こんなことお聞きしていいのかどうか……お別れになった、とか?」
「亡くなったんです。十五年前に」
 真衣の顔にショックが浮かぶ。
 十五年前の不幸な事故のことを思いだすと、いまだに自分自身の「事故」以上に痛みをおぼえる。妻の和佳子《わかこ》は実家の長野に帰省するために車を走らせていて、高速道路で大型トラックの積載事故に巻きこまれて、命を落とした。三十七歳だった。私たちのあいだに子どもはなかった。
「妻が亡くなったとき、私はふと我《われ》にかえったんです。私はお金を稼《かせ》ぐために絵を描いている。しかし、それはいったい、なんのために? 私が絵を描くのは、たくさんのお金を稼ぐためだろうか。いやいや、私が描いた絵は多くの人に喜んでもらえ、そして買ってもらえる。その結果として私にお金がはいってくる。ただそれだけのことだ。それなら——」
 私はちょっと立ちどまり、自分のなかにあることばを整理した。


親密な関係における共感的コミュニケーションの勉強会

共感的コミュニケーションでもとくにやっかいだといわれている親密な関係であるところのパートナーと、お互いに尊重しあい、関係性の質を向上させるための勉強会を8月11日(火)夜におこないます。

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