見出し画像

魔都に烟る~part24~

 
 
 
 レイにとっても、ガブリエルは血を分けた存在であるはず。それでも、この状況に於いてさえ、レイには何ひとつ動揺する要素はないのか。

 母親の最期さえ、何でもないことのように語った彼にとっては。

 ローズはレイの顔を見上げた。

 感情の読めない瞳。冷たさを内包した横顔。

 (……何も……何も感じないの?何があっても?)

 もしも今、レイが自分と同じような状況に陥れば、この事態に於いて、それはそれで危険であることは充分にわかっていた。ふたりで動揺しているとしたら、間違いなく今のガブリエルに勝つことなど不可能であるから。

 それでも。

 それで良しと考えていいのか。それとも、やはりレイを感情のない冷たい男と考えるべきなのか。

 ローズは俯いた。自分の中の葛藤に翻弄される。━と、その時。

 「……それで……ガブリエルは?彼をどうしたのですか?」

 平坦ではあるものの、充分にローズに衝撃を与えるレイの言葉。俯けた顔を、思わずレイに向けた。

 変化のないレイの顔。次いでガブリエルの方を見遣ると、先ほどまで浮かべていた酷薄な笑みは消え失せている。

 「……何が言いたい?」

 抑制したガブリエルの言葉に、レイは坦々と言い放った。

 「……あなたがガブリエルでないことはわかっています」

 瞬間、ガブリエルの表情が変わる。

 「……一体、何のことだ?」

 「言葉の通りです。あなたがガブリエルではない、と言う。いや、正確には、器はガブリエルでも中身は違う、と言った方がいいですか?」

 ローズは息を飲んだ。睨み合うふたりの男━正確にはレイの目に怒気は含まれてはいないが━を交互に見遣る。

 緊迫した空気の中、先に口を開いたのはガブリエルの方であった。

 「……さすがだな、ゴドー伯爵。いつから気づいていた?」

 「……はじめから……」

 その言葉に、ガブリエルの目の色が明らかに変わる。

 「……何故、わかった……?」

 「……私には見えるのです。どんなに隠そうとしても……オーソン男爵」

 「…………!」

 それは、ローズの方が驚愕する言葉であった。

 (何故……!?何故、お祖父様がガブリエルの身体に!?)

 「……ガブリエルはどうしました?」

 ローズの気持ちを代弁したかのように、レイは変わらぬ調子でガブリエルの器に入り込んでいるオーソン男爵に問う。すると、ガブリエルの顔で口元を歪めて笑った男爵は、ガブリエルの声で笑いながら答えた。

 「なるほど。“左眼持ち”と言われたゴドー家の力は本物だったと言う訳か。わしの本体が見えるとは……大したものだ」

 「質問の答えになっていませんね」

 レイの物言いが勘に障ったのか、オーソン男爵(=ガブリエル)の目が鋭くなる。しかし、気を取り直したのか、薄ら笑いを浮かべ、

 「ふ……ガブリエルか……あの小僧なら、わしが一体化して飲み込んでやったわ。端からそのつもりでおったしな。老いさらばえた身体とも、おさらばするいい頃合いだったわ」

 如何にも、楽しい出来事を語るような口調。

 自分の身体が、真っ直ぐに立っているのかさえわからないくらいの衝撃。ローズの両手は、無意識にレイの服を掴んでいた。

 そのまま崩れそうな足。ローズの腰を支えるレイの腕が力を強めて引き上げた。その腕の感触だけが、唯一、ローズの意識を現実に保たせている。

 ローズの心はさらなる葛藤に飲み込まれそうになっていた。

 もちろん、ガブリエルを赦せる訳ではない。彼が自分にしたこと、そして多くの犠牲者を出したことを、赦せる訳もない。

 それでも、今、この状況に於いてローズの脳裏に浮かぶのは、彼が血を分けた『弟』であると言う、変えようのない事実、だけであった。

 相反するガブリエルへの感情の狭間。この期に及んでも動じた気配のないレイに、ローズが絶望すら覚えそうになった瞬間。

 レイの腕と、ローズがしがみつく背中の筋肉が、僅かに、本当に僅かに、硬く引き締まったことに気づく。

 触れている自分にしか気づき得なかったその僅かな変化に、レイの静かな心の襞をローズは感じた。

 「……禁断の法を使いましたね」

 静かな怒りを湛えたレイの声音。

 「わしの計画には12人の贄が必要でな。ガブリエルが調達した贄は今までに9人。わしの身体を入れて10人。残りふたり……お前たちを捧げればちょうど良い。最高の贄になるだろうて……ククク……」

