中込遊里の日記ナントカ第96回「ほんとは、まだしらない/中高生と創る演劇」

2018年7月24日火曜、今年の1月から7ヶ月間継続してきた中高生と創るシェイクスピア劇ワークショップが大団円を迎えた。

立川市市民会館・たましんRISURUホール小ホールでの昼・夜公演。これまでのワークショップ参加者は60人以上。成果発表公演の出演者は43人。客席をだいぶ潰したので、満席で130席弱だったと思う。昼・夜ともに満席。

成果発表公演のタイトルは「複数の高校生がシェイクスピア作品における劇的なセリフを大きく声に出しながら集団でせわしなく動き回る演劇」。

この長ったらしく、ウケを狙っているのか狙っていないのか判然としない絶妙なタイトルは、1月にワークショップが始まってから、比較的すぐに付けた。7月の成果発表がどのような構成・演出になるのか誰もわからないまま、必要に駆られて、劇団員と一緒に無理やり名づけた。

先にタイトルを付けて、それに作品を合わせていくという手法は演劇ではよくある。劇作家や演出家が新作を立ち上げる場合、構成やシチュエーションを決めてプロットより先にタイトルを決めるなんてこともあるが、今回はワークショップの成果発表なので、参加者の身体がどうなっていくべきかという観点から付けた。

私たちのワークショップでは、参加者である中高生(実際は9割以上が高校生だが)は以下の経験をする。

・シェイクスピア作品を知り、そこから発想を飛ばす。
・有名で劇的とされるセリフを大きく声に出す。
・集団での演技を構成する。
・身体の感覚を拡げて他者(相手役/観客/スタッフ/劇場・・・)を感じる。
・エネルギーを出すための様々な手法を知る。

このほか、演劇はなんのためにあるのかといった社会と演劇のかかわり、照明と俳優の関係など、裏方の仕事についても学ぶ。参加者のほとんどは演劇経験者だが、演劇は集団で創られるということを再確認するのである。

以上の体験をした参加者たちが出演する公演なので、「シェイクスピア」「集団」「せわしなく動き回る(=エネルギッシュ、また、短時間で創作する)」「大きく声に出す」という文言を入れたタイトルにした。だから、実際に上演して、観客が「タイトル通りだ!」と納得してくれたら、この7ヶ月間はひとまず成功したといえる。

結果、アンケートには「おかしなタイトルだと思って来たけれど、そのまんまでした」という意見も見られ、ひと安心した。ただ、シェイクスピアについては、もっと研究しなければならない。今回は5つの作品を取り上げたが、他にもシェイクスピア作品はある。また、構成に関しても、もう一歩進み、演劇をほとんど見たことのない観客にもしっかり届くようにするべきだという反省がある。

さて、成果発表の長いタイトルとは別に、ワークショップ全体のタイトルも別にある。「ほんとは、まだしらない」という。

このタイトルは、全能感があり、だからこそ自信が持てない、現代の中高生世代へのメッセージである。

生まれた時からインターネットに囲まれて育った彼らは、多感な10代をスマートフォンと共に過ごしている。今回のワークショップも、LINEグループでやり取りした。このためにLINEを始めた人はいなくて、60人以上の参加者全員が既にLINEを使うことができるのである。インターネットを使いこなすことがコミュニケーションの大前提となっている時代である。

距離・時間を問わず、インターネットさえあれば誰とでも連絡が取れる。遠い国の情報も見てきたように手に入る。憧れの芸能人の日常もクリックひとつで知ることができる。

33歳の私の思春期の時には考えられない、欲望の満たされがある。たとえば、ファンの芸能人の写真一枚を見るのにも雑誌をお小遣いで書い、切り抜いてファイリングした時代である。(もっと過去の時代はより一層アイドルは遠い存在だったろう。)

比較して、インターネットを使いこなす2018年の10代は、知ろうと思えばなんでも知ることができる。それは全能感につながる。けれど、その全能感は身体を伴わない。パソコンの画面から目をあげれば、思い通りにならない身体があり、一歩一歩歩いていかなければ進めない空間が広がっている。

どんなにインターネットに頼ろうとも、私たちは一番身近な自分の身体のことすらまったく知らないのである。手足はどのように動くか?声はどこまで届くか?目で確認することのできない内臓の働き、骨。そして、自分の身体を届けることができる、他者との距離。空間。

知った気になっている身近なものを、大切に観察する。その目的を「ほんとは、まだしらない」というタイトルに込めた。

ワークショップを経て、参加者の中高生が、毎日一緒に過ごしている部活の仲間を新鮮な目でみることができれば、ふだんは触れ合うことのない他校の生徒と楽しく過ごす時間が持てれば、ひとまずはこのタイトル通りなのである。全能感は虚しさを呼ぶが、知らないことは楽しく心が沸き立つことだからだ。

参加者たちは一様に楽しく過ごしてくれたようだ。キラキラと元気だったし、その様子を見た大人たちもそのエネルギーを感じてうれしくなったり逆に気圧されたりしていたようだった。

だが、私は、中高生のキラキラと輝くような元気な姿を見たいと思ったことはなかった。ただ、自分の周りの人と物事、そして自分自身を、大切に丁寧に感じてほしかった。その結果、キラキラと輝いて見えるのであれば、それは、私たちの生きる世界が輝いているということなのだろう。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

中込遊里

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。