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薔薇の下で ~ Under the Rose 奇譚 ~

 
 
【~ Under the Rose ~】 秘密で・内緒で・こっそり
   
 

古代ローマにおいて

天井から薔薇の花が吊り下げられた部屋で話したことは

他には洩らさない、という暗黙の了解があったという
 
 
即ち、隠蔽、とも言える

 
 

 
 
その部屋の天井付近には、逆さまにした一輪挿しのような状態で、いつも薔薇の花が飾られていた。

ぼくがその部屋を訪れるのはいつも夜。

その薔薇は仄暗い部屋の中で艶やかさを放っている。

そう、彼女のように。

彼女━薔子(そうこ)━と知り合ったのは何度か訪れているバー。

いつものようにカウンター席で飲んでいた週末の夜、ふらりと現れた。

「……隣、よろしい?」

ふいに声をかけられ振り向くと、滅多にお目にかかれないようないい女。整形なんじゃないかと思うくらいに。

だが、とりあえずの目の保養に悪い気はしない。

「どうぞ」

格好つけて言葉少なに返事をすると、女は軽く頷くように会釈をし、優雅な仕草で腰かけた。

近くで見ても、見れば見るほどに美しい女だった。

陶磁器のように滑らかな白い肌、烟るように揺れる艶やかな髪の毛、黒目がちの瞳が潤み、唇が誘うように微笑む。深い茜色のワンピースの上に白いボレロのようなカーディガンを羽織ったその姿は、夢の中でしか会えないような、まさに理想の女だった。

「ブランデーを……」

女がオーダーするとバーテンダーが頷く。

ブランデーグラスを掌で包み込み、仄かにあたためながら香りを含む女を横目で見ながら想像する。

(何をしている女だろう?)

普通のOLなどではない気がする。明らかに場慣れしている様子が窺えるからだ。サービス業……もっと端的に言えば『玄人』っぽい。

女のグラスが空きそうになるのを見計らい、ぼくはオーダーしたブランデーを彼女の方へと押した。

「どうぞ。お近づきのしるしに」

表情を変えることなくグラスを見やった女は、その瞳をぼくの方に向けてじっと見つめる。まるで吸い込まれそうな深い瞳。

(下心でもあると思われたか?)

まあ、全くないと言えば嘘になる。が、とりあえずは会話の取っ掛かりにしたかっただけ。

女はグラスのステムを掴みながら、妖しいほどに魅惑的な微笑みを浮かべた。

「では、お言葉に甘えて」

きっと、こんなことには慣れっこなのだろう。取り巻きどころか、どうにでもなる男がいくらでもいそうな気配だ。

「お名前を伺ってもよろしいですか」

ぼくの言葉にチラリとこちらを見やると、

「……あなたのお名前は?」

遠回しに『先に名乗れ』とダメ出しされる。

「失礼しました。並木京介(なみききょうすけ)と言います」

女は上目遣いで口角を上げた。

「私は薔子と言います」

「そうこ……さん?どう言う字を書くのですか?」

苗字を名乗らなかったが、女性特有の警戒心だろうと勝手に解釈する。

「薔薇(ばら)の上の字……薔薇(そうび)の薔に子どもの子です」

薔薇の上の字とは。何とも華やかで彼女にお似合いだ。

「素敵なお名前ですね」

「ありがとうございます」

嬉しそうに言った彼女は、それから少し打ち解けてくれたのか、飲みながら世間話をする。話していると、中身も聡明であることが容易くわかった。

「並木さん?この後、ご予定はおありかしら?」

小一時間も経った頃、薔子が切り出した。

突然の質問に、一瞬、間が空く。

「……いえ。特には。帰宅するつもりです」

ぼくの答えに、

「もし、よろしければ、ですけど。ブランデーのお礼に、場所を変えて一杯如何かしら」

絶対に断れない、そして、恐らく断られたことはないであろう、まさに小悪魔のような微笑みを浮かべ、小悪魔を通り越して悪魔の誘惑が如く囁いた。

「……よろしいんですか?そんな……」

一応、一度は遠慮してみせるが、断る気持ちなどさらさらない。第一、断る理由がどこにあると言うのか。

「……ええ……ぜひ」

この時、やめておけば良かったのだ。ぼくは。

薔子がぼくを連れて行ったのは、ワンフロアに一部屋しかないような高級マンションの一室。まさか店ではなく、いきなり部屋に連れて行かれるとは。

眼下の眺めに感嘆しながら、薔子が手ずから作った酒を含む。が、正直、嫌な予感もする。こんな部屋に女ひとり暮らしているとは……ヤバいパトロンでもいたら堪らない。

そうは思うものの、抗えないほどの引力。しかも、薔子の差し出す酒はぼくの好みに合い過ぎて、アルコールと雰囲気、そして彼女の放つ強烈な魅力。ぼくの意識は限界まで酔わされていた。

