見出し画像

⑥タロットとニーチェと苫米地英人

タロットと禅問答

タロットは「人間は神である」という神性の自覚に導く道具です。

曹洞宗では座禅のみ(只管打座)で覚りに導きますが、臨済宗では座禅に公案(禅問答)を加えて覚りに導きます。タロットは臨済宗の公案と同じ役割を果たしてくれます。タロットカード一枚一枚と真摯に向き合うことによって神性の自覚に導かれるのです。

人間=世界(神)

すべてを肯定する永遠回帰

あふれる豊かさから生まれたあの最高の肯定の方式、つまり、苦悩や罪、生存におけるあらゆるいかがわしいものや異様なものに対してさえ留保なしに「然り」という態度

およそ存在するものであるかぎり、何一つ排除してよいものはなく、何一つ無用なものはない

ニーチェ『この人を見よ』
最高の肯定の方式=永遠回帰

一切の「あった」を「そうあることをわたしは欲した!」に造り変えることこそが、はじめて真に過去のみならず全存在の救済と呼ぶに値するものである。

つまり勇気はこう言うのだ。「これが生だったのか。よし。もう一度」と。

ニーチェ『ツァラトゥストラ』
全存在の救済

『ツァラトゥストラ』がニーチェの主著であり、永遠回帰がその『ツァラトゥストラ』の根本思想です。永遠回帰は全てを肯定する思想です。

タロットカードという公案(禅問答)によって神性を自覚した人は、世界の全てを肯定するようになります。何故なら自分自身が世界だからです。

臨場感世界の支配者

空の思想とは、私たちそれぞれが自分の心を起点にして始まる宇宙を一つずつ持っているということでした。この宇宙のすべての存在をダイナミックかつ多元的に捉え、それらすべての関係の中心に自分の心があり、自分の心がすべての存在、すべての事象を生み出しているのです。

苫米地英人『201冊目で私が一番伝えたかったこと』
空の思想=空観

私は、私の臨場感世界の支配者である。したがって、すべての人の選択はいつも私の思うようになっていることに気づいている。その責任感と充実感がいつもとても心地よい。

苫米地英人『本当はすごい私』
〝私の〟臨場感世界

苫米地博士が空の思想で解説しているように、自分の心が世界を生み出しているのです。苫米地博士は「世界の支配者」とは言わず、「私の臨場感世界の支配者」と言っていることが重要です。これは空観から仮観を経て中観の境地に立っている人の言葉です。この世界は私が生み出した仮の世界(幻想の世界)であることを自覚していることが重要なのです。

中観の境地

それは、「中観」という考え方です。これは、すべての存在は幻想であるとする「空観」と、万物の相互関係性(縁起)の中における「仮のゴール(役割)」に注目する「仮観」の2つの考え方をバランス良く維持している考え方と言えます。

あなたがもし本当の幸せを手に入れたければ、空観の視点に立つ「釈迦方式」でなければなりません。しかし、その場合は、空観だけを知るのではなく、空観から仮観を経て、釈迦が終始一貫して説き続けた「中観」の境地に到達できるようにする必要があるのです。

苫米地英人『201冊目で私が一番伝えたかったこと』

タロットとの対話だけでは、グノーシス主義的独我論=空観・仮観に陥ってしまう可能性がありますが、ニーチェと苫米地博士から学ぶことによって、世界のすべてを肯定する中観の境地に達することができるようになります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?