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教員養成課程に通う自分が、教員じゃなくて就職を選んだワケ


どうも、現在教育大に通っているゆっぴと申します。

タイトルの通り、教採を受けずに就活をして某上場企業に就職(する予定)に至った経緯を大学入学からゆるーく(?)ダラダラと書いてこうと思います。


最初は教員志望だった(高2から大学入学まで)



高校生活はというと、とりあえず樽商志望にしておいて、「あ〜とりあえず商業科やし大学も商業やっとけばいいでしょ、、、」

みたいなノリで高2の夏ぐらいまではダラダラ勉強もせずに過ごしてた。ただ、みんな大学受験するので、修学旅行終わりくらい(11月ぐらい)から札駅の近くにある某塾に通うことに。(札駅に定期通したかったっていうのは内緒🤫)

センターは、国、数(IA・簿記)、英、社(地B・政経)、理(化基・地基)で受験予定だったので、1年で諦めた数IAと英語の基礎固めから。

勉強していく内に、「あれ、商業やるより教育系の方が面白いんじゃないか...?」となって、3年春に樽商→教育大に進路変更。

もう1つは中学校の社会科の先生の存在。同じ中学校だった人なら分かるけど、中学3年生の社会科の担当だったI先生の授業が楽しくて楽しくて。自分は元々社会科が大好き(高校では模試で無双してた)だったが、より好きになった。

「社会科、教えてぇなあ〜!!!」

こうなりますよね。

で、教育大のどこに行く問題。
札幌→つよい
旭川→中高がつよい
釧路→小がつよい
(結局得点開示したら全部受かってました。なんやねん。)

「1人暮らし、してぇ〜」

てことで、東に行くわけです。
センター簿記、超簡単だった年だった。

大学1年生


無事大学に入学したゆっぴ選手、1年生の時は某流行病がなかったので、いわゆる「大学生活」を謳歌してたと思います。(まああんなことになるとは思ってもなかったけど。)

友達と一緒に講義を受け、塾講師や家電量販店のバイトをし、たまーに授業サボって遊んだりと、、、

ここで「教育フィールド研究I」という講義(実際に小学校に行って授業観察や児童と交流?したりするやつ。現場慣れしようみたいなやつ。中で小学1年生の児童(なんと今は小4、時間経つのはやすぎ。)

「ゆっぴ先生!!😊😊😊😊😊😊」と名づけてもらったのである。
うれぴ〜😇使わせてもらってます❤️(あだ名問題が今の教育現場で問題になってるけど、まあどうでもいい)

で、釧路を選んだ理由のひとつに

[琉球大学との交換留学]

がありました。前期(4月から8月)に琉球大学に行って、そこで学びましょう〜みたいなプログラム。沖縄行って授業受けて単位取れるんですよ。しかも他学部の授業も取れる。そりゃ行くしかないじゃん。

というわけで沖縄に無事行くことに。

大学2年生

そうです。あの流行病が始まりました。無事寮に入り講義受けるぞ〜ってなった矢先。

「流行病なんでGW明けまで授業ありません^^」

へ?

なんとGW明けまで一般教養、学部科目共に授業なし。何しろっていうんだよ。。。。。(幸い寮が新築だったため、エアコンつけっぱで快適生活+暇な時は大学散歩して猫ちゃん触ったり、、、ラーメン屋さんに出会ったり。(今でも仲良くさせてもらってます)そして進路のことなんかも。)

ある意味交換留学が自分の進路を考える一つのきっかけになったかも。

結局沖縄から戻ってきて法律学→社会学のゼミに移動。今卒業論文絶賛執筆中。

「教員養成課程で学ぶ科目もいいけど、教育史とか教育社会学とかも興味あるなあ、、、」

北大の教育学部の編入学試験があることを知る。(深夜にツイートしてた覚えがある。。。)

