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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part15~

 
 
 
 クライヴから聞いていた説明を元に、倭(やまと)は王宮全体を見渡せる塔の上に降り立った。

「……南西側の奥……」

 季節からの陽の向き、そして時刻から、太王太后アリシア・ロザリンドの居住区を確認する。

「……あちらか……」

 およその位置を見極め、近い城壁へと移動した。内部の様子を窺うと、忙しなく動き回る気配。太王太后の死で、慌ただしくなっていることは間違いなかった。

「……さて、どうするか……」

 基本的には、倭の姿は常人には視えないし、声も聞こえない。つまり、派手に動き回っても特に問題はないのだが、感の鋭い人間がいない訳でもない。中には感知する者もおり、見えないから安全だなどと言う思い込みが油断となり、時に危険を招くことを倭は良く知っていた。

「……騒ぎは無用……」

 出来るだけ静かに入り込む選択をする。

 王宮の最奥、その一角に、表側の喧騒と打って変わった静謐な空間が在った。荘厳な木の扉の佇まいに、そこが目指す場所であることをひと目で確信し、静かに通り抜ける。

 扉の印象のままの室内は、空気までもが悲しみの色に包まれていた。奥を見れば、天蓋付きのベッドに女が横たわっており、死して尚、その身体からは高貴な色が溢れている。

 倭のいる位置からはベールに包まれた顔は見えないが、太王太后アリシア・ロザリンドその人であると確信した。枕元には、見るからに意気消沈の体で若い男が腰かけており、現国王リチャードであると判断する。

(………………?)

 ふと、倭は違和感を覚えた。

(……太王太后陛下の御霊(みたま)がおられぬ……? まだ、昇られたとは思えぬし、お身体から感じる気配を考えれば、お近くに留まっておられるはず……)

 室内を見回し、目に止まったのはリチャードの奥。すぐ傍らに、自然な体で腰かけているひとりの女。心配そうに寄り添う姿は、明らかに女官とも女中とも違っている。

「………………」

 そっと近づき、前に立つと、女が不思議そうな顔を向けた。まるで、倭の姿が視えているかのような女に、ふわりと跪き、胸に手を当てて敬礼する。

『……そなた……』

 女は驚きに目を見張った。

『……わたくしが視えるのですか……!?』

『……はい、太王太后陛下アリシア・ロザリンド様。私は先だって、陛下にお力添えを戴いた者にございます』

『……力添え……? ……わたくしが、あなたの、ですか……?』

 目の前に跪いている、変わった格好の少女を見つめる。不思議なことに、アリシアの中に驚きはあれど警戒心は湧かなかった。それ自体が、不思議である、と言う気持ち以外には。

