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中込遊里の日記ナントカ第98回 「平成最後のマクベス大会/演出担当と劇団主宰との戦い」

私の主宰する劇団鮭スペアレの、シェイクスピア連続上演第3作品目「鮭スペアレ版・マクベス」がいったんの終わりを迎えた。

2018年12月「北千住BUoY」にて、公開ゲネプロ含む7ステージ。2019年2月「山手ゲーテ座」にて、公開ゲネプロ含む4ステージ。ここ数年参加しているTPAM(国際舞台芸術ミーティングin横浜)に今年も参加した。

「ロミオとヂュリエット」(2014年~2015年)「ハムレット」(2017年~2018年)は、私の妊娠から出産を通しての2作品だった。たちかわ創造舎に拠点を構えたこともあり、子育てを含む生活と、劇団の両立について、日々考えていた。

それは、保育園の助けを借り、いったん落ち着く。そして私の集中は劇団運営に注がれた。

「マクベス」が終わった今、演出家としての中込遊里と、劇団主宰者としての中込遊里の、“引き裂かれ”のただ中にいる。

劇団主宰者として、「マクベス」創作期間には、以下のことを目論んでいた。

・集団創作に熱を入れるため、劇団員を増やす。
・スタッフも出演者も兼務して、顔を合わせての作業に徹する。

私のもくろむ、「コンテンポラリー能」という果てしなくハードルの高い表現形態を成し遂げるには、時間も体力も人手も必要である。言葉だけでは適わない、身体共有を行うには、長期間顔を合わせて稽古するしかない。

けれど、同じ人間が集まるところには必ず「停滞」という最たる危険が潜み、それを回避できず沈んでいく集団は数知れない。だからこそ、今、劇団というものが流行していないのだろう。

鮭スペアレでは、それを防ぐために高校生と出会い続けることにしているのだが、それはまた別にまとめようと思う。

とにかく、劇団として力強く継続していくための作戦としての「マクベス」上演ではあった。

さて、シェイクスピア作品の中でも、「マクベス」は、非常に単純な話だ。主演の清水が、私はゴリラだ、と半分ふざけながら役作りをしていたのだが、本当に平凡で、力の強い、素直な男。そして宮川が演じたその妻も平々凡々としてなかなかの小心者である。

私たちは、マクベスが力も伴わず王になって果てていく様を、盛り上がったバブルがはじける様にたとえ、ことに横浜公演では、「平成最後のマクベス大会」と書かれた、箸にも棒にもかからぬ空虚な大看板を掲げ、その空疎さを祭り上げよう、とした。

終わった今、その空疎さに演じている側も包まれ、いったいあれはなんだったのか、という呆けた気持ちでいる。それは、きっと狙い通りなのだが、それにしても、演劇とはこのような単純明快な、狙い通りに行くようなものなのだろうか。

お客さまの中からは、「今までで一番わかりやすかった」という声も多数あり、音楽の評価も上がり、演技力も、清水を代表して全員が上がったことは確信していて、決して評判が悪かったわけではないのだけれど、時が経てば経つほどに、私は空洞である。

劇団員も、スタッフも、一人残らず精一杯戦ったのである。

今回初参加した、出会ったばかりの俳優も遅れを取らず、最大限マクベスに向かい合い、仕事を果たしたのである。

その劇団の空気を整えたのは間違いなく私であり、それは思惑通りであった。

しかし、演出家として、見たい世界をそこに広げたか。イイエと言わざるを得ない。それは、劇団旗揚げからの相棒である、ドラマトゥルクの宮川も同じ意見のようだ。

きっと、集団に、私が負けたのだ。演出としての私が、この集団を御することができなかったのだ。そしてその集団は私が作ったという皮肉。

私は、価値の高い演劇創作を、集団で継続することで可能にする道を選んだ。

一方、演出業とは孤独な作業の積み重ねである。

自分の、おそらくはこの世界で自分だけがわがままに見たいと切望している世界を、俳優の体を通し、戯曲を通して再現することで珍しい空間を創り、そこに立ち会った観客が想像力を巡らせ、人間やそれを取り巻く世界を再発見する、その仕掛けを作るのが、演出の仕事だろう。

それは、きっと時には劇団員も置き去りにし、俳優からとことん嫌われることにもなるはずだ。

劇団主宰と演出家という、集団と孤独の二極は両立できるのか。両立しているように見える先達者も多くいるが、きっとそれに苦しまなかったことはないのだろう、と想像する。

きっと、戦い続けること自体が必要なのだろう。考えてみれば、演劇の場のみならず、母として妻としての顔もあり、誰にも見られなくない顔だってあり、私に与えられた24時間はなんと引き裂かれ不安定であることか。

個人がどうあれ、未来はある。昨日と今日はまったく違う日。停滞は敵。保守は的。戦わなくなった私はきっと停滞し、そうなれば、創作の場に私はいない。

だから、私は戦い続けよう。荒れ果てた空虚の広場の中、そう覚悟を新たにした、「平成最後のマクベス大会」の祭りの後。

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