「どうせ落ちても教育学部だし、受かれば一応実家帰れるし、ワンチャン受けてみる?」

ってノリで編入学試験を受けることを決意。てか編入学試験受けるってことはほとんど大学の人には話してなかった。

まあ専門の論文難しくて落ちましたけど。🥹
人生そんなもん。

基礎実習(5日間で授業観察や逐語録(授業の様子全部メモして書き起こすやつ。ガチで要らん。大学の先生も要らんって言ってる。)の記入などをやる)あたりから、

「あれ、自分って本当に教員向いてんの、、、?」

となりはじめる。だって、
・自分がこれまで見てきたのは教員の「表側」の仕事だけ
・教育現場に入ると所謂「裏側」の仕事を見ることが多くなる
・この「裏側」の仕事が圧倒的に多い

「えっ、教員ってこんなに仕事多いの、、、?アウトソーシングしないの、、、?」

ってなるわけですよ。
教員になるか就職するかどうするか迷っていた頃、2年後期に「プロジェクト研究II」という講義で学校教育分野の配属になる。
簡単にいえば、「今教育現場とかで起きている問題とかをピックアップして何が問題なのか、どう解決していく必要があるのか、まとめてみよー!外部の手も使えるといいね!」みたいなやつ。同志社のパクリ。

この講義が大学の講義トップ3に入るくらい楽しかった。周りのメンバーと協力して、どうやって計画するかとか、どう進めるかとか毎回探り探りでやっていくのがよかった。フリーライダーもいないし。(ガチでグループワーク
になった時にフリーライダーする奴多くて腹立つ。ふざけんな。)

で、GIGAスクール構想なるものが来年度から始まるらしいという話。(確か前倒しになって令和3年度から小中学校で導入される)1人1台タブレット使おうってやつ。実際はあんまり使ってないっぽい。無理矢理使ってたら手段と目的が違くなるもんね。
そこでどういう構想でどういう計画を釧路市はしてるんだと気になったゆっぴ氏、教育委員会に直接問い合わせる。数日後キャンパス長(研究室の先生でもある)から電話が来た。

「お前、教育委員会に問い合わせたんだって??教育委員会の人めっちゃ怒ってるよ〜アハハハハハwwwwwww」

いや、ビビるわ急に。電話て。

しかもめっちゃ怒ってんの?なんで?こっちは身分明かしてどうやってんのか気になってる一教育大生なのに?教採合格して教員になったら既にタブレットある状態なのに???は???

はい。これが1番の決め手でした。教育委員会が無○すぎる。こんな柔軟な対応もできない組織の下で働きたくない。どう使うのか聞いてるのに怒るのは何??こっちがブチギレよ。

その後、キャンパス長と物理的お話をし合い、
👨‍🦰「まあお前の言ってることも一理あるわな。でも身分明かしたのがアレだったな。
🤓「身分明かさなかったらどうせ検討中とかしょうもない答えしか返って来ないと思ったので・・・」

〜完~ 

というわけで、ここから就職しようと思い立ったワケです。
その後追い討ちをかけられることも知らずに。。。

大学3年生

世の中の教育実習行く人って大体大学4年生の春〜秋に行くんですね、、、就活丸被りじゃん。かわいそ。って思ってたこともありました。

早速事件が起こります。それは教育実習前の挨拶での出来事。

🤓「ぼく、教員にならないんですよ〜」

言っちゃったよ‼️‼️‼️こいつ‼️‼️言った‼️‼️

※教育実習に行く人は教員にならなくても「教員になる」又は「迷っている」って言う様にしましょう。お兄さんとの約束だぞ。

まあでも子供たちと交流するのは好きだし、授業すること自体に関しても楽しみではあった(これは伝えた)ので、前向き思考で。

さて実習が始まります。試練の4週間(今年は5週間らしいです。夏休みないじゃん。)

ずっと交流してた学年に入ったので、スムーズに最初の方は進めてたと思います。(2年ぶりに見たけど、成長早すぎ。)授業観察や机間指導・巡視も頑張った。ここで1日のスケジュールを。