『はい』

 答えた倭が、マーガレットの魂をアリシアの前に捧げた。

『……こなたは……!』

『先日、危うく消滅してしまうところを、陛下がお救いくださいました。ゴドー伯爵の、ご内儀の御霊にございます』

『……何と……!? ……そなた……いいえ、それより、カーマインを……ゴドー伯爵を存じているのですか、そなたは……!』

 真っ直ぐに倭を見つめる。瞬きもせずに。

『存じ上げております』

 倭も真っ直ぐに見返す。

『……その衣装は東の国のものですね? ……そなたは、一体……』

 マーガレットの魂を胸の内に入れ、倭は再び頭(こうべ)を垂れた。

『お初にお目文字仕りまする、太王太后陛下。私は、護堂倭、と申します』

『……ごどう……やまと……』

 確認するように口の中で繰り返し、己の記憶を辿る。

『……護堂倭……! では、そなたは……そなたが、東の地に在る伝説の巫女殿……!』

 やがて手繰り寄せたそれに、アリシアは驚愕した。倭は礼の姿勢を崩さぬまま小さく頷く。

『……なるほど……どうりで、わたくしの姿が視えることも頷けます。ここまで来れたことも、そしてレディ・マーガレットの魂のことも……』

 全て得心が行った、と言うようにつぶやき、アリシアは敬礼する倭を見下ろした。噂だけは聞き及んでいた存在、得も言われぬ美しさと、比類なき力を持つ東洋の秘花を。

『……そなたの身の上はわかりました。それで、ゴドー伯爵とは、どう言った経緯(いきさつ)で見知ったのです?』

『伯爵が私を探しにいらしたのです。ご内儀と御子を救うために……』

『……わざわざ伯爵自ら? そなたと出逢える保証もないのに……いいえ、そなたが本当に実在するのかすら危うい情報だったはず……』

『難航はお覚悟の上だったようですが……私が存在していることは、確信されておられたようにございます』

『……何と……』

 アリシアは愕然とした。それほどに逼迫していた事実を初めて知り、やはり、オーソンを放ってはおけないのだ、と言う確信に変わる。

『……それで、カーマイン……ゴドー伯爵は、今、そなたと共に……?』

『はい。私の本体は、今もゴドー伯爵の元におります』

『……そうですか……』

 つぶやくアリシアに、倭は付け加えた。

『急使にて陛下のことが伝えられ、取るものもとりあえず参上致しました。……文に書かれていた詳細にて、先日お力添えくださったのが陛下であった、と……わかりました故……』

 目の前で敬礼する少女の流れる黒髪を見、アリシアがその顔の辺りに白い手を伸ばす。

『……手をお挙げなさい、巫女殿……いいえ、倭殿……』

 ゆっくりと顔を挙げ、アリシアを見上げた倭の頬に、しっとりとした指先が触れた。もちろん、互いに実体ではない身、それは二人の研ぎ澄まされた感覚の成せる技である。

『………………』

 頬に触れながら、じっと顔を見つめていたアリシアが、ふと、何かに気づいたように視線を動かした。跪く倭の身体全体を見通すように。

『……そなた……?』

 驚いたように目を見張り、そっと倭を立たせた。

『……そなたは……』

『………………?』

 向き合った倭を、再び上から下まで見通す。やがて、納得したように小さく頷き、同時に睫毛を半分ほどに伏せた。

『……そなたが、そうなのですね……』

 不思議な言葉。

『……は……?』

 意味を読み取れず、倭が訊き返した。

『……いいえ、いいえ……何でもありません。それよりも、わたくしはそろそろ参らなければなりません……』

 声が翳りを帯び、躊躇いがちに巡らせた視線の先には、国王リチャードの背中。クライヴからの情報もあり、倭にはアリシアの最大の憂いと懸念が理解出来た。

『逝かなければならない』

『このままにしては逝けない』

 その葛藤の狭間にいることが。

『……陛下……』

 自分の頬に触れているアリシアの手を握り、倭が呼びかけた。

『……え……?』

 不思議そうなアリシアの手を取り、リチャードの背後へと誘(いざな)う。

『……倭殿……?』

 『心配ない』と言うように目配せした倭が、不安気なアリシアの手をリチャードの背中に当て、自らの手をそこに重ねた。当然、リチャードには触れられた感覚はない。気配すら感じる様子がないことから、そう言った感覚──霊感的な──は皆無と思われた。──が。

『…………あ…………!』

 上に重ねた倭の手が、アリシアの手を押し込むと、物理的な力で押されたようにリチャードがグンッと前のめる。そのまま、ポスンと言う音を立ててベッドに倒れ込んだ。

「………………!?」

 リチャードが、何が起きたのかわからない、と言う表情を浮かべる。キョロキョロと周囲を見回し、最終的に至近距離にあるアリシアの顔を見つめた。その様子が、アリシアに彼の子ども時代を思い出させ、思わず笑みがこぼれる。

「……陛下……」

 すると、偶然であろうか、リチャードの方が目を見張った。彼の目には、敬愛する太王太后の顔が先ほどよりも微笑んでいるように見える。今、まさに、背後にいるアリシアの魂が浮かべていると同じ微笑みに。

