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かりやど外伝〜松の宮 護る刀自〔六〕

 
 
 
「……掏り替える……!?」
 副島(そえじま)の提案を聞き、冴子(さえこ)の第一声はそれであった。
 
 言葉を失っている冴子の耳を、副島の声が通過して行く。それでも、副島の顔を見れば、冗談でない事だけはわかった。
「……そんな簡単に行く訳が……第一、そんな事をしたら、相手方の母親が……」
 気の毒過ぎる──そこまで言葉が出て来ない。子どもにしても、生涯知らずにいられれば良いが、真実を知る日が来たらどう思うのか?
 掏り替えられた当事者である冴子には、その子が自分のように、幸せな知り方を出来るとは限らない、とも思えた。
「……後々、問題が起きそうな気がしますね……」
 冴子よりは、かなり冷静に話を聞いていた沙代でさえ、やはり子どもの掏り替えには不安そうである。
 だが、副島が続けた言葉は、更に二人を驚愕させた。
「子どもの掏り替え、ではありません」
「……えっ……?」
 疑問の声が重なり、目が副島を凝視する。
「親子共々、そっくり入れ替わるのです」
「………………!」
 冴子たちは、またも揃って息を飲んだ。反して副島は、二人の顔を交互に見ながら坦々と続ける。
「……つまり、違う母子に『倉田沙代親子』になってもらい、沙代さんたちにその親子の名前で暮らしてもらう、と言う事です」
 冴子と沙代は顔を見合わせた。
「……そんな事、簡単に出来る訳が……第一、条件に適った親子が、そんなに都合良く見つかるとも……」
「……おります」
 一瞬、冴子が言葉に詰まる。
「……今、何と……?」
 ようやく訊き返した冴子に、副島は真正面から向き合った。
「既に話もついております。逆に言えば、彼女たちの事がなければ、私はこの方法を思いつかなかったかも知れません」
 冴子は完全に言葉を失った。膝の上で組まれた指が微かに震えている。
「……了承……している……と……?……それは本当に、心から納得しての話なのですか?……無理強いしたのではないのですか……?」
 震え声で問う冴子に、副島は首を振って否定した。
「……強制などしておりません。望んでいる、と言う程ではありませんが、そうしても構わない、くらいには思っているようです」
「……何故です?」
「先頃、彼女は──小半百合子(おながらゆりこ)と言いますが、長く病床にいた夫を亡くしているのです。その後に……つい先日、子が産まれ、ある意味では途方に暮れ、ある意味では病気だった夫の姿を出来るだけ思い出したくない、と……」
 副島の説明は、決して嘘と言う訳ではなかったが、全てを明かしている訳でもなかった。
 小半百合子の産んだ子は、実は副島の子どもである事、夫が亡くなって直に産まれたため、戸籍上は小半籍になる事を。
 そして、初めから道ならぬ関係になるつもりだった訳ではなく、治るあてのない夫の看病で心身共に疲れ切っていながら、健気に振る舞う百合子に惹かれた事、そして百合子自身も副島に救いを感じた事、を。
 それは副島と百合子の問題であり、敢えて話す必要はない、と判断しての事であった。
 
「……歳の頃も沙代さんと同年代……身寄りもなく、別の場所で『倉田沙代』として暮らしても、何の問題もない、と言う事です」
「……でも、この件は訳ありです。それを関係ない一女性に……」
「私が責任を持ちます。お二人がきちんと生活出来るように、子どもたちが問題なく成人出来るように……」
 言い切る副島に、沙代が膝を一歩出す。
「副島さま。お願いします」
「……沙代ちゃん……!」
 沙代は意思のこもった目を冴子に向けた。
「奥様。これ以上の方法はないと思います。全て副島さまにお任せしましょう」
「……でも……でも、あなたは『倉田沙代』としてではなく、もしかしたらこれから一生、別人の『小半百合子』さんとして生きて行かなければならないのですよ……!?」
「……私の人生は、あの時に終わっていてもおかしくありませんでした……彼と子どもと一緒に。……長らえた事に何の意味があるのか、とずっと思っていました。……きっと、このためだったのです」
 見つめ合う二人の目は対照的であった。揺るがない沙代の決意と、揺れている冴子の気持ちそのままに。
「……奥様。時間がありません。出生届の事もあります。……ご決断を……!」
 沙代の膝に、冴子が崩れるように伏した。沙代が冴子の手を強く握りしめると、細い指が激しく震えているのを感じる。
「……奥様……長い間、お世話になりました。本当にどれだけ感謝しても足りません」
 顔を上げた冴子の頬を涙が伝う。
「……生活面の援助は全て、わたくしが副島さんを通じて行ないます。……それだけで済むものではありませんが……せめてもの……」
 再び泣き伏す。
「……奥様……お子の名前はどう致しますか……?」
 沈黙を守っていた副島が、静かに冴子に訊ねた。沙代の膝から僅かに顔を浮かせ、冴子が震える声で告げる。
「……優一(ゆういち)……優しいと言う字に漢数字の一で、優一と……」
「わかりました」
 陽一郎の名を意識しているのは明らかであった。だが、あまりにあからさまではいけない、と言う気持ちが表れてもいた。
 