6:00 起床
6:30 授業準備や指導案準備、気合いを入れたりして朝食
7:10 外出
7:40 小学校着
14:30 授業終了。日誌記入・振り返り・教材準備・指導案準備など
19:30 小学校出発(4週間平均が19:30、遅い時は20:30)
20:00 帰宅 ご飯作る気力もないのでセブンで買う
22:30 シャワー入る。この間はずっと指導案準備
23:00 就寝

はい健康。3食+1日平均10kmくらい動くのでめっちゃ痩せた。いいダイエットだね。4~5kg痩せた。

ここでまた事件。

病む。

2週目が終わった金曜日、

「もう無理だキツすぎる死にてえ、、、せや土日で札幌帰ったろ
‼️

どんなメンタルしてんだこいつ。しかも次の週研究授業やぞ。
研究授業<メンタル      まあ当たり前か。

てなわけで土日で札幌に帰るわけです。(あと奨学金の書類も整理もした。)
焼肉食って、花火見て、とりあえずメンタル回復させました。

授業は基本的に指導書をもとに作っていく感じ。指導書最高。売ってくれ。(一般向けには販売してない)でも研究授業で選んだ社会科、副読本を使うことになったので、

指導書、ありません!w

はい。1から授業を作ります。これが病みの原因だったかも。時間は割かれるし、内容が普通に難しくて噛み砕かなきゃいけないし。つれえ。

でもこれも指導教員としっかりと話し合い、なんとか1単元を終わらせることができた。うれぴ。

そして最終日。5時間目にお別れ会をしてくれました。(係決めするって聞いてたから全然知らんかった)お別れ会の前から既にギャン泣きしてる子。お別れ会を知っててニヤニヤしてる子。いろんな子がいたなあ。一人一人のメッセージと写真付きのアルバムをもらったとき、めっちゃ泣きそうになりました。我慢した。(卒業式の送辞の時も泣きそうになったけど、我慢した。和恵ちゃんは泣いてたらしい。🥲)

というわけで、大学生活最大のイベント「教育実習」が終わりましたとさ。
教員にならなかったワケは、最後に書きます。

てなわけで就活が始まるのです。

無限就活編(3年9月~4年4月)

就活、何すんの・・・? (上でネタバレしてるけど4年4月に終わります)

就活、誰も教えてくれません。当たり前。とりあえずマイナビ2023インストして、情報入力して、My careerboxも入れてES書いて、の日々。冬1日インターンとか会社説明会も色々参加して、教育業界に行こうと決意。

1月、同じ就職組の友達が、

🥲「キャリアセンターで進路の相談したんだけど、教員オススメされたよ」

🤓「ゑ?」

は?就職してえから相談しに行って教員オススメされんの?それなんのためのキャリアセンター??    って思ったけど、そりゃあ学年約200人いて、7〜8割が教員採用試験受けるもんね・・・そりゃあ教員オススメするよ、、就職なんて1割の人間ですから。。。

結局この話を聞いて大学のキャリアセンター、一回も使わなかった。てか使わなくてもいけた。就活、
3月情報解禁です!w
6月面接解禁です!wみたいなノリらしいけどめっちゃ嘘。6月とか遅すぎる。嘘松。大体遅くても5月ぐらいに6割くらい終わってるっぽい。

てなわけで3月1日、情報・説明会解禁です。15社くらい適当にエントリーして、結局5社に絞った。

・北海道の塾(みんな知ってる)→落ちた
・北海道の塾(みんな知ってる)→落ちた
・福島県の塾(みんな知らない)→内定(辞退)
・東京都の塾(知ってる人は知ってる)→内定(就職予定)
・大阪府の塾(知ってる人は知ってる)→内定(辞退)

