日記ナントカ

中込遊里の日記ナントカ第88回「観察:6カ月」

(2016年9月8日執筆:31歳)

半年過ごし、気が付いたことは、赤子を連れて外に出ると、どこにいても保証されるということだ。だから、多少大変ではあっても、娘を連れて外出する方が、独りよりも心安くなる。

制服でたとえるとわかりやすいかもしれない。

はたして制服には堅苦しいというイヤなところがある一面、何者であるか一目で保証されるという安心がある。たとえば、警察官や消防士など、制服を着ることによって脳が切り替えられ、力が湧くこともあるだろう。周りの人に「あの人ケイサツだ」と畏れられてその通りになるのだ。

赤子にも制服と同様の力があるようで、「この人は母親なのだ」と誰の目にも明らかになるのがこれほど居やすいとは思わなかった。電車やバスなど公共の乗り物でも、街中でも、否も応もなく身分証明されているという不思議な安心がある。

赤子とみれば大半の人は母子に気を遣る。そういう、甘んじた安心もあるかもしれない。けれど、それ以上に、「何者かである」「何者かでいられる」という安定は30年の人生でこれほど感じたことはない。

傍から見て、子を連れた母親が幸福そうに見えるのは、命のめでたさももちろんのことだが、このように“居場所がある”という理由なのではあるまいか。

3ヶ月に入り、首が据わり始めると、娘は安定してきた。

それまでは、どうかするとぷちっと潰れてはじけ飛んでしまうような危うさがあった。拙い母にはそのように見えていた。月齢の低いうちは、成長が激しいことから、変化の連続。それが危うさにもつながるのだろう。

体重の増えが緩やかになり、変化も急激ではなくなる。表情がずいぶんついてくる。ギクギクした動きながら、手足をひっきりなしにバタつかせて運動する。ミルクの量は増えても、運動量が増すので体重があまり増えないのだ。

2ヵ月~3ヶ月の娘のタイムスケジュール。9時前後に起床。ミルク。寝ぐずり。少し寝る。起きる。ミルク。寝ぐずり。繰り返しで夜になる。ただし、外出時は寝ぐずりがなく、楽。

赤ちゃんというのは誰も夕方から夜になるとわけもわからず不機嫌になるらしく、娘も例に漏れない。だから夜が来るのが気が重い。二人きりで家にいるのはなるべく避けるようにする。

4~5ヵ月になると、夜の憂鬱はなくなってきた。一日中よく遊びよく寝ぐずる。仰向けで手足バタバタから発展して、上半身をぐぐっとひねり、その可動域は大人を驚かせる。そこから寝返りにつながる。赤ん坊が寝返りするという知識を現実に見ると、成長のつながりに納得がいく。

6ヵ月。離乳食が始まる。第一日目から非常によく食べ、スプーンが遅いと唸って抗議する。嫌がっていたうつ伏せもできるようになり、体ごと横を向いて眠るようになる。でも、まだまだ人間というより生命の塊という印象が強い。しかし、0歳の前半に比べれば毎日の新しさと緊張は薄れる。少なくとも、毎日ともに過ごす母親にとっては。

3ヶ月を過ぎてから外出するようになり、6ヵ月の今は新幹線にも乗るようになった。いよいよ丈夫になっていく体は、長時間の外出にも適応、私の都合で連れまわし、外との触れ合いも多い。

そうなると、新しさは、赤子と“赤子を育てる女”と他者との関係に書き換えられていく。

電車で私の隣に立つご年配の婦人がベビーカーの中をひそかにあやす。こういう時、母親は涼やかにいて、話しかけられた時だけ答えるのが良い。

未知に接する時の赤子の目のまん丸のどこまでも深く、その時間は永遠。できるかぎり、大人特有の建前でその時間を濁らせたくない。

言わずもがな、社会にはいろいろな人がいる。赤子を通して見ると、そのいろいろはまた違う色を帯びる。赤ちゃんが苦手な人。好きでたまらない人。赤ちゃんに意識が強い人・弱い人。雑多な中を育っていく。

近所の買い物から始まり、市内の子ども支援センターでの触れ合い。初めての中央線の二駅間の緊張、半日以上の都心の遊び。高速道路で栃木へ帰郷、新幹線で岩手の演劇祭。母の欲望と気分に付き合ってどこまでも。

自分の意志で移動ができない赤ちゃんの手となり足となる時、どこまでも広い海で波を掴み航海する船乗りのようなワクワクがある。“人波”というが、人であっても波には変わらず自然があって、それを読まずに無理に進むときっとトラブルが起こる。小さくとも快適な船に乗って、ゆるやかに流れていきたい。

母親には、大げさに言うと、赤子と赤子を取り巻く世界との関係を結ぶ役割がある。その仕事には、舞台の裏方のような満足感があり、なかなか面白い。おむつ替えや授乳といったお世話にずいぶん慣れてきたからこそ思うこと。

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