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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part6~

 
 
 
 屋敷に戻ったクライヴを待っていたのは、新たな知らせであった。

「お帰りなさいませ、カーマイン様」

「ああ。何もなかったか?」

 訊ねるクライヴに、ヒューズが言いにくそうに答える。

「あの……また、奥様の父君から文が届きました……」

「そうか」

 報告を聞いても、クライヴには慌てる様子も驚く様子も特になかった。ヒューズが何か言いたげな表情を浮かべ、すぐに取り下げる。この反応は『言っても無駄である』と、さすがに学習していた。黙ってクライヴの上衣を袖から抜き取る。

「太王太后陛下はお健やかでいらっしゃいましたか?」

 フレイザーはヒューズに茶の用意を命じ、自ら着替えを手伝いながら訊ねた。微妙な間に何かを感じ取ったのか、フレイザーが口を噤む。

 無言のまま着替えを終え、椅子に沈み込んだクライヴは、疲れていたのか、呼気と共にそれを吐き出した。じっと空(くう)を見つめる。

「……お元気そう……と見えた」

 温かい茶をひと口含み、フレイザーの質問に答えた。

「左様でございますか。それは何よりでございました。カーマイン様のお顔をご覧になられ、お喜びになられたことでしょう」

「……さてな。まあ、元々、それほどお強い方ではないからな。無理をなさらずにお過ごし戴きたいものだが……」

 そう答えながらも、クライヴの脳裏にはアリシアとの会話の様子が甦り、同時に過去のあれこれも思い出されて来る。

「……お心安く、と言うのは無理やも知れぬ」

「何故(なにゆえ)でございますか?」

「……約定を……返上して来た」

 息を飲んだフレイザーではあったが、すぐに「やはり」と言うように目線を下げた。

「……今や陛下にとって、ただひとつ残っている縁(よすが)はカーマイン様お一人でございますからね」

「……そうなんだろうな……」

 『どうでもいい』と言う様子を隠しもしない答えと、それに見合う声音。ヒューズが不思議そうな表情を浮かべ、気づいたフレイザーが主の顔を窺う。クライヴは少し考え、静かに頷いた。

「そなたにも説明しておかねばな」

 意味ありげなフレイザーの言い方に、一瞬、怯んだヒューズが上目遣いで息を飲む。

「……は……はい……」

 怖々、と言ったヒューズの返事。その様子にかつての自分を重ね、フレイザーの目元が微かに弛んだ。だが、すぐにそれを打ち消し、気にも留めなかったかのように続ける。

「太王太后陛下はお名前をアリシア・ロザリンド様と仰り、カーマイン様の母上エヴァンジェリン様の姉君でいらっしゃるのだ。……ただし……」

「……片親違いの姉妹で、二人が姉妹であることを知っている人間は多くはない。それを半分利用しての、知る人ぞ知る『秘密』と言う訳だ」

 フレイザーの説明に、クライヴが気怠げに補足した。現・国王であるリチャードが、クライヴの態度に対して寛容な理由はここにもある。

「カーマイン様の……伯母君でいらっしゃると言うことですか?」

「……そうなるな」

 本当に『他』に関心がないのだ、と言うことがわかる返答。このことには、ヒューズも見習いに入ってすぐに気づいてはいたが、まさかここまでとも思っていなかった。それにしても、とヒューズは不思議に思う。

「しかし、カーマイン様の伯母君であるなら、太王太后陛下と言うお歳ではいらっしゃらないのでは……」

「その通りだ。先々代国王陛下は最初の正妃を早くに亡くされ、後にお歳の離れたアリシア様をお召しになられたのだ」

「……な、なるほど……」

 フレイザーはクライヴの顔を再び窺った。その視線を受け取り、クライヴ自ら話を続ける。

「心清く美しい方だからな。加えて、陛下のお血筋も少し不思議な力が表れることがある。我がゴドー家とは全く逆の……巫女がかった力とでも言うのか、時々、予言のような夢をご覧になったりするらしい」