『陛下……国王陛下へお言葉を……』

 アリシアは倭の言わんとすることを理解した。祈りをこめ、真摯に語りかける。

『……国王陛下……真の、国の王とお成りあそばされますよう……わたくしはいつも見ておりますよ』と。

 横たわるアリシアの顔を、じっと見つめていたリチャードの瞬きが止まった。やがて立ち上がり、そのまま見つめて数秒。

 彼の目が変わった様を、その瞬間を、アリシアは確かに見た。強い光を湛えたところを。

「……太王太后陛下……」

 もう一度、呼びかけたリチャードが、アリシアの額にそっと唇を落とした。ゆっくりと離れると、己の手を胸に当てて最敬礼する。

「……行くぞ……!」

「……え、は、はい、陛下……!」

 部屋の隅に控えていた側近に言い放ち、別人のような表情でアリシアの部屋を後にした。

『……何と……』

 驚きを隠せない表情で、アリシアがその後ろ姿を見送る。そして、同時に喜びも抑え切れず、満足と感謝の気持ちも顕に倭の顔を凝視した。

『……噂に違(たが)わぬ力……礼を申しますぞ……』

 アリシアの白い指が倭の手を取り、額づく。驚く間もなく。

『……陛下……』

『……わたくしには、もう憂いはありません……』

 そう言い、倭を抱きしめた。

『……カーマインのこと、頼みます。あの子は強い……いえ、弱さを知らない……他人(ひと)の弱さは知っているのに……頼ることが下手な子です』

 正確には、頼るべき者、頼れる者がいない、とも言える。クライヴにとっては、己より強い存在がないのであるから。その彼が、他人に助けを求めたことが、アリシアにとっては安堵ともなったことを倭は知った。それが例え、伝説の巫女に対したものであっても。

『……あなたたちが頼りです』

 アリシアの言葉に、倭はほんの一瞬、戸惑いを覚え、だが、ただ言葉の通りに受け入れた。

『……私の力の限り……』

 アリシアが頷き、そっと倭から離れる。

『……送っておくれ……そなたの力で……』

 自分を真っ直ぐに見つめて頼むアリシアに、倭は睫毛を伏せ、答えた。

『御意……』

 倭が何かを唱え出すと、その声は囁きのようでありながら驚くほどに通り、アリシアの内外に心地好い何かを湧き上がらせて征く。それはまるで、脳に、身体中の細胞に、直接響くかのようであった。

『……何と言う……』

 クライヴが、ヒューズが、誰しもが倭の声を聞いた時に感じる不思議な感覚をアリシアも実感する。己の意識が薄れて征くのを感じ、アリシアは目を閉じて心地好さに身を委ねた。やがて、意識の薄れと共に、次第に魂の存在自体が希薄になって征く。

『……ありがとう……』

 その言葉を最後に、アリシアの魂は還って行った。瞑目と敬礼を以て見送る倭の目の前で。

 最後まで見送った倭は、王宮を後にし、再び異国の空を翔けた。

 倭の身体を抱きながら、クライヴは神経をピリピリさせていた。

 既に1時間以上経っており、いくら本人が問題ないと言ったところで、預かった身として警戒は解けない。だが、落ち着かないのはそれだけではないことに、クライヴは気づいていなかった。

 先ほどまでクライヴの脳裏には、倭が説明していたように、何かの映像が断片的に流れ込んで来ていた。見慣れた街並みや王宮、アリシアの私室、リチャードの後ろ姿と横たわる伯母の姿、などが。

 だが、アリシアと倭が向かい合う様子を最後に途切れた。それかクライヴの不安を煽る。

「……ーーっ……」

 時折、クライヴが発する歯軋りのような音に、ヒューズは気づいていた。そして、それが反動であることにも。肘掛けを指で鳴らすか、脚を揺すりたいところを、倭を抱いているため叶わないためなのだが、こればかりはどうしようもない。

「………………」

 そもそも、じっと待っているのはヒューズも五百里(いおり)も同じであった。特に黙っていなければならない法はないのだが、声を発せる雰囲気ではない。ただ、ひたすらに全員が、倭が『戻る』のを待っていた。

「……五百里……」

「はい……?」

「……倭はある程度の時間制限はある、とは申していたが……この経過時間は、その範囲内に収まるのか……?」

 痺れを切らせたクライヴが訊ねると、五百里が咄嗟に息を飲み込む。ヒューズには、それが笑いを堪えるためであることがわかってしまった。緊迫している事態であるはずなのに、思わず自分も口を引き結ぶ。

「大事ございませぬ、伯爵。倭様は、長い時には丸一日近くお戻りにならぬこともございます」

(……一日……!)

 慄いたのは、むしろヒューズの方であった。下手をしたら、一日中、この状態でいなければならないのか、と。当のクライヴは、と言えば、五百里の説明に溜め息をつき、諦めたように倭を抱え直した。──と、その時。

