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中込遊里の日記ナントカ第91回「マザー」

私が劇団を率いて主催している、中高生と創るシェイクスピア劇の第二回目が、5月のゴールデンウィークに行われた。中学生1人、高校生15人が集まってくれて、“はじめまして”から3日間の稽古で、40分ほどの作品を上演した。

前回に引き続き、坪内逍遥訳「夏の夜の夢」をアレンジした。今回は恋人たちと妖精の組み合わせ。作品自体は、短期間での迫力の評価があったし、また、参加者の中高生は非常に楽しんで成長してくれたので、上出来ではあったのだが、けっこう大きく道を逸れてしまった反省もあった。短期間で作品を仕上げる挑戦をしたいわけではない。次回の企画にて挽回すると誓う。

3日間のワークショップ(稽古)で何を進めたのか、記そうと思う。

稽古一日目は、お互いを知ることと、演劇の基礎。演技術を身に付ける訓練というより、人間とそれを取り巻く世界への観察力を身に付けることを基本とする。

その日の終わりは車座になり、「将来演劇人や俳優になりたいか?」という問いを一巡したのは豊かな時間だった。この問いも高校2年生の女の子から出たものだった。実に参加者の9割はなんらかの形でかかわりたいという。声優という目標も聞かれる。

そう決めてはいないから志が低いのだけれど、という発言は悲しい。俳優にならないから一段下だというのは的外れ。演劇の半分は観客の力だ。演劇を変えるには観客という民が変わる必要がある。だから、発信する側ではないから志が低いというのは絶対に違う。

二日目、三日目は、上演台本をもとに稽古開始。配役は参加者自身に相談で決めてもらった。ダンスの振付と演奏指導も入る。

鮭スペアレでは、しばしば「マイ」「ウタイ」という役割を演出する。ひとつの役を身体と声に分けるシステムである。(ちなみに、マイ・ウタイシステムを始めた2010年頃には、不勉強で、ク・ナウカの宮城總氏のことは知らずにいた。恥ずかしい。)

今回はマイ・ウタイを含めた演出にした。理由は以下。

①言葉と体を分けることで声と体に集中する
②ひとつの役を複数で演ずることで他者との距離を測り劇世界を拡げる
③難解な坪内訳の台詞を覚えずに済む

③は素朴で笑ってしまうけれど、3日間でしっかり台詞を表現するには現実的な理由。ウタイ役は、台本を持って立ったまま40分を過ごす。

マイ・ウタイではない妖精たちとは、音楽とともに演ずることを探求した。譜面に落とせない、声を使ったヘンテコな音楽。それに加えて人間ではない身体。欲張ってしまったので、理想ははるか。次回への反省点。

ところで、産後1年以上経つが、「お母さんのイメージになったね」と言われることが多くなった。体重も増えふくよかになったし、髪もくせ毛のウェーブを切りそろえず伸ばしたままで、雰囲気が柔らかくなったのだろう。

その指摘に引きずられてか、中高生とともにあると、優しい。第一回目のワークショップの時は、第一歩を踏み出せた喜びで劇団も私も救われた。ある程度の成功で多少自信を持った第二回目は、もちろん焦るし忙しいのだが、それを上回ってひたすら優しく温かかった。

私の両親は小学校の教員で、子ども時代の私の夢も同様だった。他の職業に馴染みがなかったからでもある。けれど、その夢は、演劇一直線の今でも途絶えることはない。この先の世界を創る人を大切にすることが何よりも重要だと信じる。

その動機で始めたプロジェクトではあった。しかし、ふたを開けてみると、“教育”という言葉は固い。私も他の俳優も“講師”という言葉を用いてはいるが便宜上である。私たちの未熟ゆえの手探りが柔らかさに繋がっているのかもしれない。

それは家族に近い。明確な役割が誰それにあるわけではないが、家族という集団が持つゆるやかな確かさによって前進する。そんな息遣いがあった。たぶん、劇団自体も長年の悲喜こもごもでそのようになった。ハタチの仲良しグループから、ミソジの腐れ縁へ。

日常でも芸術界でも溢れている、女性に母なるものを求めるという呪いのような仕来たりに巻き込まれるのが怖くて、母親業と演劇の仕事を切り分けようと決めていた。けれど、言うまでもないことだが、私という人間が隅々まで暴かれるのが演劇であるし、創る時からそれ以外ない。劇団で過ごした時間と、私の生活の変化が、一回り以上若い命によって自然とひらめき始めた。

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