 クライヴが一旦言葉を止めた。

「……そのせいばかりではないが、私は昔からあの方が苦手だった」

 少し言いにくそうに続ける。

「……え……」

 意外な言葉。この人にも苦手なものがあるのか、などと考え、言葉に詰まったヒューズは、こっそりとフレイザーを盗み見た。真剣な面差しではあるが、動じている様子もない。

「勘違いするな。嫌いと言う訳ではない。可愛がって戴いたし、敬愛すべき方とは思っている」

 クライヴが坦々と付け加えた。

「……では、何故ですか……? 実の伯母君で、素晴らしい方で、可愛がっても戴いて……それでいて苦手なのですか?」

 恐る恐る、しかし気になる、と好奇心に勝てない様子のヒューズに、クライヴの口角が一瞬持ち上がり、すぐに戻る。

「……本心から私を愛おしんでくださる裏に、子どもだった私には理解し難い、何か不可思議な感情がいつも見え隠れしていたからだ」

「それは……今のカーマイン様なら理解出来るのですか?」

 邪気なく訊ねるヒューズに、クライヴは自嘲気味に笑った。

「……あの方が父の……一番有力な花嫁候補だったからだ……」

「……え、えぇっ!?」

 思いもかけない展開に、ヒューズが素っ頓狂な声を上げる。

「私がこちらに見習いとしてお世話になった頃は、まさに先代伯爵のご結婚の話で持ち切りだったのだ」

 フレイザーが思い返すように付け加えた。

「当時、先代にはアリシア様とエヴァンジェリン様の他に、何名かの花嫁候補がいらっしゃった。先代と女性陣の相性と言うのか……様子を見た上で、アリシア様が選ばれるであろう、と誰もが思った矢先に……」

「……父は母を選んだ」

 フレイザーの説明は最低限のもので、補足するクライヴの言葉もまた然り。そのため、極端に要点だけが語られており、ともすれば置いて行かれそうになる。必死で脳内を整理するヒューズに、クライヴは『苦手な理由』の結論を示した。

「そして恐らく、伯母上は父に好意を持っていてくださったのだろう……傍から見れば、父も伯母上に好意的だ、と。それなのに選ばれなかった……」

 クライヴが溜め息をつく。

「……伯母上にとっては『裏切り行為』とも取れたかも知れぬ……」

 好意をもってくれていると思った男。自らも好意を持った男、その相手に選ばれなかった自分。そして、選ばれたのは、よりによって妹。自分を選ばなかった男と大切な妹、その息子である可愛いはずの甥……その複雑な人間模様に、ヒューズは眩暈がしそうであった。

「……しかしながら……結局のところ、カーマイン様の母君が選ばれた決定打と言うのは何だったのですか?」

 だが、混乱しながらも、ヒューズは核心を突く言葉を口にした。フレイザーが下を向く。ほんの僅か、何かを思うように間を置き、クライヴも睫毛を翳らせた。

「……その理由……伯母上も今日初めて知ったのであろうな……」

 つい先刻の、アリシアとの会話を思い起こす。脳裏には『では、あの時のことは』とつぶやいた時の伯母の様子が。

「……不思議な力の代償なのか、伯母上はお身体があまり丈夫ではない。それは、普通の男と結婚し、家庭を設けるには障りない程度のものだ。……だが、ゴドー家当主の妻、次期当主の母、となると話は別だ」

 そこまで聞けば、さすがのヒューズにも得心が行った。理不尽であろうとも、理屈や気持ちだけではどうにもならない『事情』が。

「だからと言って勘違いするでないぞ、ヒューズ。先代伯爵と奥様の仲は良好だったのだ。エヴァンジェリン様は、アリシア様とはまた違った魅力をお持ちの貴婦人だった」

 フォローとも取れるフレイザーの言葉に、クライヴが小さく笑みを浮かべた。一瞬のことではあったが。

「……とにかく、伯母上が心配だ。生真面目な方故、何やら思い詰めたりなさらねば良いのだが……」

「それより、カーマイン様が約定を返上されたことで、国王陛下と何か問題が起こるようなことは……」

 ヒューズが鋭い疑問をぶつけると、クライヴは静かに頭(かぶり)を振る。

「それはない。いくらリチャードでも……いや、リチャードだからこそ、先々代国王陛下のご遺志を無下には出来ぬ。第一、リチャードは太王太后陛下を慕っているからな。……フレイザー……陛下の周囲に見張りを置け。決して、目を離すな」