 数日後の夜、沙代が去る時、冴子は封書と着物の一揃えを渡した。
「……わたくしの縫い方だから、大したものではないけれど……それと、いつか事情を説明しなければならない日が来た時のために……ここに全てを記してあります」
「……奥様……」
 涙を堪えて受け取った沙代は、副島が用意した車に乗り込んだ。窓を開け、冴子と手を取り合う。
「……ごめんなさい、沙代ちゃん……ごめんなさいね……」
「……奥様……お身体を大切に……お世話になりました……旦那様や陽一郎さまにも……」
 名残の尽きぬ二人を副島がそっと促し、車は静かに走り出した。
 
 副島の采配で入れ替わり、小半百合子となった倉田沙代は、この後、二度と冴子と会う事はなかった。
 そして、事を明るみに出さないため、副島も必要以上に松宮家に近づく事はなくなり、表立って関わる機会はほぼ絶った事になる。
 
 また、倉田沙代となった小半百合子は、幼い息子を残して数年後に亡くなった。その際、副島の喪失感を慰めた女性が西野早苗(にしのさなえ)と言い、彼女は副島の知らぬところで娘を産むに至る。
 

 
 沙代が去って後、冴子は自らの衰えを痛感していた。今まで、沙代がどれほど周りに気を配ってくれていたのか、自分では賄えない事がどれほど増えているのか、を。
 並行するように、娘・曄子(はなこ)の見合い話なども持ち上がっており、忙しくなる事を見越した冴子は、早々に手伝いの女性を探す事にした。
 条件に適う女性は、幸い信頼出来る人間を介してすぐに見つかり、即日、働いてもらう事になった。
 
