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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part4~

 
 
 
 クライヴがアシュリー邸を訪ねて数日──。

 その頃には、マーガレットは新しい生活に完全に馴染んでいた。少なくとも傍目には。

「マーガレット」

 頃合いと読み、クライヴは茶の用意をする妻に呼びかけた。

「はい?」

「少し良いですか?」

 テーブルで向き合うと、どこかいつもと違う空気を感じるのか、妻の顔に緊張の色が浮かんでいる。

「最初に話しておくべきことと思いましたが……」

「……はい……」

 緊張から不安へと変化する。

「貴女が父上に言われたことについて、です」

 瞬間、ビクッと身を震わせた。

「……な、何のことを仰っているのですか……? ……そのようなこと何も……」

「……ないはずはないでしょう? 『アシュリー子爵と離縁し、ゴドー伯爵に嫁がなければ』……その後、何と言われました?」

「……い、いいえ……! ……いいえ、何も……!」

 膝に乗せた手を握りしめ、マーガレットは頭(かぶり)を振った。みるみる内に顔が蒼白になる。

「……ならば、私が代わりに言いましょう……」

 マーガレットの視線が一点で止まった。

「……そなたの大切な夫と娘がどうなるかわからんぞ……とか……?」

「…………!」

 見開かれた瞳がクライヴを凝視し、そのまま数秒。唇が俄かに震えだす。

「……いいえ……! そのようなことありません……!」

 それでも否定し、激しく頭(かぶり)を振って認めようとはしない。だが、どれほど言葉で否定しようとも、全身が肯定していた。

「……ゴドー家の……私の子を産まなければ……」

「伯爵のお考え過ぎにございます……!」

「……もしくは、私の子を産みさえすれば……」

「……違います……!」

 必死の形相と上ずる声でクライヴの言葉を遮る。夫を『伯爵』と呼んでいることにすら気づいていない。泣きそうな顔のマーガレットに、クライヴは小さく息を洩らした。責めるでなく、ただ、問う。

「……陛下から貴女との話が出た時、私が何も気づかなかった、とお思いか……?」

 クライヴを見つめる愕然とした様子が、微塵も考えていなかったことを物語っていた。

「……けれど、今、私が言っているのはそのことではありません。貴女を私に嫁がせた男爵の思惑とは別問題です」

 膝の上で握りしめた己の手を見つめ、マーガレットは微動だにしない。

「ここでの生活が、貴女が真に望むものではないことはわかっています。けれど、ここにいる以上は、男爵が貴女に何を言い含めていたとしても気になさる必要はない、と言うことです。少なくとも、何も憂うことなく過ごして良いのですよ」

 何を言っても放心状態のマーガレットに、さすがのクライヴも言葉を止めた。何をそれほどに怯えているのか、と。その時、不意に思い当たったのは彼女の『箱入り』の度合いであった。

「……マーガレット……私の……ゴドー家の役割についてご存知ですよね……?」

 ぼんやりと向けられた目から、虚ろさはやや抜けている。それでも、自分が何か問われていることはわかった、と言う程度の反応。

(……これは……まさか……?)

 クライヴの脳裏を不穏な予感が掠めた。

「……お父上から……いや、ライナスでも構わないが、私の役目について何も聞いていないのですか?」

「……お役目……カーマイン様の……」

 ライナスの名が出たせいか、マーガレットの目にやや光が戻る。だが、虚ろな返事に、クライヴは彼女が何も聞かされていなかったことを悟った。途端に、彼女を娶る前にリチャードと交わした会話がまざまざと甦る。

(……リチャードめ……! マーガレットが委細承知しておる、などとデタラメを……! このような普通の娘御に、何も知らせずに私の元に送り込むなどと……よくも、そのように無体なことを……!)