「並木さん、大丈夫ですか?ずいぶん酔いが回ってしまわれたみたいですね。ごめんなさい……飲ませ過ぎてしまったかしら」

「いえ、大丈夫です。確かにだいぶ酔いは来てますが……気分は悪くありません」

そう返事はしたものの、ちょっと帰れる自信はなかった。すると、薔子は意外なことを口にした。

「よろしければ、今夜はこのままここにお泊まりくださいな。もう、これから帰るのも大変でしょう?」

その言葉に、あらぬ期待と同時に脳内で危険信号が点滅する。

「いや、しかし、それでは……」

そう言って立ち上がろうとすると、確かに歩くことは出来ても、電車はおろかタクシーに乗るのも厳しそうな気がした。

「無理なさらないで……」

薔子はぼくをソファに座らせながら、ブランケットをフワリとかけてくれた。

と、横になれるようにソファを設えてくれていた彼女の髪の毛が流れ落ち、ぼくの顔をくすぐる。鼻孔を花の香りが占めたと同時に、彼女と視線が絡み合った。

目が離せない、抗えない魔力を放つ瞳。知らず知らず、手が彼女の頬に伸びる。彼女は振り払うでなく、ぼくを見つめ、そして━。

薔子の唇の口角が持ち上がると同時に、ぼくは彼女を引き寄せてその唇を塞いでいた。自分でも信じられないくらいに、荒々しく彼女の唇を押し開く。

彼女の腕がぼくに回され、その指が首の後ろを這うのを感じた時、身震いすると共に最後の糸はプツリと切れた。

その時、最後に目に映ったのは。

ひとつに溶け合うぼくたちを、天井付近から見下ろしている、一輪の薔薇の花。

その後も、ぼくはたびたびその部屋を訪れ、彼女との甘い毒のような時間を過ごした。彼女と会えるのは夜から翌朝まで。その限定感がまた堪らなく心をそそる。

『この部屋で会っていることは、誰にも秘密にして欲しい』

薔子のその言葉も、また悪魔の囁きのようだった。

何度目かの夜。

ベッドで彼女を腕に抱きながら訊いてみる。

「何故、ぼくを誘った?」

「あなたに惹かれたから……」

「そうは思えない。本当は何故?」

その問いに、彼女は上半身を起こしてぼくの上に乗せかけ、じっと見つめて来る。

「……あなたが魅力的だったのは本当。でも、確かにそれだけじゃないわ」

ぼくは黙って彼女の髪の毛に指を通した。

「……あなた、人に知られたら困ることがあるでしょう?」

彼女の髪の毛を通す指が止まり、同時に、心臓が一瞬、跳ね上がる。

「全て知ってるの。だけど、それをバラすのが目的じゃなくて、協力して欲しいの……まあ、脅迫には変わりないけど」

艶然とした笑みを浮かべて薔子は続けた。

「知ってるはずない、って顔してるけど、彼女とのこと、知ってるのは私だけじゃないから、もし私を殺したとしても意味はないわよ」

心臓が冷えていくような感覚。何故、知っている?あのことを……。

「……何を協力しろと?」

ぼくの陥落の言葉に、彼女はまるで天使のように優しい微笑みを浮かべた。だが、ぼくにとっては悪魔の微笑みだ。

「あなたの得意なこと。私があなたにしたような誘いを、指定の女性相手にして欲しいだけ……あなたには簡単なことでしょう?」

挑戦的な目でぼくに問う。

「……そうだな。確かに、それだけなら簡単だ」

満足気に頷いた彼女は、ぼくに軽く口づけをし、

「報酬は悪くないわよ。その他のオマケは私とのこんな時間……お望みの時に」

ぼくが彼女の魔力から逃れられないことを確信してのセリフ。

「その時には、あなたは好きな名前を何でも名のればいいわ。ただし、あのバーと、この部屋の中での出来事は、内密に……」

そう言って彼女は、今度は深く口づけて来た。絡みつくように甘い口づけ。

逃れることは叶わない迷宮に堕ちたぼくは、口づけを受けながら身体を返し、彼女に覆い被さった。

「Under the Rose……そう言う意味だったのか……」

呟きながら、ぼくは自ら彼女の深みへと沈み込んで行った。
 
 
 
 
 

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