「畏まりました」

 返事を聞くと、クライヴは椅子の背にもたれて再び息を洩らした。空(くう)を仰いだ目に、気怠げな色が浮かぶ。

「……さて、本題の方を何とかせねばな…………ヒューズ、マーガレットはどうしている?」

 漂わせていた視線をヒューズに向けた。

「は、はい……文が届いてから……またお身体の調子が優れないようで……大丈夫とは仰っていましたが、お部屋でお休みになっていらっしゃいます」

 訊ねられたヒューズが困ったような顔をする。

「……そうか」

 組んでいた脚をほどき、クライヴは大儀そうに立ち上がった。

「マーガレット。私です。入りますよ」

 ノックと共に声をかけ、クライヴは静かに扉を開けた。

「……少しいいですか? ……どうしても辛いようなら……」

「……あ、い、いえ、大丈夫です……申し訳ありません、お帰りにも気づかず……」

 横になっていたのか、慌ててベッドから起き上がろうとする。

「起きなくて構いません。そのまま……」

 青白い顔の妻をやんわりと制止し、枕元の椅子に腰かけた。

「大丈夫ですか?」

「……はい……ご心配をおかけして申し訳ありません……」

 枕に背を預けて頷く妻の顔は、不安気な様子も相俟って、とても大丈夫そうには見えない。

「……お父上から文が届いたそうですね」

 それでも躊躇うことのない質問に、ビクッと反応し、明らかに怯えた様子。

「……男爵は何と?」

「……あの……とても喜んでくれて……祝ってくれております……」

 答えながらも、マーガレットは決してクライヴの目を見ようとはしなかった。あまりの怯え具合に思わず苦笑しそうになる。

(二度目の文で、今さら祝いの言葉もあるまいに……)

 そう思いつつ、妻の様子を覗いながら本題を立ち上げた。

「……それだけではありませんね?」

 殊更、強い口調ではなかったにも関わらず、さらにビクついたマーガレットの手がベッドカバーを握りしめて震える。

「……マーガレット?」

「……あの……」

「……うん……?」

 クライヴにしては、であるが、最大限の穏やかさを以て話しているつもり、ではあった。如何せん、マーガレットの怯え方は尋常ではなく、クライヴは仕方なしに椅子からベッドに座り直し、震える妻の手をそっと包んだ。一瞬、硬直した手が、すぐに弛む。

「何をそんなに怯えているのです? 私は貴女を咎めている訳ではないのですよ? ただ、男爵の用件を知りたいだけなのです」

 マーガレットは青ざめた顔をゆっくりとクライヴに向け、泣きそうな表情を浮かべると再び下を向いた。声を絞り出そうと、唇が僅かに動いている。

「……た、体調が優れないようなら、慣れた実家に戻って来い、と……」

 クライヴの口角が、そうとはわからない程度に持ち上がった。『やはり』と言うように。『体調が優れないようなら』などと言う言葉は、マーガレットが咄嗟に付け足したものであることは一目瞭然で、クライヴには男爵の本当の意図が読めていた。

 即ち、『子どもが出来た後、そこに留まるは不要。至急、戻れ』と言う指示であること、が。

 以前のクライヴであれば、まず彼女の意見を訊いていたが、性格を知り抜いた今となっては、それが無意味なことであるとわかっている。故に、マーガレットに伝えられたのは正論のみ、であった。

「そうですか。そうして差し上げたいのは山々ですが、残念ながら今の貴女は当家の女主……こちらに留まって戴かねばなりません。第一、男爵とて夫人を亡くされて男やもめの身……戻っても貴女の母上がいらっしゃる訳でもない。選りすぐりの医師も手配してありますし、こちらにいても問題ないでしょう」