なんと就活中に事件。北海道の塾全落ち。おい。自分でもビビった。
北海道に縁がなかったんだなあ〜はい脱北確定‼️ってテンションに。

教育学部だったから教育業界とは相性良かったと思う。あと商業科だったおかげもあってか財務諸表分析して、「御社のココがいい!」みたいなこと言ったらめっちゃ褒めてもらった。全人類財務諸表分析するべき。あとこの世の企業は全部財務諸表開示しろ。非上場だからって「開示義務ありませ〜んw」「売上高は出すけど当期純利益は教えませ〜んw」とか言うな。うるせぇ。

結局内定は3社。(下3つ)就職考えてる人は、

・勤務時間
・仕事内容
・勤務先
・福利厚生
・給料

しっかりと比較するんやぞ!これ本当大事。内定先と北海道の塾、休日数15日違った。ヤバすぎ。

てなわけで、SPI対策なんてせず、面接対策もせず、ESと資格とガクチカで就活をやり過ごしました。(教育業界にSPIがないのがデカい)当てにならん。

「教育学部で就職希望なんですけどアドバイスとかありますか・・・?」

とか言われてもなんもアドバイス出来ません。「TOEICやれ。ガクチカ磨け。あとはプレゼンテーション能力との戦いだ。」ぐらい。

プレゼンテーション能力といえば、福島県の塾、最終面接がプレゼンと役員面接だったんだけど、
😀「プレゼンの内容は自由です!なんでも自分の好きなことを語ってください〜」

って言われた。

🤓「よっしゃ!ラーメン二郎全店制覇してるしラーメン二郎熱弁したろ!」
めっちゃ調べた。何聞かれてもいいように。

そしてプレゼン。3人社員さんがいたんだけど、その中の2人がなんとラーメン二郎を知ってた。これは完全にこっちの土俵。知ってる人にも、知らない人にも魅力を伝えられたと思う。そしてプレゼンが終わって軽い面接の終わり際、

😄「こりゃあ他の塾との取り合いになるね〜いい人材だ」

ウワーーーーーーーーーーーーッッッッッッッッ‼️‼️‼️嬉しーーーーーーーーーーーーーーッ‼️社交辞令でも嬉しーーーーーーーーーッ‼️

心の中で超大盛り上がり。

人生、何があるか分からんね。 というわけで無限就活編、完。

今現在

就活終わってからというもの、やることが卒論しかないのでバイトを始める。楽しい。

来たる9月に2回目のFWがあるので計画立てたり、8月からは卒業論文の執筆を始めたり、忙しくなる予感。あと破産しそう。

今はこんなもんです。寝るかラーメン食うかゲームするか旅行するか。
人生最後の夏休みって感じがするなあ。

さてそろそろ本題に。

なんで教員にならないで就活したん?

ダラダラ書いたんで本題に。なんで就活したの?

① 教員の仕事が多すぎる

まあまずはこれ。多すぎ。

ヤバくね? 
しかも日本は給特法(給料の4%支給の代わりに時間外勤務手当と休日勤務手当が出ないとかいう激ヤバ法律)があるという。。。
そりゃあ名古屋大の内田先生や斉藤ひでみ先生らが声上げるわな。。。
知り合いの教員は、時間外労働が月100時間越えたらしいです。😨

教育実習でも、

授業してる時間<授業してない時間

の方が多いという事実。(まあこれは例外か)あと家帰ってもやってるから、休む時間がほぼない。教員、いつ休憩してる???

ライフワークバランスしっかりしてる先生、有能です。

② 0→1にする人と1→100にする人は役割が違う

これは個人的意見ですが、「0を1にする人が得意な人」と「1を100にするのが得意な人」では役割が違うと思っています。

前者は公教育が、後者は私教育が担っていると考えています。
0を1にするって、すごい大変な仕事だと思うし、(やり方が間違えばとんでもないことになる)自分はどちらかといえば1を100にするのが得意だというのに気づいたからです(塾講師と先生になってわかった点)