 結果的に騙されていたことになり、クライヴの胸の内が険しくなった。そうとは知らぬマーガレットは、どこか不機嫌そうな夫を不安気な面持ちで見つめている。

(……マーガレットには非はない……仕方あるまいな……)

 溜め息をつき、再び妻に向き合った。

「……マーガレット……最初にも言ったように、私は他に関心がない。務めとしての婚儀であれば、それは役目として致し方のないこと……つまり、相手方の状況など二の次なのですよ。貴女が再嫁であろうと、前夫との間に子がいようと……」

 思考がやや冷静さを取り戻したのか、マーガレットが驚いた表情を向ける。

「貴女とライナスが本当は別れたくなかったことなど、私でも容易にわかります。ですから最初の夜、時間を置こうと思ったのです。貴女が落ち着いたら、場合によっては……」

 そこで一旦言葉を切り、クライヴはマーガレットを真っ直ぐに見つめた。

「……ライナスの元に帰しても良い、と……」

「…………!」

 声にならない驚き。マーガレットが弾かれたように立ち上がった。見開いた目で『夫』を凝視し、息を詰める。

「……そのようなこと……いくらカーマイン様でもお出来になる訳が……」

「出来ますよ。……私になら。ライナスと貴女が本当に復縁を望んでいることさえわかれば……そして、男爵の思惑さえわかれば……」

 震え声で呟くマーガレットに、クライヴは何でもない、と言うように答えた。

「……ライナスの元へ戻りますか?」

 クライヴの問いに、操られたように頭(かぶり)を振る。

「……いいえ……いいえ……そのようなこと出来ません……! 第一、ライナ……アシュリー子爵がお認めになるはずがありません……!」

「何故です?」

「……それは……」

 何でもないことのように返され、マーガレットは言葉に詰まった。例え嘘であろうと、少なくとも彼女の中での理由付けは明確なはずである。それなのに、見つめているクライヴの目──感情を宿しているのかすらわからない──が、彼女を困惑させた。お仕着せの理由ではなく、真実を開示しろと無言の圧力をかけられているかのように。

「……わ、わたくしは父に無理やり離縁させられた訳ではないからです。カーマイン様が思い込まれているだけです。わたくしは……わたくしが至らなかったばかりに、子爵のご不興を買ったのです。もう、わたくしには愛想が尽きた、と……それを哀れに思った父が、陛下に無理をお願いして……」

 焦りも加わったのか、堰を切った勢い、と言う表現そのままの訴えであった。ここに来て言い淀む様子は一切なく、まさに『台本通り』と言う体。それが却って不自然さを感じさせる、などと考える余裕があるはずもなかった。

 妻の言葉が尻切れるように止まった瞬間、クライヴは組んでいた脚を静かにほどいた。

「……マーガレット。無理はおやめなさい」

「……無理などではありません……! ……カーマイン様こそ、何故おわかりくださらないのですか……!」

 必死の形相のマーガレットに、クライヴは変わらぬ視線を向けた。妻の言い分を黙って聞きながらも、その目に感情が表れることはない。

「……ならば、もうひとつお訊きします」

 マーガレットが一瞬怯んだ。何を問われるのか身構える。

「貴女は本当にライナスを、そのような男だと思っていますか?」

「……そ、それは……」

「……彼は、例え何があろうと貴女を選ぶ……貴女を迎えることでしょう。……そう言う男です」

 ライナスを否定するなど、マーガレットには出来ないと踏んだ上での質問であった。だが、クライヴには彼女の真意を読み切れてはいなかった。

「……子爵が、例え、わたくしの至らぬ点だけはお赦しくださったとしても、他の方に……貴方様に嫁したわたくしをお迎えくださるなど、あるはずもございません……! ……わたくしは……わたくしには……」

 口走り、突然、クライヴの膝に縋りついた。さすがにクライヴの眉間が反応する。ほんの一瞬ではあったが。

「……帰る場所などありません……! ここしか……カーマイン様のお傍だけなのです……! ……貴方の妻として生きる以外、もう道はありません……!」

 望んだことではなかったにせよ、他の男の妻となった己が合わせる顔などない──クライヴの考えがそこまで及ぶはずもなかった。第一、彼女もわかっていた。前夫がそう言う男であることを。

