第一章 夏のにおい 15


   15

 真衣の肩は華奢《きゃしゃ》で、つよくつかむと壊《こわ》れてしまいそうに思える。
 私はあわてて力をゆるめ、真衣の肩から手をはなそうとする。その手を真衣が上から押さえる。
「おつかまりください」
「しかし……」
「私は平気です。こう見えても意外に頑丈《がんじょう》なんですよ。先生のお役に立てるのがうれしいんです」
 彼女が頑丈であるとは思えないが、その手が私の手の甲《こう》をしっかり押さえている。もう杖《つえ》なしで歩けるとはいえ、いまだれかの肩を借りられるのことに安心がある。
「じゃあ、しばらく肩を借りますかね。ありがとう」
「しっかりつかまっていただいていいです」
 真衣が手をはなす。手を彼女の肩に置いたまま、ふたたび歩きだす。
 彼女をつつんでいる空気の層が、私をつつんでいる空気の層とまじりあっている。私はそのように、人と人の関係において、見えない「層」のことをよくかんがえる。人はどこまで自分の「範囲」だと感じているのだろうか、ということもかんがえる。若いころには絵の勉強のために人体の構造を解剖学的に学んだりしたものだ。人の身体《からだ》は骨格と筋肉や内臓、神経などの複雑な組織が皮膚におおわれている。
 では、表皮までが自分の身体の「範囲」なのだろうか。
 しかし、皮膚はさまざまなものを感じ、受け取っている。触《ふ》れるもの、気体や液体の動き、熱の変化。身体のまわりにもセンサーが向けられている。センサーが感知する範囲を、自分の範囲と感じることもある。部屋にいるときは部屋のなか全体が自分の「範囲」のように感じることもあるし、外に出ればもっと範囲は広くなる。
 だれかに近づくと、その範囲同士が触れあい、まじわるように感じる。ごく接近すれば、範囲が同化し、混合する。さほど親しくない相手だと、そこには緊張や違和感が生まれ、ときには相手の範囲から離れたくなることもある。親密な相手だと、安心が生まれたり、おたがいに幸せな気持ちになったりする。
 真衣と私の親密な範囲がまじわっているいま、しかしそれは安心や幸福という安定した感じではなく、もうすこし動きのある感情だ。たしかに親密さは増しているが、そこには配慮や気づかいがあり、ひさしく経験から遠ざかっていたなにかしらの刺激も感じる。
 自分の内側に生まれては消え、消えては生まれる感情をながめがら、真衣に自分の重心をすこしだけあずけて歩いている。こんなふうに自分の内側や身体の表面で生まれ、変化する感情やニーズをつぶさに観察するようになったのは、長くつづいた入院とリハビリの生活のためだ。

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