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中込遊里の日記ナントカ第92回「語る言葉を持ち得ない」

東京にほど近い山梨県小菅村で新作を上演するのは、2015年6月の「ロミオとヂュリエット」以来2度目である。村に3つある、神社の境内舞台のひとつをお借りして、6月24日に「ハムレット」を上演した。

今年は、たちかわ創造舎を拠点に活動するメンバーに声をかけ、ご一緒して頂いた。お互いの作品を見合い、今後の自身の幅を広げるための場。立川市から多摩川を、小菅村という源流まで上っていき、村と繋がるための場。演劇の力をその場の力とする試みであった。

場を強く整えるには言うまでもないことだが金銭と人材の確保が必要である。そのための第一歩は言葉である。特に演劇のようなその場限りの霧のごときものに信頼を得てもらうには、言葉でいかに説得できるかにかかっている。

顔を付き合わせて、力を貸してくれそうな頼みの方々と話すにも言葉の威力だが、いわんや、書類が頼みの助成金や公とのやりとりは。貴重な財源を確保できるかどうかは、言葉の技術とこれまでの実績。実績という過去の事実を伝えるにも言葉。

演劇も言葉の芸術と言える。ことにシェイクスピアはすべてを言葉で語る舞台芸術である。照明効果のなかった野外劇場で上演する条件から、「今真夜中の0時の鐘が鳴った」と、台詞で俳優に状況を説明させる。

「ハムレット」の有名な台詞のひとつ“ことば、ことば、ことば。”(ちなみに、坪内訳では“文句ぢゃ、文句、文句。”)

言葉への焦がれからシェイクスピアを上演し始めたといっても過言ではない私は、言葉から逃れる焦がれも同時に持つ。(誰しもそうなのではないだろうか?)私の演劇の音楽も所作もそのためにあるはずなのだ。

往々にして言葉から始めざるを得ない演劇だが、願わくは、演劇の力を借りて、演劇の力に呑まれながら、そこにいる人々の生の温度に溶かされたい。後先考えずにイマ生きた暗闇を覗き込んで心中したい。そんな限りなく無謀な欲を持って舞台芸術は在る。

小菅村での一日こそふさわしいのであった。はたして金銭も集客も思うようにはならなかったし、未熟の私は公を動かす力も技術も持たないので、ともかく力業でも場を立ち上げようという熱意のみでの勝負は負け戦。その戦につき合ってくれた人々へのゴメンとトッテモアリガトウ。

しかし、終わってみれば、なんと贅沢な日だったことか。なんのためにとか、どんな役に立つとか、劇団の未来とかソンとかトクとか、そんな処世はいったん置き去りにして夢中で作品を上演する。観る。元民宿の、バァちゃんの生まれ家で朝まで30人以上で騒ぐ。演劇。家族。恋愛。人生。

小菅村での企みの成功とはなんなのだろう。

この大騒ぎには台風並みのエネルギーはあって、それに巻き込まれてみたいという人が増えることが、成功ということなのだろうか。けれど、言葉を持たぬ台風には、その自然を肌で感ずるより他はない。人は何で動くか?言葉か?温度か?

鮭スペアレは、2006年に、“演劇とは贅沢な遊び、秘密のパーティー”というモットーを掲げて旗揚げした。パーティーを真に贅沢にするには、それこそのらくらと遊んでいるだけでは駄目で、そのことが解らなかった20代半ばの挫折と恥に反省を重ね、利賀村を経て、立川という拠点ができた。

立川に至る前、つまり私生活で子どもを持つ直前まで、反省が重く肩にのしかかって固かった。ということにフト気が付いたのもこの小菅村にてだったのである。言葉が先ではない。自分の身体が切り替わったのだ。

大成功の形を描けば、そこでは語る言葉を持ち得ない。だからこそ、成功に至るまでには言葉を尽くし言葉を持って世界と関わろう。努力と運によって獲得された優秀な言葉たちを踏み越えて、言葉は霧散する。残るのは住まいも職業も抜きにした、人と人の温度のみ。

たちかわ創造舎SOM(シェアオフィスメンバー)企画
山梨県小菅村「えんげきの日」
2017.6.24

シアターort「長靴をはいた猫」
すこやかクラブ&小菅村の小学生たち「おなかのすくさんぽ」
鮭スペアレwith風煉ダンス「音楽劇 ハムレット」

主催:鮭スペアレ
後援:小菅村教育委員会
協力:地域おこし協力隊・自然文化誌研究会

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中込遊里

演出家。音楽劇・鮭スペアレ代表。多摩地域の中高生×シェイクスピア×中込遊里「たちかわシェイクスピアプロジェクト」代表。東京都立川市在住。3才女児の母。
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