「マーガレット、落ち着くのです」

 泣き崩れる妻の両肩を掴む。

「……もう一度、訊きますが、何故、そう思うのです……?」

 嗚咽が止まり、伏したクライヴの膝から微かに頭が浮いた。

「……男爵に掛け合うくらい、訳ないのですよ……?」

 泣きはらした目でクライヴを見上げ、頭を振る。

「……いいえ……いけません……」

「……何故です? 男爵に要望を受け入れさせることも出来るのですよ……?」

「……いいえ……! ……そのような恐ろしいこと……!」

「一体、何が恐ろしいと言うのです?」

 ここに至ってクライヴは、婚礼当夜に話そうとして諦めた『極論』へと誘導していた。今なら、と。

「……何をそんなに恐れているのです?」

 わかっていながら、敢えて訊ねる。答えさせるために。逃げるように俯いたマーガレットの声が掠れる。

「……父は……恐ろしい人です……」

 それを聞き、クライヴの口角が薄っすらと持ち上がった。

「……男爵が? 何故? 何が恐ろしいのです?」

「……それは……」

「私なら貴女を自由に出来ます。貴女の望むようにして差し上げられるのですよ?」

「……無理です……! ……父は……父は……恐ろしい力を使うのです……! 常人ではありえない力を……!」

 マーガレットが勢いよく叫んだ。

「……伯爵と言えど、父を怒らせたらどのような目に遭わされるか……! ……お願いです……! どうか……どうか、このまま……! さもないと……」

「……さもないと……?」

 はっとしたマーガレットが口を噤んだ。

「……それこそ、ライナスと娘がどのような目に遭わされるかわからない……?」

 クライヴの言葉に唇を噛み、下を向く。今の『夫』以上に、前夫と娘を心配している本心を曝け出してしまったこと、に対する罪悪感が湧き上がって来る。

「……も、申し訳……」

「謝る必要などありません。貴女がライナスと娘を何より心配するのは当然のこと……そもそも、そのために自ら私の元へ来たのでしょう? 二人を救うために……」

 クライヴの膝の元、マーガレットは下を向いて黙ったままであった。

「マーガレット。貴女は、私が何故『伯爵』などと高位の爵位を持っているかわかりますか?」

「……え……?」

 ぼんやりとクライヴを見上げた表情には、訊かれている意味がわからない、と書いてある。

「本来、私は代々続く由緒正しき貴族、ではないのですよ。まあ、別の意味では代々続いていますが……」

 自嘲の混じる笑み。マーガレットは話の筋が見つけられず困惑していた。

「……貴女は男爵を『恐ろしい人だ』と評しましたね。けれど、その意味で言うなら……もちろん程度に差こそあれ、ライナスも、そして私も同じ種類の人間なのです」

「……ライナス様……?」

「そう……ライナスの役目は多少はご存知ですね?」

「……何か大変なことが身に起こった方を……話を聞いて慰めて差し上げる、と言う……?」

 多分に婉曲な表現ではあるが、概ね間違ってはいなかった。それ以上を明かす必要はないと判断し、頷く。

「彼の持つ、独特の力が役に立つのです。男爵は彼よりも力が強く、だからこそライナスに担わせるべきではない、更に難度の高い役目を担っています。そのために必要な『力』が、恐らく貴女の言う『恐ろしい力』なのですよ」

 唖然とした表情から、父の職務も知らなかったのだと思わざるを得なかった。だが、深窓の令嬢など、どの家でもこのようなものだろう、とも思える。

「……では……カーマイン様は……」

「私が『伯爵位』を持つのは、ゴドー家が代々必ず受け継ぐ『力』のせいです」

「……力……」

「そうです。その強さによって、アシュリー家は子爵、オーソン家は男爵、我がゴドー家は伯爵を割り当てられた。しかし、もし『力』の強さだけが基準であるなら、ライナスが男爵でオーソン家が子爵のはずであり、そして私は公爵位を有していてもおかしくはないのですよ。ライナスが子爵なのはその高貴な役目故、私が伯爵位に留められているのは、周囲との……本来の貴族たちとの兼ね合いに過ぎません」

 驚きのあまり声も出せずにいたが、マーガレットはクライヴの説明を確実に認識してはいた。即ち、今、目の前にいる『夫』は、恐れている父よりも強大な『力』を有しているのだ、と。だからこそ、驚いている、とも言えるのだが。

