社内事情〔25〕~パズルのピース~
〔根本目線〕
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根本由樹(ねもと ゆうき)。32歳。
海外営業部・北部米州部 主任。仕事はそつなく熟し、誠実で穏やかで落ち着いた雰囲気。現在、片桐の部下としては一番の古株。全般的に信頼が厚く、また期待を裏切るようなことはない。ある意味、片桐よりバランスも取れている。
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先日、久しぶりに藤堂くんと昼に社食で一緒になった。
その日の午前中に、例のR&Sの件で話した直後だったこともあり、話題はその延長のようなものだった。
……が、その話の中でひとつ気になったのは、片桐課長が藤堂くんに流川先輩のことを一度も話したことがなかった、と言う事実。
単に必要がなかったのか、機会がなかっただけなのか。それとも━。
敢えて、彼女の話題を出さないようにしていたのか。
『その人は、片桐課長とはどんな……?』
藤堂くんの疑問ももっともだと思う。ぼくの話し方では、誰しも勘ぐる要素が必要十分過ぎるだろう。
彼には言わなかったけれど、実のところ、流川先輩は少なからず課長に対して特別な感情を持っていた、とぼくは思っている。もちろん、それが恋愛感情だったのかはわからないけれど。
ただ、課長には男女の気持ちがあったとは全く思えない。当時、課長に交際相手がいたことも事実だから。
まして課長は、流川先輩が退職してから全く話題に出さなくなっていたし、元々、噂話をするような人でもないから、ぼくも藤堂くんに言われるまですっかり忘れていたのだ。
あれほどに強い印象の人を忘れていたのは、それ以上に課長の存在感があったと言うことなんだろうけれど。
それにしても、容姿もパワフルさも、そして思考も、日本人離れしている女性だったのに。
あれだけ課長とウマも息も合い、お互いに気後れしないパワーをぶつけ合える相手はいない、と今でも確信している。
そうは思うけれど、課長の公私共にパートナーとなることは、流川先輩には出来なかった、とも思う。むしろ、課長の全面的なパートナーになれるような女性がいるのなら会ってみたいくらいだ。
片桐課長と言う人は、ある面ではとても難しい人だ、とぼくは思っているから。
それでも、あのまま二人がコンビを組んでいたなら、きっと米州部はさらに大きくなっていただろう。
何故、流川先輩は急に退職したのだろう。何か問題が起きたとも思えなかったのに……その辺りがわからない。
あの頃のぼくはまだ新人で、仕事を覚えるのも追いつかないほどだった。だから、ただ、ひたすらに課長の後ろについて回っていて。
まだ課長は管理職ではなかったけれど、その営業手腕はすごいものがあり、既に部長たちからも全幅の信頼を寄せられていた。憧れと程よい緊張感がぼくの毎日を支配していた頃。
そんな中で、あの事件は起きた。
女性社員の間で、課長を巡ってのトラブルが起きたのだ。
絶大な人気を誇っていた課長を巡る小競り合いは、決して珍しいものではなかった。とは言え、あれほどの大問題に発展したのは初めてだった。
結果として、ひとりの女性が退職に追い込まれ、他の数人の女性も実質的には解雇に近い形で退職する事態となったのだ。
あの件の後、責任を感じたのか、課長はひどく元気がない日が続いていた。いつも通りに業務を熟していても、時折、その目に暗い影を落としていたのをぼくは知っている。
それから大して経たないうちだったと思う。流川先輩が退職したのは。
それきりだ。
それきり課長の口からは、流川先輩の話題はおろか、名前さえも出たことがなかった気がする。
……いや、待てよ?
流川先輩が退職して以来、全く話題に出ていないと思っていたが……名前を聞いたような?
あれは、いつだったか……どこでだったか。
……そうだ。電話を受けた課長の表情が見る見る強張り、ぼくたちを遮断するように、携帯電話を握りしめて奥のミーティングルームへと入って行ったことがあった。
優先順位の高い相手からの電話を取り次ぐために、ぼくが課長を呼びに行った時。中から聞こえて来たのは━。
『………………ぃか!いいかげんにしてくれ!ロバートもだ!あいつを巻き込むな!』
課長は確かにそう言っていた。
……何故、気づかなかった……。
苗字で呼び合っていた二人。だからフルネームに気づかなかった。
語頭が消えかかってはいたけれど、『……ぃか』は『れいか』━即ち『流川麗華』━だ。
スタンフィールド氏なのかはわからないけれど、『ロバート』の名前もその時にぼくは聞いたのだ。
『あいつ』とは?
『巻き込むな』一体、何に?
あれはいつだ?
……あれは……。
……藤堂くんが企画室に異動になる直前だ……!
~社内事情〔26〕へ~
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