 断定的に告げると、マーガレットは少し驚いた顔をしながらも、どこかホッとした様子。『夫の許可』が出なければ、戻れない正当な理由にはなる。

「……はい……」

 消え入りそうな声。クライヴの言葉を肯定的に受け入れはしたものの、浮かない表情には変わりなく、そこに何か言いたげな気配も感じられる。

「まだ何か心配なことでも?」

 下を向いたまま視線だけが彷徨っており、何か、を迷っていることは間違いなかった。辛抱強く待っていると、重ねたクライヴの手に微かに力が掛かったのが感じられる。

「……本当は……本当は、戻った方が良いのではないでしょうか……」

「何故です?」

 相も変わらない、ともすれば素っ気なくも聞こえる夫の返事に、だが何故かマーガレットは安堵していた。ライナスとは違う、けれども、己の言葉をきちんと識別して答えてくれている、と言う無意識の安心感に。

「戻りたいのですか?」

「……いいえ……いいえ……!」

 先ほどは訊ねなかった意思を確認すると、途端にマーガレットは頭(かぶり)を振った。『戻りたくない』と言う本心と初めての意思表示。『母親としての本能』なのか、そこには『夫』に対してよりも、『父』に対する恐怖の方が勝っていることが表れていた。少なくとも、『夫』は子に害成す存在ではない、と。父親の本性を知っていたにも関わらず、いざ子どもを授かった今になって感じる、戻ることに対する強烈な恐怖感に愕然としていた。

「……でも……元々、わたくしでは力不足なのはわかり切っていたこと……あまりにも……。……カーマイン様の……伯爵家のお役に立てるとは到底思えません……いえ、きっと足手まといにすらなってしまいます…………わたくしのような者が女主だなどと恐れ多くて……」

「……そのようなことを。何度も言うようですが、そんな大層な家ではないのですよ……ゴドー家など」

 クライヴの言葉に小さく首を振る。

「……いっそのこと……どなたか別の方をお迎えになられた方が……もっと相応しい方を……その方がお家(おいえ)のためにも、カーマイン様のためにもなります……。……そうすれば……」

「マーガレット」

 クライヴは力ない妻の言葉を遮り、胸にその頭を引き寄せた。

「男爵が何と言おうと、貴女が何と思おうと、私は貴女を返すつもりはありません。私の妻は貴女ひとりです。まして、他の女性を迎えるつもりなど毛頭ない。貴女がこの屋敷の女主であり、貴女の胎内(なか)にいる子がゴドー家の次の主となるのです」

 クライヴの胸で震えながら聞いている妻に続ける。

「私が貴女を手放すことがあるとすれば、その理由はただひとつ……」

 マーガレットの指が、クライヴの胸元を掴んだ。

「約束します。私は必ず、貴女の一番大切なものを守る、と……」

「…………!…………」

 『一番大切なもの』──それが何を指しているのかは、マーガレットにもはっきりとわかった。だが、その言葉を聞き、返事は言葉にはならなかった。ただ、胸元を掴む指の力が強まり、その震えだけが夫に対する意思表示となるかのように伝わる。

 一方、クライヴは、自分を信じようとしているマーガレットの心情を感じていた。それと同時に、他人に対して『愛おしい』などと言う気持ちを抱いたことすらない己が、心にもない言葉を吐いていることに自嘲した。

 それでも、例え形だけの言葉を告げているにしても、そこに少しの本心も混じっていない訳ではない。少なくとも『他の妻を迎える気などない』と言うこと、そして『ライナスと娘を守る』と言う約束を違えないこと、だけは真実本心からのものであったから。

 マーガレットの涙が胸元を濡らして行くのを感じながら、クライヴは今後のオーソンの出方に思いを馳せていた。

 ゴドー家の血を持つ子を手に入れたい、とオーソンが考えていることは明らかである。だが、いくら実の娘の子であるとは言え、ゴドー家に嫁がせた手前、そちらの後継ぎとして優先されるのが必然。嫁ぎ先の次期当主も定まらぬままに引き取るなど出来る訳もなく、まして世間も許さぬであろうことはオーソンだとて承知のはず──だからこそ、どのような手段を用いて来るのかわからない、とも言えた。

 マーガレットを休ませて部屋を出たクライヴは、オーソンに対する警戒のレベルを上げ、フレイザーたちに命じて屋敷の見張りを強化した。必ず、娘を強硬に取り戻しに来る、と踏んで。

 国王リチャードから書状が届いたのは、それからほんの数日後のことである。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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