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【子どものゲーム問題に潜む闇】無駄や退屈はダメなこと?

子どもがゲームする時間 一応いちおう 決めている。
まぁ守らんよね。ゲームしてたらあっという間でしょ。
退屈だと時間は遅く、夢中だと時間を忘れる。ほんと不思議。

とは言え、視力も氣になるし、ゲームが脳に及ぼす影響もあると思う。暴言吐きながらは精神衛生上良くない。ゲームと現実とをごちゃごちゃにしてしまわないか、ゲームに依存したら、勝手に課金しちゃったら、とかとか。このへんの葛藤、親あるあるの1つじゃないかしら。

時間を守らず、一週間ゲーム禁止にしたこともある。その間、他の遊びを駆使する姿を見て、ゲームやyoutubeは実体験が伴わないことも発見。遊びは能動的に見つけなくちゃなと再発見。

ゲームにハマる心理を理解しようと、一緒にゲームもしてみる。アクション系はついていけないw とは言え、私だってテトリス・ぷよぷよは好きだし、ドクターマリオやスイカゲームもずっとやってた。ハマるととことんやる性質である。【結論】ゲームはハマるように作られている。

話は変わり、私の仕事はほぼオンライン。心理学コースや、占星術。瞑想やレイキなど、周りに誰かがいると集中できないものばかり。

そんな中、一階で1人でもゲームしてたら怖くないという。仕事に集中できるのもゲーム様のおかげである。

でも、こんな風に思えるようになったのも最近で、ゲームやテレビを見る間の仕事が辛い時期があった。時間を守らせると自分の仕事が捗らない・・自作自演のジレンマですっかり自爆していた。

それに、楽しんでるのに中断させるのもなんとも違和感である。私だって夢中になってる時に邪魔はしてほしくない。

感情的に突っぱねてた時期を経て(親も成長する)いよいよゲームに向き合う時期である。というか、もはや敵はゲームではない。時間を守る・守らないなんて話でもない。そんなものは上っ面であり、ラスボスはゲームを通してあぶり出される思い込みである。トホホ。結局、私の問題か。

・子どもに退屈な時間を過ごさせている。退屈しか提供できないダメ親。
・ゲームは将来、何の役にも立たず無駄なことである。
・毎日、ゲームなどで無駄な時間を過ごしてはいけない。

この偏りねじ曲がった思い込み。改めて苦笑い。
時間に”無駄”と”役に立たない”という彩りを加え、自身のアイデンティティまでミックスしすっかりカオスである。これじゃ感情的に跳ね返したくなるわけだ。

そんな私にミラクルQを放つタイミングがやっと訪れる。長かった。

◎退屈の何がいけないのか。
◎退屈がなぜダメ親に繋がるのか。
◎ゲームは本当に役に立たず無駄なことなのか。
◎退屈でクソの役にも立たない無駄な時間を過ごすと、どんな人間になると思っているのか。

実は、退屈って贅沢なんだよ。飢えて死にそうだったり、イライラマックスだったら退屈どころじゃないわよね。退屈は安心・安定の場があってこそ。退屈から次のステップがうまれる。

エイブラハムの感情の22段階 を参照くださいまし。

8の退屈は、7~1へと続くためのもの。 

退屈だと思える環境を与えられている。ダメ親じゃないじゃん。

下記、長年抱えてきた昭和的考え方を根こそぎ変えるため、子どものゲーム問題は存在していたらしい。

★無駄を省いた人生にどれだけの幸せが残るのか。
★役に立つものは良くて、役に立たないのはダメは誰が決めた?
★将来のために今を犠牲にすることが幸せなのか。
★人生の幸せは何かを成し遂げること、そこに生きる意味や価値がある。という成功の定義の大嘘。

たかがゲーム問題と侮ってはいけない。生き方にまで直結する大きなことだった。

普段から、とにかくダシを取ろう、お茶は急須で淹れよう。料理と向き合う時間を取ろうって、さんざん言ってるのに、無駄や退屈はダメなんて思い込みを持ってた。これは盲点だったなぁ。そりゃ葛藤して自爆するわけよね。


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