【ヒプマイ考察#9】歌詞考察 Light & Shadow

音楽原作キャラクターラッププロジェクト
『ヒプノシスマイク』
(通称ヒプマイ)

今回の歌詞考察では、シンジュクとナゴヤのバトル曲『Light & Shadow』を取り上げます。

昔の金曜ロードショーのテーマを思わせるような荘厳なイントロから始まる、緊張感溢れるバトル曲となっています。


まずは、神宮寺寂雷vs天国獄の旧友対決パートです。

チーム曲の『TOMOSHIBI』でも歌っているように、寂雷にとって「全ての人を救う」ということは重要なテーマです。そのためには自分の身は省みない。

「変えてみせる流れ」の『流れ』とは中央区のシナリオ通りに進むヒプマイ世界情勢のことでしょう。
衢くんを目覚めさせるために中央区に協力している寂雷先生ですが、あくまでよつつじ君のための行動であり、中央区の手下として思惑通りに動くつもりは無いようです。

対する獄は、寂雷のバースを受けて「絶対にお前を倒す 確かにそう思ってた」と言いつつも、本当に倒すべきは「暗い闇に囚われてた
あの頃の俺」だと言っています。
『あの頃の俺』とは兄の復讐への思いに囚われていた自分を指しています。敵を倒すのではなく、自分を乗り越える。そのために寂雷を倒そうとしているのです。

前に進むために相手を倒そうとしている二人ですが、寂雷は未来のために、獄は過去を乗り越えるために、と目的は違います。

これは、どちらが正しいということではありませんし、どちらにも足りない部分はあると思います。


次いで、
一二三&独歩vs空却&十四のコンビ対決。

まずは一二三&独歩。
ホストの一二三が「下品にギラついたナゴヤのイルミネーション」とディスっているのはどうかと思いますが、独歩との息の合ったバースは見事です。

ここでの見所は独歩。
これまで口癖のように、すいませんやごめんなさいを繰り返し、謝罪ばかりだった独歩が、「お前が言え『ごめんなさい』」と相手に謝罪を要求するほど強く出ているところに、精神的な成長を感じます。


対する空却&十四。

まだ29歳の一二三&独歩を「社会に削られて見る影もない中年」と切り捨てる18歳の十四君。29歳で中年なら、42歳の筆者(僕)はどうなってしまうんでしょう?(笑)

「地獄を見てきた自分達の勝利」と言う一二三達に、「見える景色自分次第」と返す空却。
空却はディビジョンの18名の中で最もメンタルが強そうですが、その強メンタルのきっかけになるような過去エピソードも今後書かれると嬉しかったりします。


サビの後払は、一二三→十四→独歩→獄の順にそれぞれの苦悩と決意を語るバースとなります。

長くなり過ぎるので細かくは避けますが、それぞれのラップをちょっとずつ受けています。

一二三
「暗い闇と鉄格子」
「巡りあった最高のチーム」

十四
「雨が続き光り見えず諦めかけた」
「至高のパーティ結成」

独歩
「雨上がりも水溜まりにはまっている昼下がり」
「平社員の意地とプライドかけて倍返しだ」


「何倍にして返したとこで暗い心晴れやしない」


再びサビ後に、寂雷vs空却。
『救済』の寂雷と、『補完』の空却。

どちらが正しいというわけではないですが、価値観の違いは大きい。

「私は全て救う 彼も救う 仲間たちと進む」
と寂雷。

『彼』とは誰か? 
未だに昏睡状態の神奈備衢か、
FlingPosseの飴村乱数か、
おそらくは両方なのではないかと思います。

ドラマパートで「自分はスーパーマンではない」と言っていた寂雷も、一二三と独歩の発言でスーパーマンになる決意を固めます。


一方で空却は、
「救うなんておこがましい。
ただ補うだけ」というスタンス。

あくまで、試練や苦しみは自分の力で乗り越えるもの。しかし、突き放すのではなく、自分も隣に寄り添おうとします。

一見、強キャラであり強メンタルの空却ですが、支えあいや寄り添いを大事にしているところは、正しさよりも優しさを選ぶ彼の姿勢が表れています。


共に絆を大事にしつつも、『家族』をキーワードにお互いを支えて高め合うBad Ass Templeと、『運命共同体』として手を取りながら進む麻天狼、今回の2nd DRBでは麻天狼に軍配は上がりましたが、どちらが勝ってもおかしくないバトルだったと思います。




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