 その女性が入って来た時、冴子は思わず履歴書の内容を確認した。『46歳』とあるが、どう見ても十以上若く見える。写真では良くわからなかったが、沙代よりも歳上とは到底思えず、何かの間違いではないか、と思う程であった。
「はじめまして。こちらの主治医でいらっしゃる先生のご紹介でお世話になります……曽野木小春(そのぎこはる)と申します。よろしくお願い致します」
 だが、間違いはない。小柄で童顔ではあるが、はっきりとした挨拶に明るい笑顔。冴子はひと目で好感を抱いた。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。小春さん、とお呼びしていいかしら?」
「……あの……」
 小春の明るい笑顔が、不意に曇った事を冴子は見逃さなかった。不思議に思うと同時に、目が小春の手に吸い寄せられる。
 左手に、サイズの違う同じデザインの指輪。
 詳しい事はわからずとも、冴子は察した。小さく頷いて顔を上げる。
「……では、春さん、でいいかしら?」
「はい」
 小春の顔がパッと明るくなった。これ以後、小春は松宮家では『春』と呼ばれる事になる。
 ──と、冴子が微笑んだ時、扉をノックする音。
「どうぞ」
「失礼します。お呼びですか、お義母様」
 入って来たのは美紗(みさ)であった。
「春さん、紹介するわね。息子のお嫁さんなの」
「はじめまして。曽野木小春と申します」
 笑顔の春がピョコンとお辞儀をすると、美紗も笑顔になる。
「……あ、新しくお手伝いしてくださる方ですか?はじめまして。松宮美紗です」
「そうなのよ、美紗ちゃん。曽野木さんは先生の紹介で来てくださったの。これからは春さん、って呼ぶ事にしたから」
「よろしくお願い致します!」
 冴子の説明に、春が再び頭を下げた。
「こちらこそよろしくお願いします。……沙代さんの後任って伺っていたから、もう少しお歳上の人かと思っていました。歳の近い方が来てくださって嬉しいです」
「……あ……」
 美紗の言葉に、春は気まずそうな顔をし、冴子はクスクスと笑う。
「やっぱり美紗ちゃんもそう思うわよね。春さんね……実は沙代ちゃんより歳上のようよ」
「えっ……!?」
 美紗も驚きを隠せない。
「……ご、ごめんなさい。てっきり、私といくつも違わないと……」
 慌てる美紗に、春が恥ずかしそうに笑った。
「……いえ……良く言われますので……」
 二人の様子を微笑ましく見ていた冴子が、思い出したように美紗に向き直る。
「美紗ちゃん。悪いけど、春さんに陽一郎たちを紹介してくれるかしら?」
「わかりました。ちょうど今、お義父様と一緒なので……」
「あら、それはちょうど良かったわ」
 ──と、その時、
「……あ、あのっ……!」
 春が慌てて声を挟んだ。
「……も、申し訳ありません。あの……出来れば先生にもご挨拶をさせて戴きたいのですが……」
「ああ、そうね。……美紗ちゃん。陽一郎たちを紹介したら、先生のところに案内してあげてくれる?」
「わかりました。じゃあ、春さん……行きましょうか」
「はい!ありがとうございます!……では、奥様……失礼します」
 冴子に一礼し、春は美紗と共に部屋を出た。
「申し訳ありません。若奥様に案内して戴くなんて……」
「とんでもない!……あ、ここが居間で、二階の奥が主人の書斎です」
 重厚な木の扉の前。立ち止まった美紗が、春に目配せしながら軽くノックする。
『どうぞ』
 中から若い男の声。
「失礼します」
 中に入ると、奥に風格漂う年輩の男が、手前にスラリとした爽やかな青年が座っている。
「お義父様、陽一郎さん。新しくお義母様のお手伝いに来てくださった……春さん、だそうです」
「はじめまして。曽野木小春と申します。よろしくお願い致します」
 何回、言ったかわからない挨拶をさらに上乗せ。男二人が頷く。
「松宮陽一郎です。よろしく。こちらは父です」
「……よろしく頼みます」
 『陽一郎』と名のった若い方の男の紹介に、年輩の男性も手短ながら、きちんと声をかけてくれた。春はピョコンとお辞儀をする。
「それにしても、今度はまたずいぶん若い人を……」
 陽一郎の言葉に、春はまた苦笑いを浮かべ、美紗は先程の冴子のようにクスクス笑った。
「陽一郎さん。私もさっき同じ事を言ったんだけど、春さんは沙代さんより歳上なんですって」
「……え……」
 美紗の返答に、昇蔵の目までが丸くなる。
「じゃあ、先生のところに案内しますね」
 笑いを残したまま、美紗は春を促し、唖然としている男たちを残して扉を閉めた。
 
「先生のご紹介、と言うと……どんな繋がりで?」
 質問を受け、春はスラリとした美紗の横顔を見上げた。
「あの……私が色々とお世話になっていた先生が、こちらの先生の後輩に当たるそうで……」
「ああ、そうなんですか!……あ、あそこが簡単な医療機関になっています。もっと大きな施設もありますけど、こことは違う場所にあるので……」
 渡り廊下で繋がった、別棟のような建物。
「先生」
 ノックすると、ややして、中から扉が開いた。
「これは奥様」
 50代くらいの、渋い落ち着きを醸し出す白衣の男性。声も落ち着いている。
「今日は、先生のご紹介で来てくださった、新しいお手伝いの方をご紹介に……」
「おお!それはそれは……奥様直々にありがとうございます。どうぞ中へ……」
 二人が中に入ると、窓際に立っていた若い男が振り返り、美紗の顔を見て会釈した。
「あら、ちょうど良かった。若先生もいらしてたんですね」
 若い男が苦笑いする。
「……まだ医者って言えるようなもんじゃありませんよ」
「そうそう!まだまだ医者などとは言えない!」
 恥ずかしげに言う男に、壮年の医師がニヤニヤしながら追い打ちをかけた。二人のやり取りを笑って見ていた美紗が、ポツンと立っていた春を前に促す。
「先生。こちらが曽野木小春さん……春さんです」
「はじめまして。曽野木小春です。神屋先生を通してご紹介戴き、本当にありがとうございました」
 ピョコンと頭を下げる春に、医師の目元が弛んだ。
「おお、きみが神屋推薦の。初めてお目にかかる……夏川と言います。こっちは息子の崇人(たかひと)」
 崇人と呼ばれた息子が軽く会釈した。気さくで朗らかな印象の夏川は、神屋と雰囲気が良く似ている。
「じゃあ、私はこれで。春さん、お話が済んだら、お部屋に案内しますね」
「あ、ありがとうございました!」
「奥様、すみませんでした」
 三人に笑いかけ、美紗が一足先に戻って行くと、夏川と春はしばし談笑した。
 
 大切な共通の知人の話題が尽きる事はなく。
 
 
 
 
 
〜つづく〜
 
 
 
 
 

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