 本心から楽しんでいるその様子に、ローズの背中に鳥肌が立った。

 「……自分の実の孫を……」

 必死に絞り出したローズの声に、オーソン男爵はニヤリと笑う。

 「ローズと言ったか?本来なら、お前を使っていたところなのだぞ。……が、生憎、女だったのでな。お前たちの母親が、わしの元に戻る条件で生き長らえさせてやったのだ」

 知らなかった真実に、ローズはもはや立っていられなかった。父が、母が、どんな思いを抱えていたのか。何故、自分を隠すように育てていたのか。

 ずり落ちそうになるローズの身体を、レイは片手で抱き留めたまま微動だにしなかった。

 そして、何かを呟いたかと思うと、

『ガブリエル・アスター・オーソン』

 今まで聞いたことがないような━まるで頭の中に直接届くかのような━声で呼びかけた。この声は、ローズの護符を起動させるために、フルネームを呼んだ時の声とは明らかに違っている。

 低く透る、不思議な声。

 レイの謎の呼びかけに、オーソン男爵の表情が訝しんでいるのが見て取れる。

 「……貴様……!?」

 オーソン男爵の声には全く反応せず、レイはその不思議な声でさらに呼びかけた。

 『ガブリエル。私の声が聞こえますね?』

 「バカな!聞こえる訳があるまい!あやつの精神など、とっくに消え失せたわ!」

 オーソン男爵がバカにするように叫ぶも、レイはまるで、耳に届いていないかのように続ける。

 『あなたは言っていましたね。私の存在が、私が生まれたことが、あなたの運命を狂わせた、と』

 ガブリエルがレイに向かって放った言葉を、ローズは思い出していた。

 『お前が生まれたせいで、私の境遇が変わった』

 確かにそう言っていたのを憶えている。

 ……が、出自の責任など、ガブリエルにないのと同じように、レイにもないのだ。だが、ローズの心情を他所に、レイはガブリエルに呼びかけている。

 『あなたが、父と、あなたの母上に望まれて生まれた存在であるからこそ、私は生を受けたのです』

 その言葉に、ローズは足に何とか力を入れ、レイの横顔を見上げた。感情を見せないその横顔に、僅かな心の在り処を探す。

 『あの頃、あなたを救える確率は限りなく0に近かった。それでも、僅かな希望があるのなら救って欲しい。……万が一、無理であった時には、それでも……』

 「うるさい!黙れ、小僧が!」

 オーソン男爵ががなり立てた。しかし、レイは一向にお構いなしの体で言い放つ。

 『魂だけは救って欲しい。解放してやって欲しい、と』

 「……レイ……」

 レイは、ローズの言葉にも反応を示さなかった。そして。

 『……それが、私がこの世に生を受けた理由です』

 そのひと言に、ローズはレイが感情を示さない理由を初めて慮った。

 自らの存在意義が、兄弟を救うためだけのものだと知って、どうして平静でいられるだろうか。

 レイが己を誤らず、そして見失うことなく目的を果たすためには、今のようにならざるを得なかったのだ。

 全てを圧し殺して。

 全てを他人事のように。

 (挫けてる場合じゃない。私の目的はまだ果たされていない)

 そう思い直し、自分の足で立とうと力を入れたローズは、ガブリエルの身体を乗っ取ったオーソン男爵を真っ直ぐに見据える。

 しかし、この時ローズは、レイが生まれた理由がもうひとつあることを、まだ知らなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?