「私には、貴女の大切なライナスも娘も守ることが出来ます……そして……」

 赤味を帯びたダークブラウンの瞳が妖しく揺らめく。

「本当であれば、貴女の父上を黙らせることなど容易いのですよ」

「…………!」

「今までそうしなかったのは、偏に暗黙の約定のため、なのです」

 マーガレットはクライヴの言った意味を正しく理解した。『その気になればこの夫は、いつでも父を殺せるのだ』と。

 だが、それはマーガレットには到底受け入れ難いことでもあった。どのように恐ろしくとも、どのように無体を強いられようとも──。

「……そ……も…………です」

 クライヴには、マーガレットの言わんとすることはわかっていた。

『それでも、私にとっては父です』

 それ故、この話の開示は、マーガレットが望むなら叶えてやる『布石』になるが、望まぬのなら『説明』に過ぎない。

「……少し休みなさい」

 話すべきことを話し終え、クライヴはヒューズを呼んだ。マーガレットを休ませるように言いつけ、抱えられるようにして連れて行かれる小さな背を見送る。

「……私は城へ行って来る……」

 俄かに表情を険しくし、控えているフレイザーに告げた。

 登城したクライヴは、止める家臣を払い除け、急ぎ足で奥へと向かった。

「……伯爵! お待ちください、伯爵……!」

「ここより奥は陛下の私室でございます……! 伯爵と言えど、無断でお立ち入りには……!」

 廊下が騒々しいことに気づいたリチャードが、着替えを手伝う小姓を見た。

「……騒がしいな。一体、何事だ?」

 問われた小姓も首を傾げる。様子を確認しようとした瞬間、突然、扉が開け放たれた。

「……ゴドー伯爵……!」

 驚いた小姓が咎めようとし、その形相を見た瞬間、口を噤んだ。

「……カーマイン……!? 一体、何事だ……! いくらそなたであろうと、このような無礼は許さんぞ……!」

 リチャードの叱責など意に介さず向かい合う。

「……リチャード……!」

 その形相、口調にただ事ではない様子を感じ取ったリチャードは、手で小姓に出て行くよう示した。

「……大事ない。他の者にも近づかぬよう伝えよ」

 どうして良いのかわからず、双方の顔を交互に見遣る小姓に告げる。

「……ぎょ、御意……」

 不安を隠せぬ表情のまま、小姓が扉を閉めた瞬間、クライヴは再びリチャードを睨みつけた。

「……リチャード……よくも謀(たばか)ってくれたな……」

「何のことだ?」

「……ぬけぬけと……マーガレットが委細承知している、などと、よくも……!」

 カッとしたのか、リチャードの眉も吊り上がる。

「……知らぬ! オーソンがそう言ったのだ! 私がレディ・マーガレットに直接確認を取るなど出来る訳がなかろう!」

 怒りを内包したクライヴに気圧されそうになりながらも、リチャードは負けじと反論した。

「……そなたが取った軽はずみな行ないが発端であろう……! その後始末をオーソンになど任せるから、このようなことになるのだ……!」

 痛いところを突かれ、リチャードが言葉を飲み込んだ。

「……この代償は大きいぞ。何の責任もない忠実な家臣の生活を崩壊させたのだ。……そなたがな……!」

「不満であったのなら、アシュリー自身がそなたに直接話せば良かったではないか! 知らぬ仲でもあるまいに……!」

 無責任な言い逃れに、クライヴの声が低さを増す。

「そなたと私のことを表面上しか知らぬライナスが、『勅命』を覆せるなどと……そのように考えると本気で思うのか? ……あのライナスが、だ……!」

 拳を戦慄かせるリチャードに、尚も言い放つ。

「……ほとほと呆れた……。……もう、約定など知らぬ……オーソン家への不可侵、守られると思うな……!」

「…………!……待て……! ……カーマイン……!」

 立ち去ろうとするクライヴの背を、リチャードのヒステリックな声が追いかけて来る。だが、クライヴの足も怒りも留まることはなかった。

 ゴドー伯爵夫人マーガレット・ジェーンの懐妊が知れたのは、それからしばらく後のことである。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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