「倭……!」

 抱えている腕に変化を感じ、胸に凭れている倭の顔を覗き込む。

「………………」

 小さく息を吐くと共に、倭の長い睫毛が震えた。ゆっくりと目が開く。

「……クライヴ……」

「倭……!」

「戻りましてございます」

「大事ないか……!?」

「はい」

 凭れさせた頭を起こし、倭は頷いた。クライヴのほっとした表情を確認し、ゆっくりと立ち上がろうとして阻まれる。

「しばし、休んでいよ」

「………………」

 倭にとっては特に何の問題もないのであるが、真剣な表情のクライヴを前に言うのは憚られた。じっと見上げると、諦めて身体の力を抜く。

「……太王太后陛下の御霊にお会い致しました」

 倭の肩に添えられている、クライヴの指に力が入った。倭を通して流れ込んで来た場面は、本当であったと確信する。

「国王陛下をお力づけになられた後、昇られました」

「……そうか……」

 クライヴの表情が微かに弛んだ。アリシアが安らかに送られたことで、ほんの僅か、クライヴの気持ちが解放される。

「……礼を申すぞ、倭……」

「いいえ……」

 返事の後、倭は少し躊躇うように続けた。

「……ご内儀の前のご夫君の屋敷の様子も見て参りました。真実、お心の内はわかりかねまするが、動こうとする様子はないようで、庭に娘御とおられるのがわかりました。貴方との約束を違えてはおらぬようでございます」

「……まことか……!?」

「はい。そして、件のオーソンの屋敷は……」

 倭が言いよどむ。

「……何かあったのか……!?」

「……いえ……あまりにも暗い影が蔓延っていて……魂魄で至近距離まで寄るのは諦めました。こちらの居所を知られても厄介なだけでございます故……」

 倭の意見に頷いたクライヴは、その時、倭の視線が固定されたことにクライヴは気づいた。顔を覗き込むと、瞳をやや拡大させている。

「……倭? ……他に何か気になることでもあったのか?」

 クライヴには、倭が何かに驚いているように見えた。だが、理由がわからずに不安を煽られる。

「……あれは、そう言う意味……」

 つぶやいた倭が、一旦、クライヴの目を真っ直ぐに見つめると、初動などないような動きでクライヴの膝から立ち上がった。クライヴが留める間もなく。

「……クライヴ……」

 背を向けて立ち、倭が呼びかけた。

「……どうしたのだ、倭?」

 ゆっくりと振り返る倭に、クライヴもつられたように立ち上がる。

「……太王太后陛下が教えてくださったのです」

「……何……?」

 向かい合い、二人は互いを見つめる。

「……私もまだ気づいておりませんでした」

 意味がわからず、クライヴの返事は遅れた。

「……何のことを言っておる……?」

 一瞬、考えるように下を向き──。

「……私は、貴方の御子を授かったやも知れませぬ」

「………………!」

 その場にいた全員が息を飲んだ。誰ひとり、声を発することは出来ずに。

 無限のような数秒の後、乾き切ったクライヴの唇が動いた。

「……倭……まことか……!? ……今、申したこと……」

 倭が躊躇いがちに頷く。

「はい。……己のこと故、正直、私にも未だわからぬのですが、恐らくは……。……太王太后陛下にはおわかりになったようで、こう仰ったのです……『あなたたちが』と……」

 未だ信じ切れぬ面持ちで、クライヴは無意識の内に手を伸ばしていた。現であることを確かめるように頬に触れ、そのまま跪いて手を取る。

「……感謝する……」

 倭の手の甲に額づいた。

「クライヴ……まだ確実とは……もうしばらく経たねばわかりませぬ。それに、間違いなかったとして、これからが長うございます……ようやく始まったようなもの……」

 珍しく弁明めいた言葉を口にする倭に、クライヴは額づいたまま頭(かぶり)を振る。伯母の感じたものは、恐らく間違いではない──そう確信していた。倭は自分の子を身籠ってくれたのだ、と。

 だが、倭の方は、まだ言わなければ良かった、確信を持つまで言うべきではなかった、と後悔していた。とは言え、既に手遅れである。逆にクライヴがアリシアの力をそこまで確信しているのであれば、恐らく事実であろう、とも思えた。

 そうこうするうちに、クライヴが倭の腰を掴み、今度は腹に額づく。

「……私は必ずそなたの身を守る」

「……はい」

 真剣な声音に、守りなど必要ない程の力を有する巫女が、その真を、心を受け取った。それは、真実、倭自身を守ろうとしている気持ちを感じ取ったからに他ならない。

 だが、クライヴの方は、自身の中に『倭が己の子を身籠ったから』と言うだけではない気持ちが生まれつつあることに気づいてはいなかった。

 倭の懐妊は間違いなかった。

 医師により、倭の懐妊の診断が降りるのは、これより数週間後となるが、そこから本当の長い道のりが始まる。
 
 
 
 

 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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