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この不安はどこから来るのだろうか

この数日、延々とリピートして聴いている動画がある。

推しグループの方々によく似た、別の(?)アカペラグループだ。
何故か推しグループのチャンネルに上がっている動画なのだが(謎

私はずっと、この動画の存在は認識していたものの、再生は避けていた。
それが意識的にだったのか、無意識だったのかは自分でも分からない。
ただ、避けていた理由は明らかだった。

BEAT BOYSの『ふたりだけの夜』と同じように、夜の病院のベッドの上で聴いていた記憶があるからだ。
とにかくこの曲(当時は米米CLUBの原曲だが)を聴くと、無性に不安に襲われた。
でも聴く事を止める事が出来ない、そんな曲だった。


BEAT BOYS『ふたりだけの夜』:1990/07/21リリース
米米CLUB『浪漫飛行』:1990/04/08リリース

この2曲は同時に聴いていた記憶がある。
その記憶が合っているとして、私が病院でそれを聴いているとしたらお盆以降である。

発売から4か月以上経っても尚、ヒットチャートにランクインし続けていたのだろう。
それほどの名曲である。


『ふたりだけの夜』については、ハーモニーから得られる安心感を子供心がまだ「不安」としか認識出来なかったのではないか?と考察したが、この曲から得ていたものは何だったのか?
大人になった今、Squirrel Tigersと名乗る彼らの歌声に耳を傾けながら、改めて考えてみる事にした。


翼の折れたエンジェル

この曲は壮大だ。
広い世界を自由に羽ばたいてみようよ!
そんなメッセージが込められている。

これから翼を広げて広い世界に飛び立とうとしていた所で、ポッキリと翼を折られてしまった小学生の少女。
夢はたくさんあった。大人になったらやりたい事もたくさんあった。
しかし、突きつけられた現実はそれらの多くを奪っていく事になった。

夢と現実のギャップ。
訳あって既になんやかんや達観している子供だった故に、冷静に現実を受け止めていた。
どれだけ夢見ても、叶う事のない夢の数を無意識に数えていたのかもしれない。

大空への憧れ。
周りのみんなはこれから、その羽で自由に羽ばたいていくだろう。
私は残された片翼でどこまで飛べるのだろうか?
それは周囲から置いて行かれる事への不安だったのかもしれない。


大人になっても煽られる不安

そして今、改めて腰を据えてこの曲と向き合ってみる。
あの頃程では無いが、やはり若干の不穏な感情に襲われる。
それは「不安」とは少し違う感情だ。

『もしかしたら、本当はもっと飛べたのかもしれない』
『もっとキラキラした人生を歩めていたのかもしれない』
何となく、そんな事を考えるようになった。

これは「後悔」なのだろうか。
達観してしまったが故に、諦める必要のないものまで早々に諦めてしまっていたのではないか?

そんな事を考えているうちに、ふと忘れていたある事を思い出した。
私がそれを決めたのは20代前半の頃だ。

(以降、続くかどうか分からない自分語り新シリーズになるかもしれないし、ならないかもしれない…w)




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