元々能力のある子をいかに伸ばしていくか、これが自分にとって向いている仕事だということに塾講師として働き、教育実習で教壇の立って教えた結果だと感じています。

③ 不祥事が多すぎる

最近多くないですかコレ。ニュースになりがち。なんか一部からは、「犯罪者予備軍」だの「小さい子どもが大好きなんだろ」みたいな声があるみたいです。男性教師、肩身、セマイ。まあ実際ニュースとして取り上げられたらそういう印象を持ってしまうのはしょうがないと思います。そういう職業だし。昔は教師=神聖視みたいな風潮、ありませんでした?今なんかコンプラが明らかに厳しくなり、「あだ名禁止」「児童・生徒は『さん』付け」など、自分が小学生の時よりルールが厳しくなってる。こえー。中学生の時、友達とマット運動中にふざけてプロレスごっこしてた時、先生乱入してプロレス技かけられたりしたな〜。懐かし。

④ 福利厚生・勤務地がネック

非常に辛い問題ですコレ。特に北海道。例えば石狩管内に決まった時って、

・石狩市
・当別町
・新篠津村
・江別市
・北広島市
・恵庭市
・千歳市

の中で異動したりします。(札幌市は別枠採用)

いや、石狩管内、広くねぇ?
広すぎる。石狩の上(厚田とか浜益)から千歳市に転勤ですとかなったらクッソ大変そう。他の管内とかもエグい。てか北海道の教員採用試験は受験資格に「運転免許証の所有」を増やした方がいいと思う。札幌市だけでも要るんだから北海道全域になったら要るに決まってるじゃん。自明。

で、福利厚生面。勤務時間と給料、合ってない。もっっっっっっっっっっと給料増やせ。人材不足、少しは解決するでしょ。

公務員だから給与面とか退職金関係は充実してそうだけど、そもそも北海道の公務員の平均給与が低い。

給与
昇給と諸手当

うーーーーーーん。。。。。。。
低いねえ。
ちなみに僻地手当、5級で+25%です。
管理職ぐらいまで行くと結構安定するそう。

⑤ 公教育より私教育の方が向いていた

②と少し被るけど、これが1番の理由かも。
そもそも教員採用試験対策がダルい。なんでもう一回受験勉強するねんって感じ。

教員の仕事は「表」も「裏」も多い。
塾講師は「表」がほとんど→授業の質の向上にリソースを割けられる

「子どもに勉強を教えるのが好き」ならば塾講師の方が向いているのでは?と感じたのが1番の理由。だって教師職だから。宣伝活動や経理の仕事は事務職の人が対応してくれる。教師職は「勉強を教えること」が仕事だから。
その分教員は「勉強を教えること」以外にも色々仕事があると感じる。

これらが自分が教員じゃなくて就職を選んだ理由でしたとさ。

おわりに

ゆるーくだるーく書いて来ましたが、自分がこれまでの経験を振り返って教員が向いていないと感じて教育業界に就職したという話を書きましたが、

教員は素晴らしい職業

だという風に思っています。もちろんいろんな問題点はあるけれど、子どもの成長を直に感じられる職業は教員ぐらいだと思っています。その中で、やりがいであったり、自分自身も成長できる点というのは幾らでも見つけられることができる素晴らしい職業だという風に考えています。

ただ自分に向いてなかっただけで、リスペクトを感じているし、これから教員になろうと思っている人は全力で応援します。

教員の現実を知ることもある意味で大切だけれど、やりがいというのはそれに勝るほどのものであると感じます。

これから教員目指そう!って思っている人、教員採用試験は団体戦です。周りの人と協力して頑張っていきましょう👌

そして就職しようかな〜って迷っている人、決断するなら3年秋でしましょう。教育実習が一つのメルクマールだと思います。就活は早ければ早いほど有利です。

あと教員免許状の更新が廃止されたので、就職してから辞めて教員になることも一つの手です。いろんな道がありますからねぇ。


というわけでここまで拙い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございます。
気が向けば自分の学生時代の記録や、旅行記などを書き綴りたいと思います。

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